「TODA BUILDING」と「京橋彩区」
やっと涼しくなったと感じる11月某日、筆者は東京駅近辺でのランチのあと、散歩を兼ねて京橋方面へと歩いた。
この辺りは大規模な工事が相次いでおり、東京ミッドタウン八重洲をはじめとして、近代的な高層ビル群のエリアに生まれ変わりつつある。
八重洲通りに面しているあたりも複数の大規模高層ビルへの工事中だ。
ぶらぶらと歩いていると、アーティゾン美術館の隣のずっと工事中だったところが新しいビルになってオープンしている。
名前は「TODA BUILDING」だ。戸田建設株式会社が事業主体のビルである。
じつは、隣のアーティゾン美術館のビルとの2つのビルをあわせて「京橋彩区」として「アートと文化が誰にも近い街」をコンセプトとしているらしい。
たしかに、こちらの新しい「TODA BUILDING」にも6階に「CREATIVE MUSEUM TOKYO」が開館している。
また、1階の「CITY BAKERY」というベーカリー内部にもアートが展示されている。
そして現在、この「CREATIVE MUSEUM TOKYO」では
という展覧会が開催されている。
会期は2024年11月2日から2025年3月2日まで。
多くの来館者が列を作っていた。
確かにこういったビルや施設が増えていけば、京橋もまたこれまでと異なったアート的なイメージの街に変貌していくかもしれない。
アーティゾン美術館へ
「TODA BUILDING」を散策した後は、今回の目的であるすぐ隣のアーティゾン美術館へと向かう。
こちらでは
「ひとを描く」
「マティスのアトリエ」
という3つの企画展が行われている。
いずれも会期は2024年11月2日から2025年2月9日までである。
詳細は美術館のHPでご確認いただきたいが、いずれもなかなか興味深い展覧会であった。
「ジャム・セッション 毛利悠子」展では、クロード・モネ、コンステンティン・ブランクーシ、パウル・クレーなどの作品と毛利悠子の作品がならんで展示され、興味を引く。
「ひとを描く」展では、その名の通り、人物を描いた作品が多数(85点)展示されている。
その中にはエドゥアール・マネやポール・セザンヌの自画像やピエール=オーギュスト・ルノワール、アメデオ・モディリアーニ、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ルオー、マリー・ローランサンの描いた人物画などが含まれ、当館所蔵の数々の名品でうまく構成されている。
「マティスのアトリエ」展
そして、「マティスのアトリエ」展である。
正確には、
という企画である。
解説には、次のようにある。
アンリ・マティス(1869-1954)の絵画において、室内は常に重要な要素であり続けましたが、とりわけ1940年代以降、生活と創作とが地続きとなった空間として重要になるのが、アトリエです。 本展は、《踊り子とロカイユの肘かけ椅子、黒の背景》(1942年)の収蔵にちなみ、石橋財団のコレクションにより、マティスの創作においてアトリエが果たした役割について、複数の視点から探るものです。
「オダリスク」とパリ万博
そして、最初のテーマが「オダリスク」。
今回の解説には次のようにある。
そして、マティスはモデルとアトリエ室内の調度品を自由に組み合わせて作品を制作した。つまりこのことでもアトリエの重要性が認識される、とのことである。
そういった理由でこの「オダリスク」ものが今回展示されているわけである。
じつは
<26>現在開催中の「マティス展」とマティスの万博出展作品
でご紹介したように、マティスは「オダリスク」という言葉がタイトルに含まれる作品を複数、1937年パリ万博に出展している。
この1937年パリ万博において、プティ・パレで開催された「独立美術の巨匠たち1895-1937展」でマティスは、出展作家の中で最多の61点の作品を展示している。
そして、その中にタイトルに「オダリスク」とつく作品は
『タンバリンを持つオダリスク』(1927)
『紫の上着のオダリスク』 (1927)
『赤いキュロットのオダリスク」(1921)
という4点である。
同じ「オダリスク」をテーマにしたものが4点というのは、それだけマティスはこのテーマを大事にしていたということであろう。
このうち、『赤いキュロットのオダリスク」(1921 ポンピドゥー・センター蔵)については昨年開催された「マティス展」に来日していた。
1937年パリ万博でも4点が出展されたという「オダリスク」というテーマ。それを「アトリエ」という視点から取り上げた今回の展示。
万博に思いを馳せながら味わっているうちに、知らず知らずのうちに長い時間が経ってしまっていたのであった。