<101>メジャーリーグのアスレチックスがラスベガスへ引越し

1967 Montreal
1967年モントリオール万博ロゴ

オークランド・アスレチックス(Athletics)の引越しのニュース

先日2024年9月26日、MLB(メジャーリーグベースボール)オークランド・アスレチックス(Athletics)の、現ホームスタジアムでの最終試合が行われた。

さる2023年、オークランド・アスレチックスは、すでにラスベガスへの移転を発表していた。

アスレチックスは、1901年、フィラデルフィア・アスレチックスとしてアメリカンリーグの創設と同時に誕生した歴史ある球団である。

1910年代と1920年代後半に黄金期を迎え、1929年から1931年にかけてリーグ3連覇を達成した。
しかし、1932年以降、財政難から主力選手を放出し、チーム成績が低迷することとなった。

そして、1955年、成績低迷と観客動員数の減少により、カンザスシティに移転した。
その後、1968年、現在の本拠地であるカリフォルニア州オークランドに移転し、現在に至る。

オークランドに移転後は1972年から1974年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成、1988年から1990年にかけて再びリーグ3連覇を果たすなど隆盛を誇った。

2018年までに、通算でワールドシリーズ優勝9回、リーグ優勝15回、地区優勝16回、ワイルドカード3回の実績を残している。
アスレチックスは、その長い歴史の中で数々の栄光と苦難を経験し、3つの都市を本拠地としながらも、メジャーリーグの中でも屈指の成功を収めた球団の一つと考えられている。

アスレチックスのラスベガスへの移転

そのアスレチックスであるが、前述のようにラスベガスに移転することとなった。

理由はいくつかある。

まずは動員数の低迷である。
このところ、アスレチックスは動員数がリーグ最下位と低迷した。
大谷選手の所属するドジャーススタジアムには毎回5万人の観客が集まるのに対し、アスレチックスのスタジアムの観客は1万人を切る状態だった。
その結果、営業赤字に陥っていたのである。
また、スタジアムが老朽化し、何十匹もの野良猫が住んでいるともいわれている状態だった。

当初は、同じオークランドにスタジアムを建て直す案もあり、オークランドの55エーカーの敷地に7億7500万ドルの補助金を受け、商業施設併設の新スタジアムを建設する計画もあった。

しかし、結果的にはその案を蹴ってラスベガスに移転することを決定した。

ラスベガスの案は9エーカーというオークランド案とは比べ物にならないくらい小さな面積で、MLB最小のスタジアム案となっている。これは東京ドームより小さいということになる。
ラスベガスは補助金も3億ドルと、オークランドの半額以下の額となっている。

ラスベガスを選んだ理由

一見するとオークランドのほうが条件がよさそうだが、あえてラスベガスを選んだ理由がいくつかあった。

まず、ラスベガスは急成長している都市であり、観客動員やスポンサーシップの機会が増えると期待されているのである。

じつは、おなじくオークランドを拠点としていたアメリカン・フットボールのNFLのレイダースが、ラスベガスへの移転で大成功しているという事例があるのである。
レイダースは地元固定ファンというよりも、ラスベガスへの観光客を見込んで移転したらしい。
そこで球団の価値を2015年の14億ドルから2024年67億ドルと急増させることに成功したのである。

このレイダースと同じモデルをアスレチックスも指向しているということである。

上海万博「デンマーク館」設計者による新スタジアム

アスレチックスの新スタジアムであるが、超VIP席などもあり、高収入が見込める計画となっている。

このラスベガスの新スタジアムは世界的な設計事務所「ビャルケインゲルスグループ」(BIG)が担当した。
BIGは、デンマーク出身の建築家ビャルケ・インゲルス(1974 – )が主宰する国際的に有名な設計事務所で、革新的なデザインで知られている。
この新スタジアムの外観デザインもシドニーのオペラハウスを想起させるような非常に特徴的なものとなっている。

じつは、このBIGは、2010年上海万博の「デンマーク館」をデザインした企業である。
コペンハーゲンの「人魚姫」を初めて移転した展示で記憶に残る上海万博「デンマーク館」の外観も斬新なデザインだった。

2010年上海万博デンマーク館に展示された「人魚姫」

アスレチックスのラスベガス新スタジアムもBIGのデザインと聞いて、なるほど、という感じである。

拠点を移転したMLBチーム

さて、拠点を移したMLBのチームはこのアスレチックスが最初というわけではない。
大谷選手の所属するドジャースも最初はニューヨーク・ブルックリンで誕生した。
以前松井選手が所属していたヤンキースもボルチモアで誕生した球団である。

万博ゆかりのMLBチーム

そして、万博ゆかりのMLBチームも移転していた。
そのチームの元の名は「モントリオール・エクスポズ」
モントリオール・エクスポズは、カナダで開催された1967年モントリオール万博を記念して1969年にモントリオールに誕生した。

1967年モントリオール万博ロゴ

MLBチームのチーム名まで万博を記念してつけられていたのである。
しかも、当時は、アメリカ合衆国以外の国にできた史上初のMLBチームだった。
このエクスポズは、モントリオール万博の利益で設立、運営されていたわけではないが、モントリオール万博に敬意を表してこの名前になったという。

当時はそれほど万博人気が市民に根付いていたということだろう。
3年後の1970年大阪万博の成功と熱狂を考えると、そんなに想像するのは難しくない。

しかし、このモントリオール・エクスポズ、2005年からは「ワシントン・ナショナルズ」としてワシントンD.C.に移転して新たなスタートを切ることになったのである。

その理由は、今回のアスレチックスと同様である。

まずは、観客動員数の低迷
1990年代後半から、エクスポズの人気と知名度はモントリオールで著しく低下していき、1991年にはMLBワーストの93万人の観客動員数を記録した。
その結果、当然のように経営難に陥る。

観客動員数の低迷にともない、球団の経営状況も悪化し、1994年のストライキ後、財政難を理由に主力選手のほとんどを放出することになる。
オーナーは球団存続のためにコスト削減やスポンサー獲得に奔走したが、新球場建設計画も頓挫し、最終的には球団を手放すことになった。

ワシントンD.C.への移転

2004年、MLBはエクスポズのワシントンD.C.への移転を決定した。
移転後は、チーム名を「ワシントン・ナショナルズ」に改称し、「エクスポズ」という万博にちなんだ名前は姿を消すことになった。

移転の結果、観客数は大幅に増加し、移転初年度には269万2123人を記録し、新球場の建設も決まり、球団価値を上昇させることに成功したのである。

1967年モントリオール万博とは

モントリオール・エクスポズのネーミングのきっかけとなった1967年モントリオール万博

この万博は1967年4月28日から10月29日までカナダ・モントリオールで開催された。

サン・テグジュペリの著作からとった「人間とその世界」をテーマに、参加国・機関数は62
5031万人もの入場者数を誇った。
その3年後に大阪万博を控えた日本からも多くの関係者が視察に訪れた。

この万博は、モノレールバックミンスター・フラーの巨大な球形ドーム「バイオスフィア」(ジオデシック・ドーム)のアメリカ館モシェ・サヘディによる「アビタ67」、巨大映像装置IMAXなどが話題を呼んだ万博であった。

1967年モントリオール万博 アメリカ館「バイオスフィア」(バックミンスター・フラーのジオデシック・ドーム)

1967年モントリオール万博に出展された「アビタ67」

アスレチックスの移転、というニュースから、思いは2010年上海万博、そして1967年モントリオール万博へと繋がっていくのであった。

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