1964/65年万博の「彫刻委員会」
フラッシング・メドウズ・コロナ・パークには『ロケット・スローワー』以外にも、1964/65年ニューヨーク万博のときに制作され、設置されたアート作品が今も残っている。
じつは、1964/65年ニューヨーク万博の会長を務めた「マスター・ビルダー」ことロバート・モーゼスは、屋外彫刻についての企画を「彫刻委員会」(Committee on Sculpture)に委託していた。この委員会は「ユニスフィア」を作成したギルモア・クラークならびにニューヨークの3つの高名な美術館の館長に委ねていた。
その3人とは、メトロポリタン美術館のジェームズ・ロリマー、ニューヨーク近代美術館のルネ・ダルノンクール、そしてブルックリン美術館のトーマス・ブフナーの各氏であった。
彼らは、いろいろなアーティストを推薦し、オファーした。その中には、我々も知るイサム・ノグチ、そして1939/40年ニューヨーク万博に参画したアレクサンダー・カルダーなども含まれていた。
しかし、理由は定かでないが、ノグチは委員会の招待に対して「ノーレス」だったらしい。そこで、次に、カルダーにオファーしたが、これも理由はわからないが、彼はそのオファーを断ったとのことである。
ロバート・モーゼスは2人がアサインされなかったことに対し、「安堵した」ということだが、多分、理由は予算的なものではなかっただろうか。
しかし、筆者としてはイサム・ノグチや、1937年パリ万博のスペイン共和国パビリオンで、ピカソの『ゲルニカ』の前のスペースに作品『水銀の泉』を展示したアレクサンダー・カルダーの作品も見てみたかったと思ったりする。彼らの作品が今、この公園にあったなら、それはそれで素晴らしかっただろうと感じる。
マーシャル・フレデリックス『人間精神の自由』
まず最初の作品が、マーシャル・フレデリックス作の『人間精神の自由』(”Freedom of the Human Spirit”)というブロンズ像である。
これは写真でご覧のように、3羽の鳥(白鳥とのこと)と、空を飛んでいる、あるいは空に浮かんでいるように見える2人の男女の像である。
高さは24フィート(7.3メートル)という結構大きな作品である。
1939/1940 年ニューヨーク万博にも作品を制作したフレデリックス
作者は、マーシャル・フレデリックス。
マーシャル・フレデリックスス(Marshall Fredericks, 1908-1998)は 1908 年、イリノイ州ロック・アイランドで生まれた。ジョン・ハンティントン工科大学で学び、1930 年にクリーブランド美術学校を卒業した。
彼は、スウェーデンの彫刻家カール・ミレス (Carl Milles, 1875-1955)に師事し、そのミレスはフレデリックスの様式化された写実主義に影響を与えたといわれている。
そして、じつはそのミレスは、同じ、ここフラッシング・メドウズ・コロナ・パークで開催された1939/1940 年ニューヨーク万博で、中心となって彫刻『天文学者』(”The Astronomer”)を制作し、そしてフレデリックスが『ヒヒの噴水』(”Baboon Fountain”)を彫刻していたのであった。
そして、その時の評判がよかったのか、今回の1964/65年ニューヨーク万博ではマーシャル・フレデリックスが「彫刻委員会」から指名された、ということになる。
『人間精神の自由』の作品意図
この作品について、フレデリックス自身は次のように語っている。
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私は、あらゆる年齢層、あらゆる階層の大勢の人々がこの彫刻を見ることになることに気づきました … 私は、この作品が地球から自由になるように、またできるだけ宇宙の中で自由になるように作品をデザインしようと努めました。「私たちは、私たち自身を地球から自由にできる、そして私たちを束縛し妨げようとする物質的な力から自由になれる」という考えは、人々を幸せにし、元気づけ、感激させるものであり、私の作品がこのメッセージを皆さんに伝えることを心から願っています。
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なるほど、この作品を見た時に、鳥や人が「空を飛んでいる、あるいは空に浮かんでいるように」見えたのは、作者がそのように意図した結果だったのだ。
青い空をバックにし、たしかに、鳥も人も地球の重力から自由になっている姿がそこには感じられるのである。
移設された『人間精神の自由』
万博会場では「コート・オブ・ステーツ」(Court of States)という場所にこの彫刻は建てられていた。
1996年、米国テニスセンター(United States Tennis Center, 現在のアーサー・アッシュ・スタジアム(Arthur Ashe Stadium))と公園の中心部のリノベーションの際、この彫刻はユニスフィアとテニスセンターの中間あたりに移設されたのである。