東京青山のヘレンドショップ
ようやく秋らしいちょっと肌寒い天気になった11月初旬、筆者は青山一丁目駅で降りて赤坂のカナダ大使館へと向かった。
途中、青山ツインタワーの1階にはヘレンドのショップがあったりと、やはり、街歩きをしているだけでも万博関連の事物に遭遇する。
この店は直営店「クラブ ヘレンド ジャパン本店」ということであり、青山ツインタワー(新青山ビル)東館1階に位置している。
数々の、思わず手に取ってみたいような魅力的なティーカップやかわいい人形などの磁器が展示されている。
ヘレンドと万博
さて、このヘレンド、世界初の万博である1851年ロンドン万博に早くも出展していたブランドである。
ヘレンドは、ハンガリーの首都ブダペストの南西約110キロ、バラトン湖近くの小さな村ヘレンドに生まれた磁器窯であり、1826年から磁器の製造を始めた。
このロンドン万博で、ヘレンドの磁器はヴィクトリア女王に認められ、御用達になる栄誉を賜った。
このとき作られたのが、現在「ヴィクトリア・ヒストリック」と呼ばれているコーヒーセットで、これによってヘレンドは世界的に認められるブランドになっていくことになるのである。
またヘレンドは、1867年パリ万博においても、ナポレオン3世の妃ウジェニー皇后からディナーセット「インドの華」を買い上げられた。
この作品はのちにヘレンドの代表作として評価されることになる。
この「インドの華」は、東インド会社によってもたらされた日本・有田の酒井田柿右衛門の陶器の絵柄がモチーフとなっているというもの。
ウジェニー皇后が買い上げた後、ハプスブルクのフランツ・ヨゼフ皇帝を迎える晩餐会に使用されたといわれている。
そしてこのフランツ・ヨゼフ皇帝は、その即位25周年を祝って1873年ウィーン万博が開催されたという、これまた万博ゆかりの皇帝だった。
ヘレンドは、その後も1900年パリ万博等での万博出展・受賞をしたりと万博に関わっていく。
在日カナダ大使館地下2階にある「高円宮記念ギャラリー」へ
さて、そんなことを思い起こしながらカナダ大使館へと向かう。
この独特の建物はバンクーバー生まれの日系カナダ人であるレイモンド・モリヤマ(1929-2023)が設計を手がけたものである。
長いエスカレーターを上った先にある「カナダ・ガーデン」にはカナダの楯状地を再現した「石庭」と、ロッキー山脈をイメージした彫刻が並んでいる。
そして、そこからエレベーターで地下2階に降りると、そこに「高円宮記念ギャラリー」がある。
そこが今回の目的地である。
その「高円宮記念ギャラリー」では現在、
という展覧会が開催されている。
会期は2024年10月24日〜2025年1月8日。
来年の2025年大阪・関西万博の開催を控え、カナダが過去、日本の万博にどう参画してきたか、がテーマの展覧会である。
さらに、1970年大阪万博の3年前にカナダで開催された、1967年モントリオール万博に関連した展示もある。
比較的小規模なスペースでの展覧会だが、筆者にとってはなかなか見応えのある展覧会である。
展覧会のメインビジュアルにはノーマン・タケウチとネヴィル・スミス作の「スーパーバス」が使用されている。これは1970年大阪万博のために制作、展示されたものである。
ノーマン・タケウチも日系カナダ人であり、カナダ政府は、こういった日本と関係するプロジェクトにおいて、日本とゆかりのある才能を起用していることがわかる。
この写真で「スーパーバス」の運転席にいるのが若き日のノーマン・タケウチである。
日本で開催された万博へのカナダの参加
日本では過去5回の万博が開催されている。それは、
1970年 大阪万博
1975~76年 沖縄海洋博
1985年 つくば科学博
1990年 大阪花博
2005年 愛知万博(「愛・地球博」)
の5つであるが、カナダはそのいずれにも参加している。
今回の展覧会ではその時の様子が、写真や記事、ビデオなどで紹介されているのである。
また、1970年大阪万博という初めての万博を控えて、多くの日本人が視察に訪れた1967年モントリオール万博関連の展示もある。
ノーマン・タケウチとネヴィル・スミス作の「スーパーバス」をはじめとして、各万博でのカナダパビリオンの様子、スタッフの写真、カナダ館のスタンプなどが展示されている。
また、1967年モントリオール万博の会場マップや写真、モントリオール万博での日本館の写真、各国のパビリオンスタッフの写真などもみることができる。
これらの展示はなかなか興味深い。
こぶりな展示ではあるが、見ているうちにあっという間に時間が経ってしまう。
カナダは2005年万博招致の対抗馬
じつはカナダは2005年愛知万博の招致において、最後まで日本の対抗馬であった。
カナダはカルガリーを候補地として立候補していた。
また、オーストラリアもクイーンズランド州を候補地として開催を申請していたが、オーストラリアはその後2005年のレースからは撤退した。
そして日本、カナダの一騎打ちとなったのである。
1997年6月12日にモナコ公国で開催された第121回BIE総会において投票が行われた。
その結果は、
ということで、日本・愛知での開催が決定したのである。
しかし、最後まで開催を争ったにもかかわらず、カナダは2005年愛知万博に海外国として最初に公式参加表明した。
これには愛知万博関係者一同、おおいに感謝するとともに、「さすがカナダ!」と大変感動していたことを思い出す。
カナダの万博への、そして日加交流への想いが垣間見れるエピソードである。
現在の駐日カナダ大使は1985年つくば科学博スタッフOB!
今回、とくに筆者の興味をひいた展示があった。
それは下記の写真である。
これは、1985年つくば科学博の開会式の模様である。
そして、このキャプションには
よく見てください 一 青いユニフォームを着た若い男性は、イアン・マッケイ駐日カナダ大使です!
*
とある。
イアン・マッケイ氏(1963 -)は2021年4月15日にカナダの駐日大使に任命された人物である。
また、今回、マッケイ氏からのメッセージも展示されている。
少々長いが、マッケイ氏の気持ちがよくわかる感動的なものなので下記、全文引用させていただく。
こうした万博を愛する人々によって国際友好は築かれているのである。
駐日カナダ大使 兼 インド太平洋特使イアン・マッケイのメッセージ駐日カナダ大使として、また万博スタッフ OBとして、私はカナダが日本で開催されたすべての万博に参加し、成功を収めてきたことを誇りに思います。カナダと日本の深い友好関係のストーリーは、万博が両国の人々、価値観、文化をどれほど親しく近づけてきたかを抜きにして語ることはできません。私は高校生のとき、交換留学プログラムに参加して下関に滞在しました。そこでの経験は素晴らしいもので、またすぐにでも日本に行きたいと思いました。
そこで、カナダ政府が1985年つくば万博でカナダを代表するパビリオンスタッフを募集したとき、私はそのチャンスに飛びついたのです。
私は合格し、カナダパビリオンのスタッフチームに加わることができました。
ここに展示されている写真でもご覧いただけますように、1985年つくば万博での経験は私に生涯続くたくさんの友情、思い出、機会をもたらしてくれました。
私にとって、カナダを代表して日本で果たした初めての務めだったと言えるでしょう!
つくば万博の会場で、私は下関でとてもお世話になったホストファミリーにハガキを書きました。
日本郵便が企画した、そこで書かれたハガキを保管して2000年に新千年紀を記念して郵送するというプログラムでした。
15年後にそのハガキが届いたときは、ホストファミリーも私もとても驚きました(私はこのことをすっかり忘れていたのです)!
とても良い思い出のひとつです。
この展覧会は、日加関係にとって最高のタイミングで開催されます。
2024年、カナダと日本は修好95周年を祝し、2025年には日本で大阪・関西万博が開催されます。
開幕を間近に控え、日本による準備が目覚ましい進展を遂げていることに祝意を表します。
本日はご来場いただき、ありがとうございます。
イアン・マッケイ
*
筆者も入社3年目という下っ端ではあったが、1985年つくば科学博の会場で仕事をしていた。
当時、イアン・マッケイ氏と同じ万博会場で仕事をしていたと思うと感慨深い。
もしかしたら、万博会場のどこかですれ違っていたかもしれないのである。。