三菱一号館美術館が再開
東京・丸の内の三菱一号館美術館は昨年2023年より設備入替および建物メンテナンスのため⾧期休館中であったが、この2024年11月から再開館することになった。
その再開館記念展が
という展覧会である。
開催期間は2024年11月23日から2025年1月26日まで。
ということで早速行ってみた。
最初は、なぜこの『不在』というテーマが取り上げられているのかよくわからなかった。
以前、この美術館では現存作家は取り上げていなかったが、今回は現代フランスを代表するアーティストのソフィ・カル(1953- )との協働、ということがコロナウィルス感染症流行以前から模索されていたらしい。
そのソフィ・カルがテーマとしてもっていたものが、「喪失」や「不在」ということであり、今回はその「不在」という主題を提案してきたということである。
一方、ロートレックも「不在」と無関係ではないらしい。
今回の展覧会HPによると、次のようにある。
「人間だけが存在する。風景は添え物に過ぎないし、それ以上のものではない。」 1897年の旅行中、アンボワーズの風景に感動していた同行者に対して発せられたこの言葉に象徴されるように、トゥールーズ=ロートレックは、生涯にわたって人間を凝視し、その心理にまで踏み込んで、「存在」それ自体に迫る作品を描き続けました。
トゥールーズ=ロートレックも彼が描いた人々も「不在」となり、今ではその作品のみが「存在」しています。
ということでこの2人の作品でこの展覧会は構成されている。
三菱一号館美術館はロートレックの作品を多数所蔵しているので、以前見たことのある作品にも再会することができた。
ロートレックと万博
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)といえば19世紀後半のフランスを代表する画家の一人である。
19世紀後半といえばパリで万博が5回も開催された期間であり、当然、ロートレックも万博とは無縁ではいられなかった。
そのあたりは
<83> SOMPO美術館「ロートレック展」
にも記述した。
詳しくはそちらをご覧いただきたいが、ロートレックと万博の関係を簡単にまとめると次のような感じである。
また、関連としては、
パブロ・ピカソ(1881-1973)は1900年パリ万博を訪れ、ロートレックの作品を見た。
ピカソ作『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』はピカソがパリで初めて描いた絵であるが、ロートレックの影響が大きい作品である。
ロートレックは万博を通じてピカソに影響を与えていた。
ロートレックの描いたロイ・フラー
さて、今回の展覧会では、ロートレックのロイ・フラーを描いた作品が複数展示されていた。
ロイ・フラー(1862-1928)はアメリカ出身のダンサーであり、モダンダンスと舞台照明技術両方の分野のパイオニアであった。
現在でも彼女のスカーフ・ダンスの映像が残されている。 彼女は舞台芸術のプロデューサーであった。
1900年パリ万博にも参画し、自分専用の劇場「ロイ・フラー劇場」を万博会場内に設置した。 さらに、ロイ・フラーは、日本からはるばるやって来た、川上音二郎・貞奴一座のプロデューサーでもあった。
このあたりの話は
に記載したので、詳細はそちらをご覧いただきたい。
<103>でご紹介した、東京・汐留のパナソニック汐留美術館で開催中(2024年10月5日〜12月15日)の「ベル・エポック ー 美しき時代」展では、シャルル・モランのロイ・フラーを描いた作品が2点展示されていた。
シャルル・モラン《ロイ・フラー(黄色の衣装)》 1895年頃
シャルル・モラン《ロイ・フラー(オレンジ色の衣装)》 1895年頃
という2点である。
今回は、ロートレックがロイ・フラーを描いた作品を見ることができた。
1893年作の『ロイ・フラー嬢』というものである。
写真撮影が許されていなかったので、ここでその画像をご紹介することはできないが、シャルル・モランの作品と構図やテーストは似ている。
今回の展覧会HPによると、次のようにある。
アメリカ合衆国出身のダンサーのロイ・フラーは、踊る自らの白い衣装に次々と色が変化する照明を巧みに投影する鮮烈なステージで世間の注目を集めました。そこでロートレックはロイ・フラーを表現するにあたり、踊り子の表情や衣装の形などの具体的形態ではなく、色彩の変化に集中し、一点ずつ色を変えて表現しています。
1893年作なので1900年パリ万博での公演を描いたものではないが、すでにこの時点でフランスにおいてもロイ・フラーが注目を集めていたこと、そして、ロートレックもロイ・フラーに魅せられていたことがわかるのである。
「坂本繁二郎とフランス」
さて、再開後の三菱一号館美術館では1階に「小企画展」というコーナーができていた。
開催期間は同じく2024年11月23日〜2025年1月26日。
今回は、「坂本繁二郎とフランス」という展覧会である。
これもなかなか興味深い展覧会であった。
HPには次のようにある。
明治から大正、昭和にかけて活躍した洋画家の坂本繁二郎(1882-1969)の画業を紹介しつつ、フランスとの関係に注目します。坂本の作品に加え、コロー、ミレー、セザンヌら、そして同じくフランスに学んだ藤島武二、岡田三郎助、満谷国四郎の作品を併せた合計15点で構成します。 坂本は1882(明治15)年福岡県久留米市に生まれ、20歳で学友の青木繁を追って上京し、小山正太郎の不同舎に学びます。1921(大正10)年に渡欧してパリへ留学し、シャルル・ゲランに半年程師事した後、ブルターニュ地方はじめフランス各地で制作します。1924(大正13)年の帰国後は東京へ戻らず、故郷の八女を拠点とし、亡くなるまでこの地で制作を続けました。 本展では、フランス留学を経て坂本が得たものは何か、晩年の作品に至りそれがどう変化していくかを浮き彫りにします。
この展覧会には坂本の作品とあわせて、コロー、ミレー、セザンヌといった万博にも関与した作家の作品も展示されているので一見の価値あり、である。