<7>岸田首相襲撃のニュースに万博を想う

1901Buffalo
音楽の聖堂 The Temple of Music

岸田文雄首相と安倍晋三首相への襲撃

4月15日、岸田文雄首相の演説先で爆発物が投げ込まれたというニュースが各メディアで大々的に報道された。

幸いなことに岸田首相には怪我もなく無事だった。

だが、やはり要人の警護はなかなか難しそうだということが伺える。
映像を見ると、この犯人が本気で首相を殺害しようと思えば、可能なように思えた。
例えば爆発物をもっと本格的なものにするとか。

今後、サミットも控え、外国からの要人も含め、警護にはまだまだ課題が残っているのかもしれない。

思えば、昨年2022年7月8日には安倍晋三元首相が奈良県で演説中に銃撃されて亡くなってしまった。
犯人は、手製の銃を用いたとのことだ。

安全だと思われていた日本で、こんなことが起こるのか、そう思ってたいそう驚いたのを覚えている。

1901年バッファロー万博

それとともに、アメリカで開催されたとある万博を思い出さないわけにはいかなかった。

それは、1901年バッファロー万博という万博である。

バッファローという地名を調べると、世界にいくつかあるようだが、このバッファローは、アメリカのニューヨーク州の北西部に位置する都市である。

人口は約27万人。

五大湖のひとつであるエリー湖の東端に接し、ナイアガラの滝観光のアメリカ側の基地となっている都市である。

このバッファローで、1901年に万博が開催された。

このバッファロー万博は正式名称「汎アメリカン万博(Pan-American Exposition)」といい、812万人を集めた万博だった。この万博はナイアガラの水力発電が可能にした、大規模で安価な電力供給を記念するものでもあった。

実はこの万博は19世紀末に開催しようということで1899年に開催する計画だった。しかし、1898年にキューバをめぐってアメリカ・スペイン間で米西戦争が勃発し、その後1899年アメリカはフィリピンとの間でも米比戦争を始めてしまう。

そういった影響で万博も1901年開催へと延期されてしまったのだ。

万博会場での惨事

なんとか1901年の5月1日に開催にこぎつけたバッファロー万博だったが、その後万博史上最大ともいえる「惨事」が万博を襲う。

それは、万博会場を訪れた、当時現職だったウィリアム・マッキンリー第25代大統領(1843-1901)の暗殺だった。

マッキンリー大統領は1901年9月5日に万博会場を訪問し、スピーチをおこなった。そして9月6日、大統領は、会場から30分で行けるナイアガラの滝の観光に出かける。ナイアガラ観光後の午後、レセプション出席のために万博会場内の「音楽の聖堂(Temple of Music)」へと戻る。

この「音楽の聖堂」は2000人収容のオーディトリアムで、高さ約55メートルという立派な建物であった。

音楽の聖堂
The Temple of Music

大統領は多くの民衆に囲まれ、その人たちと握手をしていた。そして、その最中、午後4時7分、ひとりの来場者がリボルバーをハンカチにくるんで右手に持ち、大統領に握手をする列に並んで、至近距離から2発大統領に向かって発砲した。1発は大統領の肋骨をかすめただけだったが、もう1発は腹部に命中した。

テンプル・オブ・ミュージックに到着するマッキンリー
President McKinley arrives at the Temple of Music

レオン・チョルゴッシュが隠し持ったリボルバーでマッキンリー大統領に発砲する瞬間
Leon Czolgosz shoots President McKinley with a revolver concealed under a cloth rag. Clipping of a wash drawing by T. Dart Walker.

大統領はすぐに治療を受け、一時は持ち直したかに見えたが、9月13日には再び衰弱し始め、9月14日午前2時15分に死亡した。

犯人は、無政府主義者だったレオン・チョルゴッシュというポーランド移民の息子だった。
彼はその場で取り押さえられ、その後裁判にかけられ、1901年10月29日に電気椅子で死刑に処せられている。

万博は、大統領が死亡した14日と翌日の15日にはクローズとなった。しかし、その後は再オープンした。大統領の死亡というニュースで万博の認知度が上がったのか、そして、大統領の死を悼みたい人が多かったのか、その後は来場者は急上昇した。そして事件現場だった「音楽の聖堂」は来場者にとって「聖地化」したのである。

今でも、当時「音楽の聖堂」が建っていた場所、今はフォーダム・ドライブという道がそのあたりを通っているが、そこには「バッファロー歴史協会」が建てた小さな石碑がたっている。

その石碑には、「ここが汎アメリカン万博の『音楽の聖堂』があった場所であり、マッキンリー大統領が1901年9月6日、死に至る銃撃を受けた場所である」という意味の英語が刻字されている。

マッキンリー大統領暗殺を伝える石碑
The assassination site as it appears today

有島武郎『或る女』

この事件は、世界に衝撃を与えた。もちろん日本にもこのニュースは伝わっていたらしく、有島武郎の小説『或る女』にもこのマッキンリー大統領暗殺の話が出てくる。

主人公の「葉子」とアメリカへ渡る船の中で深い仲になった「事務長」が、アメリカに住む葉子のフィアンセ「木村」と話しているときに、話題を転じるためにこの話題を持ち出している。

その部分を以下、引用してみよう。

・・・木村を前に置きながら、この無謀とさえ見える言葉を遠慮会釈もなくいい出すのには、さすがの事務長もぎょっとしたらしく、返事もろくろくしないで木村の方に向いて、
「どうですマッキンレーは。驚いたことが持ち上がりおったもんですね」
と話題を転じようとした。この船の航海中シヤトルに近くなったある日、当時の大統領マッキンレーは凶徒の短銃に斃れたので、この事件は米国でのうわさの中心になっているのだった。木村はその当時の模様をくわしく新聞紙や人のうわさで知り合わせていたので、乗り気になってその話に身を入れようとするのを、葉子はにべもなくさえぎって、・・・

このように、日本の文化人の間でもこの事件は大きな話題となっていたようだ。

今回の岸田首相の事件は、ちょっと我々を不安にさせるところがある。

これから日本が迎えるビッグイベントである2025年大阪・関西万博では、バッファロー万博のような悲劇が起こらないよう祈るばかりだ。

タイトルとURLをコピーしました