セイコーミュージアム銀座
セイコーで銀座といえば和光ビルであろう。
この渡辺仁(1887-1973)設計の建物は関東大震災後の1932年6月に竣工し、その時計塔を含めて誰もが認める銀座のシンボルといえるだろう。
今回訪れたのはその和光ビルではなく、銀座・並木通りに位置する「セイコー並木通りビル」にある、セイコーミュージアム銀座(THE SEIKO MUSEUM GINZA)である。
ホームページによると、このセイコーミュージアムは1981年、セイコー創業100周年記念事業として誕生し、2020年に銀座に移転したということである。
このミュージアムは「セイコー並木通りビル」の地下1階から地上6階部分を使って展開されている。
セイコーの歴史的な製品の展示のみならず、日時計から和時計なども含めて広く時計の歴史が紹介されていてなかなか興味深い。
平日の午後に訪れてみた。
そこまで混んでいるわけではないが、インバウンドの海外からの旅行者も見受けられた。
やはり、日本の時計への関心は高いのかもしれない。
セイコーと万博
セイコーは言わずと知れた日本を代表する時計メーカーである。
現在はセイコーグループとなっているが、創業者服部金太郎(1860-1934)
が服部時計店を創業したのは1881年(明治14年)であった。
その後順調に発展し、現在の銀座4丁目の時計塔が竣工したのが1932年(昭和7年)である。
セイコーは、歴史的にも特にスポーツの分野では有名であり、1964年東京オリンピックでは、画期的なストップウォッチ等の開発によって初めてオリンピック公式計時を担当した。この技術が世界に認められ、国際的なブランド認知が拡大していく。
つづく1972年札幌冬季オリンピックでも公式計時を担当した。
その後もバルセロナ、長野などのオリンピック、世界陸上、マラソンなど数々の世界的なスポーツ大会で存在感を示してきた。
しかし、セイコーは万博にも参画してきた。
2020年4月28日の日経の記事「タイムセンター、誤差1000年に1秒(古今東西万博考)1970年・大阪」によると、次のように1970年大阪万博関連の紹介がある。
また、その写真も掲載されていて興味深い。
この記事には、次のように2010年上海万博へのセイコーの関与も記述されている。
1902-03ハノイ万博と精工舎
しかし、今回訪れたセイコーミュージアム銀座には、それほどメジャーではない万博へのセイコーの参画に関連する展示を発見することができた。
その万博とは1902-03年にフランス領ベトナムのハノイで開催された通称ハノイ万博である。
その博覧会でセイコー(当時の精工舎)が金牌を受領した、ということである。
その当時の精工舎の時計の振り子の奥には、その旨の特別なラベルが貼られているものがあるという。
万博での受賞を販促に活かしたというものだろう。
今でもネット上のオークションサイトには、このハノイ万博がらみの精工舎の製品が複数出品されている。
このハノイ万博もなかなかマイナーな万博ながらなかなか興味深いので、次回で詳しくご紹介したい。
服部金太郎の人物像
さて、セイコーの創業者の服部金太郎。
今回の展示には彼の人物像に関して次のような紹介がある。
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金太郎の生活
若い頃は寝る間も惜しんで働いていた金太郎ですが、晩年は朝7時に起床し、 夜は10時には必ず床に就く規則正しい生活を送っていました。
禁酒禁煙し、毎朝冷水摩擦を行い、1日2時間の運動を心がけるなど、健康にも気を使っていました。
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服部金太郎と渋沢栄一
また、この服部金太郎は、これまた万博関係の人物である今回新一万円札の図柄になった渋沢栄一や、大倉集古館を創設した大倉財閥の大倉喜八郎などとも交流があったという。
服部金太郎はこの2人とともに狂歌を楽しんでいたとのことである。
このミュージアムには渋沢栄一と服部金太郎が一緒に写っている集合写真も展示されている。
このセイコーミュージアム銀座は入場料無料であり、気軽に訪問できる施設である。当ブログをご覧の万博に興味のある方々も、銀ブラのついでに一度訪れてみてはいかがだろうか?