<12>豊田章一郎氏の訃報

2005「愛・地球博」
会期後雪をかぶったモリゾー(右)とキッコロ

豊田章一郎氏の訃報

豊田章一郎氏の訃報が届いたのは今年2023年2月14日のことだった。

豊田章一郎氏と言えば、誰もが知るビジネス界の重鎮であり、亡くなった時はトヨタ自動車株式会社ならびに日本経済団体連合会の名誉会長であった。

2月14日のトヨタ自動車のホームページの発表には次のようにある。


2023年02月14日

トヨタ自動車株式会社 名誉会長 豊田 章一郎 逝去について
トヨタ自動車株式会社 名誉会長 豊田 章一郎が逝去いたしましたので、下記のとおりご連絡いたします。

1.  氏名  豊田 章一郎(とよだ しょういちろう)
1925年(大正14年)2月27日生(享年97歳)

2. 死亡日時  2023年2月14日(火)午後4:48

3. 死因  心不全

また、去る4月24日には「お別れの会」が催された。

ふたたびトヨタ自動車のホームページによると下記のようなお知らせがあった。


トヨタグループ17社は、本年2月14日に逝去いたしました、トヨタ自動車株式会社名誉会長 故・豊田 章一郎の「お別れの会」を下記の通り実施いたしますので、ご連絡いたします。

1. 日時  2023年4月24日(月)14:30~16:30

2. 場所
東京会場  ホテルニューオータニ ザメイン1階 芙蓉の間(東京都千代田区紀尾井町4-1)
名古屋会場  ミッドランドスクエア5階 ミッドランドホール(愛知県名古屋市中村区名駅4-7-1)
豊田会場  トヨタ自動車株式会社 本館ホール(愛知県豊田市トヨタ町1)

3. 備考
随時献花をしていただきますのでご都合の良い時間に平服にてお越しください。
供花・香典等は固くご辞退させていただきます。

お別れの会
委員長  豊田 章男(トヨタ自動車株式会社)
副委員長  トヨタグループ17社 各社社長/所長

さて、どうして筆者がこのニュースを取り上げているかは、もうおわかりだろう。

豊田章一郎氏が、2005年日本国際博覧会(「愛・地球博」)の会長を務められていたからである。

筆者も豊田会長には数度お会いさせていただいたことがある。

単なる下々の一人に過ぎなかった筆者だが、テーマ館である「グローバル・ハウス」の企画説明の時など数度、豊田会長への直接プレゼンテーションの機会をいただいた。

また、「愛・地球博」が終了後に開催されたスタッフのためのパーティでは、一緒に写真を撮っていただいたりした。一生の思い出である。

「愛・地球博」のはじまり

それでは、この2005年「愛・地球博」とはどんな万博だったのだろうか。

1985年つくば科学博が成功したすぐあとくらいから、早くも中部地区で21世紀初頭に万博を開催しようという話は、愛知県、国(主に当時の通商産業省)の双方から出ていた。

そして1988年12月14日、パリで開催されたBIE(博覧会国際事務局)104回総会において、今川幸雄日本政府代表が「日本政府は21世紀初頭の国際博覧会を愛知県で開催したいと考えている」と事実上の立候補宣言をおこなっている。

その後1995年12月19日、「愛知県における国際博覧会の開催申請について」が閣議了解され、
政府として2005年愛知万博招致を正式に決定した。

それを受けて、日本は1996年に正式に立候補し、1997年6月12日、第121回BIE総会がモナコ公国で開催され、日本はカナダ(カルガリー)を破って、2005年の開催権を得たのである。

日本での開催決定後、財団法人2005年日本国際博覧会協会が設立された。会長はもちろん豊田章一郎氏(当時経団連会長、トヨタ自動車会長)である。

「愛・地球博」は当初から問題含みの万博だった。

開催決定後、会場予定地だった里山「海上(かいしょ)の森」で、絶滅危惧種だったオオタカの営巣が確認され、大きな反対運動が起こった。「自然の叡智」というテーマなのに、オオタカを絶滅させてしまうつもりか、というわけだ。

そこで協会は会場の変更を決断する。当初の予定会場だった「海上の森」の面積を激減させ、近隣の「青少年公園」をメイン会場としたのである。

それにともなって、想定入場者数の2500万人から1500万人に減らし、それとともに諸々の事業計画の変更も余儀なくされた。

「愛・地球博」の準備段階から無事終了するまでに、万博協会の事務総長は2回代わって都合3人の方々が務められた。最後たすきを受け継ぎ、大成功に導き、それを見届けられたのは中村利雄氏である。

豊田章一郎氏と「愛・地球博」

しかし、その間、ずっと会長の職におられたのは豊田章一郎氏だった。

外国政府との向き合い(BIE投票の時や、出展をお願いする時)、日本政府との向き合い、各参加企業、協賛企業との向き合い、地元との向き合い、こういったすべてのことに、豊田章一郎氏の存在は絶大な力を発揮した。

豊田章一郎氏の存在無くして、多くの紆余曲折を経験した「愛・地球博」が大成功に終わるのは難しかっただろう。

さらに、「愛・地球博」が終了後、その継承事業を継続している母体となっているのが、一般財団法人 地球産業文化研究所(GISPRI)であるが、そのGISPRIにおいて、早くも平成元年度(1989年)から平成3年度(1991年)まで、「21世紀万国博覧会基本調査」というものが行われていた。

この「報告書」がGISPRIに保管されているが、その「基本問題懇談会名簿」というのを見ると
そこにも、早くも「豊田章一郎氏」の名前を認めることができる。

 

この「懇談会」であるが、

委員長が木村尚三郎氏(前東京大学教養学部教授)、副委員長が大山昊人氏(日本放送協会解説委員)であり、委員が21人リスト化されている。この中には堺屋太一氏(作家)、福川伸次氏(通商産業省顧問)、盛田昭夫氏(ソニー会長)なども名を連ねている。この中に「豊田章一郎氏」の名前も入っているのである。

本当に最初から「愛・地球博」に関与し、最後、大成功するまで見届けられたのである。

今回、豊田章一郎氏逝去に関するNHKのニュースをみると

「・・・また、平成17年に愛知県で開かれた「愛・地球博」の運営にあたる博覧会協会の会長を務めました。・・・」

と一文が書かれているだけだ。救いは、「愛・地球博」のマスコットである「モリゾー」「キッコロ」のぬいぐるみと一緒の御写真が採用されていることである。

万博以外の功績が膨大なので、致し方ないところではあるが、もっと万博に関与することを取り上げていただいても良いのではないか。

そう思いつつ、「お別れの会」に関するニュースをチェックしていたところ、
トヨタ自動車株式会社 代表取締役 内山田竹志氏の弔辞の中に、素晴らしい文章を見つけた。
内山田氏は弔辞の中で、次のように述べている。


・・・さらに2005年に自然の叡智をテーマとして開催された愛・地球博では、政府・地元とともに誘致に奔走され、開催決定後には2005年日本国際博覧会協会の会長として類いまれなるリーダーシップを発揮し、大成功に導きました。

 21世紀初の国際博覧会は、「世界から人々が集う魅力ある日本の国づくりにつなげたい」というあなたの願いどおり、世界中の人々の大いなる交流の場となり、子供たちに夢と希望と感動を与える歴史に残るものとなりました。 ・・・

今は、2025年大阪・関西万博の話題が徐々に増えてきているが、その前に、豊田章一郎氏の偉大なる業績(の一つ)である「愛・地球博」が成し遂げ、残した価値を今一度、系統的に再評価し、それを広く伝え、そこから学べるものをみんなで学んだ方がいいのではないだろうか。

今回の訃報に触れ、「愛・地球博」に関わったすべての人たちが、豊田章一郎氏が「愛・地球博」大成功の恩人だったとの思いを新たにしているに違いない。

豊田章一郎会長のご冥福を心よりお祈りいたします。

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