「クイーンズ動物園(Queens Zoo)」
さて、1964/65年万博時の「ポート・オーソリティ・ヘリポート・ビルディング」を左に見ながら北の方へと歩いていく。すると右側に「クイーンズ動物園(Queens Zoo)」が見えてくる。
「フラー・ドーム」
じつはこのクイーンズ動物園の中にも、万博の名残が今も存在する。
それは、現在この動物園内で「鳥小屋」として使われている巨大なドームである。
幅175フィート(約53m)のこのドームは0.5エーカー(約2023㎡)という大きさを誇る。
このドームは、1964年万博では2100席をもつ「万博パビリオン(World’s Fair Pavilion)」として建てられ、1965年万博では「チャーチル・センター」に使途が変更になった「ジオデシック・ドーム(geodesic dome)」である。ちなみに「geodesic」とは「測地線」という意味である。
(「測地線」についての詳しい説明はこちらをご参照)
この構造物はバックミンスター・フラー(1895-1983)が設計したもので、通称「フラー・ドーム」と呼ばれているものである。
チャーチル関連の展示
1964年、1965年という2期の万博期間のはざまにイギリスの元首相だったウィンストン・チャーチル(1874-1965)が亡くなった。
チャーチルは第二次世界大戦でナチス・ドイツに立ち向かった英国首相として、米国でも尊敬されていた。
そのため、彼をテーマにしたパビリオンをこの「フラー・ドーム」にて実施することになったのである。
この「フラー・ドーム」の中では、チャーチルの別荘であるチャートウェルの書斎を再現した展示を行った。またチャーチルによって描かれた絵画や、彼の名誉アメリカ国民としての特別なパスポートなども展示されていたのであった。
バックミンスター・フラーと万博
さて、バックミンスター・フラーといえば、「宇宙船地球号」という概念を生み出したことで有名なデザイナー・建築家であるが、彼はこのニューヨーク万博以外にもいくつかの万博に関与している。
まず、バックミンスター・フラーは1933/34年シカゴ万博において、「ダイマクション・カー」という独特なデザインの自動車を出展していた。
この流線型の自動車は、前輪が2輪、後輪が1輪であり、後輪で走る向きを変える仕組みの非常にユニークなものであった。この自動車はスピードが出てくると、なんと後輪が地面から浮き、前輪だけで走るような独創的なシステムだった。
このシカゴ万博では、「ダイマクション・カー No.3」が出展され、実際に来場者を乗せてデモンストレーション走行もしたという。この11人乗りの「ダイマクション・カー No.3」は、1ガロン(3.785リットル)で、30マイル(約48キロ)を走り、1リットルあたり12・68キロの燃費を誇ったという。
今も残る「アメリカ館」だったフラー・ドーム
次に、このニューヨーク万博の後の万博にもバックミンスター・フラーは参画している。
このカナダ・モントリオールで開催された万博において、彼の考案による直径70mの巨大な「ジオデシック・ドーム」が、「アメリカ館」として展開されたのである。
ちなみに、このドームは現在も「モントリオール・バイオスフィア」として万博跡地に残っている。
ここニューヨークのフラッシング・メドウズ・コロナ・パークに残るフラー・ドームは、万博閉幕後0.5マイル(約804m)西に移転して、1968年に開園したクイーンズ動物園の巣箱として使用されているのである。
「ホール・オブ・サイエンス」へ
さて、このクイーンズ動物園を右に見ながらさらに進むと、左手に独特な形の建物が見えてくる。
この建物こそが、1964/65年ニューヨーク万博時に「ホール・オブ・サイエンス」の「グレート・ホール」として展示に使われていた元万博パビリオンである。
「トライロン」と「ペリスフィア」の建築家
この一目見ると忘れないデザインの建物はウォレス・カークマン・ハリソン(Wallace Kirkman Harrison, 1895- 1981)という著名なアメリカの建築家が設計したものである。
ハリソンの主な作品としては、ニューヨークの国連本部ビル、メトロポリタン・オペラ・ハウス、タイム&ライフビルなどがある。
そして、忘れてはならないのがあの「トライロン」と「ペリスフィア」。
同じここフラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催された1939/40年ニューヨーク万博のシンボルとなったものである。
「ニューヨーク・ホール・オブ・サイエンス」
さて、左に回り込むようにこの建物(現在は「ニューヨーク・ホール・オブ・サイエンス」という名称になっている)のエントランスに向かうと、左手にロケットなど宇宙関連の展示がいくつか設置されている。これも万博の時からのものであり、その旨の説明パネルもちゃんと設置されている。
そして展示室内にはいる。
広い展示室では、宇宙関連などの展示をみることができる。また子供たちを対象にしたワークショップも開催されていた。
このあたりの展示空間は、万博のときは「放射線ダイム」関連の展示や「科学展示」に使われていた。
「放射線ダイム」は、成人向けの展示で、「原子力と研究、農業、医療」において、原子力の価値について説明したものであった。
また、「科学展示」では、化学的および電子的検出が糖尿病、痛風、その他の病気の診断にどのように役立つかを説明していた。
「グレート・ホール」
そして、メインが「グレート・ホール」である。
ここでは、万博時は「宇宙への旅(A Journey Into Space)」という展示が展開されていた。
この大空間では、物資輸送機が、350マイル(約563km)離れた軌道上の宇宙ステーションに向かって地球から飛び立ったように見えたのであった(実際には床上約50フィート(約15m)の高さにあった)。
マーティン・マリエッタ・コーポレーションが主催するこの展示は、映像と本格的な音響・照明効果を活用し、宇宙旅行に対するビビッドな印象を来場者に与えた。
広々とした大ホール内には、建設に使用されたガラス・ブロックが今も残っている。 このガラス・ブロックは半透明で、外からのさまざまなパターンの光を壁を通して楽しむことができるものであった。
筆者がこの「ホール・オブ・サイエンス」に訪れたのは午前中であったが、すでに多くの子供たちでにぎわっていた。
万博からもう60年近く経っているが、今でも体験型の科学施設として大人気なのが伺えた。
建物を出て、また、ユニスフィアのある公園区画へと東へ向かう。
高速道路をわたる橋からは、「クイーンズ・ミュージアム」や「ニューヨーク州パビリオン」の廃墟が見渡せる。
じつは、この「クイーンズ・ミュージアム」も万博ゆかりの施設であるが、その話はまた次回に譲ろう。