メトロポリタン美術館へ
さて、ニューヨーク近代美術館と並んでニューヨークを代表する美術館といえば、やはりメトロポリタン美術館だろう。
2021年-2022年の「メトロポリタン美術館展 – 西洋絵画の500年」
メトロポリタン美術館は言わずと知れた世界的に有名な美術館であり、最近では、2021年から2022年にかけて日本でも「メトロポリタン美術館展 – 西洋絵画の500年」が開催された。
(2021年11月13日〜2022年1月16日:大阪市立美術館、2022年2月9日〜5月30日:東京・国立新美術館で開催)
これは、タイトルの「西洋絵画の500年」にあるように、西洋絵画史を一望できるような総合的な展覧会で、15世紀のフラ・アンジェリコから始まり、ティツィアーノ、ラファエロ、ルーベンス、ベラスケス、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、プッサン、フェルメール、レンブラント、ゴヤ、ターナー、クールベ、ジェローム、そして、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌにいたるまで、我々の知る多くの作家の作品が「来日」していた。
今回のメトロポリタン美術館訪問では、その時に「来日」していたいくつかの作品を確認することができた。
東京の展覧会では撮影禁止だった作品も、メトロポリタン美術館においては自由に撮影できる。
そのいくつかをご紹介しよう。
カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、フェルメール、モネなどどれもみな有名な作品ばかりである。
その中の一枚、『ピュグマリオンとガラテア』という作品を描いたジャン=レオン・ジェローム(1824-1904)という画家もじつは万博関連の人物である。
彼は1867年パリ万博当時、ジャン=ルイ=エルネスト・メソニエ(1815-1891) とともに、2大巨頭として、パリ万博美術展会場に君臨していた人物である。
一方、この万博で作品を展示できなかった(落選した)エドゥアール・マネ(1832-1883)は万博会場外の自分の画廊で『草上の昼食』、『オランピア』などを展示した。
その『オランピア』も、今回メトロポリタン美術館で開催されていた「マネ/ドガ」展でフランスのオルセー美術館から「来米」していたのであった。
様々な万博関連画家の作品
また、メトロポリタン美術館には、このブログでもご紹介した様々な画家の作品が収蔵されている。
例えば、ハマスホイ。
<31>テート美術館展 モネ、そしてハマスホイ でご紹介した作家だ。
ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864-1916)はデンマークの画家であり、身近な人物の肖像や風景、静まりかえった室内など、限られた主題を黙々と描いた人物である。
そして、ハマスホイは1889年パリ万博に“Etude”(『勉強』)、 “Vieille femme”(『老婦人』)、 “Jenne fill”(『若い娘』)、 “Job” (『仕事』 )という4点の作品を出品し、銅メダルを獲得したのである。
今回のメトロポリタン美術館訪問では、自画像も見ることができた。
また、2004年から2005年にかけて東京、大阪、名古屋で開催された「世紀の祭典 万国博覧会の美術」展で「来日」したカバネル『ヴィーナスの誕生』(オルセー美術館所蔵)の別バージョンも見ることができた。絵画の構成は全くと言っていいほど同じだが、メトロポリタン美術館の解説によると、次のようにある。(翻訳は筆者)
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カバネルの『ヴィーナスの誕生』の最初のバージョン(パリ、オルセー美術館所蔵)は、1863 年のサロンでセンセーションを巻き起こしました。このサロンは、扇情的なヌードが多数展示されていたことから「ヴィーナスのサロン」と呼ばれました。 サロンの絵はナポレオン 3 世によって彼の個人コレクションとして購入されました。
1875 年、ニューヨーカーのジョン・ウルフは、現在の、少し小さいレプリカをカバネルに注文しました。
この構成は、神話の主題、優美な造形、シルキーな筆致、そして完成されたフォルムといったアカデミック芸術の理想を体現しています。 このスタイルは、クールベのように自然への真実のより個人的な解釈を求めるアーティストからは異論があったものの、コレクターの間で根強い人気がありました。
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The first version of Cabanel’s Birth of Venus (Musée d’Orsay, Paris) created a sensation at the Salon of 1863, which was dubbed the “Salon of the Venuses” owing to the number of alluring nudes on view. The Salon picture was purchased by Napoleon III for his personal collection.
In 1875, New Yorker John Wolfe commissioned the present, slightly smaller, replica from Cabanel.
The composition embodies ideals of academic art: mythological subject, graceful modeling, silky brushwork, and perfected form. This style was perennially popular with collectors, even as it was challenged by artists seeking a more personal interpretation of truth to nature, such as Courbet.
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ちなみに、このオルセー美術館所蔵のカバネル『ヴィーナスの誕生』は、1867年パリ万博に出展された作品である。
メトロポリタン美術館と万博
さて、このメトロポリタン美術館は、ニューヨーク・マンハッタンの5番街に面し、イースト80ストリートから84ストリートにわたって、セントラル・パークの東端に設置されている。
この美術館は1870年に開館したが、この創設には、あの1853-54年ニューヨーク万博の跡地であるブライアント公園に名を残すウィリアム・カレン・ブライアント(1794~1878)も関与していた。ブライアントはジャーナリストであり、著名な詩人であり、「セントラル・パーク」のアイデアや「メトロポリタン美術館」の創設にも中心的な役割を果たしたのである。
また、今の場所にメトロポリタン美術館が建った時の建築には都市計画家のフレデリック・ロー・オルムステッド(1822-1903)も携わっている。
彼は、1893年シカゴ万博の会場計画を手がけ「ホワイト・シティ」と呼ばれた会場を作り上げた。
また、このシカゴ万博が契機となって彼らが提唱した「都市美化運動」は、ホワイトハウスなどのワシントンD.C.の都市計画などにも大きな影響を与えていくこととなった。
そして、オルムステッドはニューヨークのセントラル・パークなどの設計も手がけたのである。
また、彼はその後、1901年バッファロー万博の会場計画にも担ぎ出されている。
ちなみに、最近、野球の佐々木麟太郎選手が留学することを決めたアメリカ・カリフォルニア州のスタンフォード大学の広大で美しいキャンパスも、その基本計画はフレデリック・ロー・オルムステッドによるものだった。
このようにメトロポリタン美術館は、その歴史や建物をとっても、万博と興味深いつながりがある。
さて、次回からは、さらにメトロポリタン美術館で開催されている特別展や常設の展示物と万博の関係をさぐっていくことにしよう。