<16> 「重要文化財の秘密」展 東京国立近代美術館

万博

東京国立近代美術館70周年記念展  重要文化財の秘密

東京・竹橋の東京国立近代美術館で、「重要文化財の秘密」展をやっているというので行ってきた。

「東京国立近代美術館70周年記念展」、と銘打ってある。

東京国立近代美術館70周年記念展
重要文化財の秘密
2023(令和5)年3月17日― 5月14日
東京国立近代美術館
主催:
東京国立近代美術館
毎日新聞社
日本経済新聞社
協賛:
損害保険ジャパン
大伸社

この展覧会は「重要文化財の秘密」というタイトルであるが、まさに展示されているすべての作品(近代美術館なので明治以降に制作されたもの)が重要文化財に指定されているもの、ということで相当に気合の入った展覧会である。

図録冒頭の大谷省吾氏の論文は、「正直いってこれは無茶な展覧会である。」という文章から始まっているが、まさに、開催するサイドは大変そうな展覧会である。

自らの美術館や博物館に所蔵しているものを集めて展示するだけならできそうだが、日本各地に分散しているものを所蔵者に交渉して借り出すのは大変なことだろう。

各所蔵者にとっては、「重要文化財」というのは各館の「売り」であり、それを貸し出してしまうと、その間、所蔵館の「スター作品」が不在、ということになってしまうからだ。

しかし、実際、今開催されているように、この企画は実現したのである。

明治以降に制作された作品で重要文化財に指定されている作品(絵画、彫刻、工芸)は68作品あるが、そのうち51作品が集結した展覧会ということである。

「重要文化財」を規定する「文化財保護法」が公布されたのが1950年である。

この展覧会では「重要文化財」というキーワードに焦点をあて、各作品がいつ「重要文化財」に指定されたのか、そしてその理由は何か、ということを解き明かそうとしている。

なので、各作品の横のキャプションには、「重要文化財指定○年」、という解説が書かれているのである。

例えば、明治以降の作品で最初に指定されたのは1955年であり、その作品は4点あったということである。その作品とは、狩野芳崖『不動明王図』、『悲母観音』、橋本雅邦『白雲紅樹』、『龍虎図屏風』である。

そして、いろいろな作品がこれに続いて「重要文化財」に指定されていくのである。

なるほど、これを突き詰めると、明治以降の日本の近代美術の流れ、評価のされ方がわかるというわけだ。図録もそうとう詳しい解説が含まれている力作だ。

万博と日本近代美術

しかし、もちろん筆者の今回のメインの目的は、日本近代美術と万博の関連である。

今回の展覧会には、筆者が今回の展示解説と図録を調べたところ、万博に出展されたものとしては、下記の作品が展示されている。

やはり、今回も、1893年シカゴ万博への出展品が中心だ。

高村光雲『老猿』 1893年作。1999年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品。

初代宮川香山『黄釉銹絵梅樹図大瓶(おうゆうさびえばいじゅずたいへい)』 1892年作。2004年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品

三代清風与平『白磁蝶牡丹浮文大瓶』 1892年作。2017年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品。

鈴木長吉『鷲置物』 1892年作。2001年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品。

鈴木長吉『十二の鷹』 1893年作。2019年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品。

濤川惣助『七宝富嶽図額』 1893年作。2011年重要文化財指定。1893年シカゴ万博出品。

以前も書いたが、2004年〜2005年、東京国立博物館、大阪市立美術館、名古屋市博物館を巡回した2005年日本国際博覧会開催記念展 世紀の祭典 万国博覧会の美術」展が開催され、筆者も仕事として関わった。

実は、この展覧会において、今回の上記作品はすべて出品されていた。

なので、これらの作品群には久しぶりに再会、ということになる。

そして、すべてが1893年シカゴ万博出品作である。

東京国立博物館に1893年シカゴ万博出品作が他にも多数所蔵されているのは、以前も書いたとおりである。

万博には出品されていないが、初代宮川香山『褐釉蟹貼付台付鉢(かつゆうかにはりつけだいつきばち)』(1881年作。第2回内国勧業博覧会。2002年重要文化財指定)も今回、出展されていた。この作品を初めて見たのも、2004年の「万国博覧会の美術」展であった。

この作品は一度見たら忘れられない、大変リアルな蟹が鉢にくっついている(しかも重なって2体)作品である。最初、本物のカニをくっつけたのかと思ったくらいリアルである。

この作品とも久々に再会することができた。

初代宮川香山『褐釉蟹貼付台付鉢』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Miyagawa Kozan I, Footed Bowl with Crabs, Tokyo National Museum

初代宮川香山『黄釉銹絵梅樹図大瓶』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Miyagawa Kozan I, Large Vase with a Plum Tree, Tokyo National Museum

ところで、この初代宮川香山であるが、1893年シカゴ万博が初万博出展というわけではなく、今回の図録によると1876年フィラデルフィア万博(米国)に『花瓶香炉七福神ノ装飾』という作品を出品している。また、1878年パリ万博では金賞を受賞した、ということである。

また、アール・ヌーヴォーのガラス作品などで有名で、いろいろな万博でも活躍したエミール・ガレ(1846-1904)は、宮川香山の作品、四脚付鉢『鯉』をコレクションしていた。これは、横に鯉が3匹描かれているもので、ガレはこれをモチーフにした作品を制作している。

これらの作品の重要文化財の指定は最近のものが多いことに気づく。最近、万博の研究が進んだことで作品が評価され、重要文化財の指定へと結びついたとのことだ。

林忠正プロデュース『十二の鷹』

これも一度見たら忘れられない、1893年シカゴ万博出品作品、鈴木長吉『十二の鷹』も、重要文化財に指定されたのは2019年だ。コロナ禍の直前である。つまり、2004年の「万国博覧会の美術」展に出品されたときは、まだ重要文化財に指定されていなかった、ということになる。

これは、1878年パリ万博を契機に起立商工会社の通訳としてパリにわたった美術商・林忠正が考案・プロデュースした作品である。今回の図録の解説によると


1893(明治26)年のシカゴ・コロンブス世界博覧会への出品に際し、鷹狩の儀式を金属で立体的に再現しようと考案したのが、美術商の林忠正である。起立工商会社の鋳銅場の工長として海外の博覧会で名声を得ていた鋳金家の鈴木長吉を全体指揮に起用し、各分野総勢24名もの技術者を集めて本作は制作された。

とある。

鈴木長吉『十二の鷹』、国立工芸館 #重要文化財の秘密
Suzuki Chokichi, Twelve Hawks, National Crafts Museum

鈴木長吉『十二の鷹』、国立工芸館 #重要文化財の秘密
Suzuki Chokichi, Twelve Hawks, National Crafts Museum

この中に100年以上あとに「愛・地球博」の会場を変えるきっかけになった「オオタカ」はいるのだろうか、などと考えてしまうのは筆者だけだろう(多分)。

さて、この1893年シカゴ万博では、日本サイドは工芸品を「美術」として認めてもらい、「美術館」に展示されるよう相当の努力を払ったらしい。

『十二の鷹』は、シカゴ万博で最も高い評価を受けた作品の一つとういことだが、2004年の「万国博覧会の美術」展の図録の解説(P99)によると次のようにある。

「シカゴ万博を記録した上下2巻の大冊『THE BOOK OF THE FAIR』では、美術館と工芸館というそれぞれの館の解説でこの作品について言及している。《十二の鷹》が飾られた2階の会場を写した筈の同書の図版にその姿がない。これらからこの作品が当初は工芸館に展示されたが、美術館における日本の区画が拡張された後、美術館へと移されたことがわかる」

そして今回の「重要文化財の秘密」展の図録にはP243にさらに詳しい解説が書いてある。この20年弱の間にまた研究が進んだのであろう。

黒田清輝と1900年パリ万博

さて、今回は黒田清輝の『湖畔』も出展されている。

黒田清輝『湖畔』  1897年作。1999年重要文化財指定。

黒田清輝『湖畔』、東京国立博物館 #重要文化財の秘密
Kuroda Seiki, Lakeside, Tokyo National Museum

この作品は今回の図録や展示の解説では、万博との関係にはなぜか触れられていないが、これも実は1900年パリ万博に出品された作品である。

この『湖畔』は、黒田清輝の作品の中でも最も有名な作品のひとつであろう。切手にもなっていて、筆者などは、子供の頃まずは、この切手から知った作品である。

『湖畔』切手

この作品は1900年パリ万博に出品された作品だが、この同じパリ万博に黒田は全4点の作品を出品しており、その中で一番評価され、銀賞を獲ったのが『智・感・情』(当時は『女性習作』というタイトルだった)である。

『智・感・情』は、東京国立博物館(黒田記念館)が所蔵しており、これも2004年の「万国博覧会の美術」展に出品された(今回は出品されていなかった)。

この作品は1899年作、2000年重要文化財指定、1900年パリ万博出品、ということになる。

これは結構大きな作品で、3人の裸の女性の全身像が並んで描かれている。右から「智」・「感」・「情」を表しているということで、独特な雰囲気をもつ作品である。

さて、1900年パリ万博といえば、黒田清輝が師事していたフランス人画家ラファエル・コラン(1850-1916)が1892年の作『眠り』を出品した万博でもあった。

2020年〜2021年には箱根のポーラ美術館

CONNECTIONS
150 YEARS OF MODERN ART IN JAPAN AND FRANCE
海を越える憧れ、日本とフランスの150年
(主催:公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館)

という展覧会が開催された。

この図録の「ごあいさつ」には次のようにある。


・・・近年その所在が明らかとなったラファエル・コラン(1850-1916)の《眠り》(1892年)を120年ぶりに公開いたします。この作品は、1900年のパリ万博で黒田清輝が実際に目にし、当館所蔵の黒田の代表作《野辺》(1907年)に大きな影響を与えたとされる作品です。師コランと愛弟子であった黒田の作品が長い時を経て邂逅を果たします。

実際にこの1900年パリ万博出品作であるコランの《眠り》と、黒田の《野辺》は大変よく似ている。サイズも《野辺》のほうが一回り小さいが、この2作をみると、黒田のコランへのオマージュが感じられるのである。

浅井忠と1900年パリ万博

実は、今回は浅井忠の『春畝(しゅんぽ)』(1888年作、1970年重要文化財指定)、『収穫』(1890年作、1967年重要文化財指定)という二つの作品も出品されている。

浅井忠『収穫』、東京藝術大学 #重要文化財の秘密
Asai Chu, Harvest, Tokyo University of the Art

これらの作品が万博に出品されたという解説はみあたらないが、浅井忠自身は1900年万博に「千九百年巴里萬國博覧会臨時博覧会事務局」の「事務嘱託員」としてパリに派遣されていた人物である。

「千九百年巴里萬國博覧会臨時博覧会事務局報告」という報告書には下記のようにある。


別に彼の地在留者に事務を嘱託したる……、浅井忠、……等をして建築技師『シャル・レギエー』、『ジャック・プチーグラン』、『ラフワエルギー』の3名と共に会務に従事せしめたり。

パリ留学中だった浅井忠は、「事務嘱託員」として外国人建築技師とともにパリ万博の業務に携わっていたことがわかる。

夏目漱石と1900年パリ万博

ちなみに、同じ1900年パリ万博には夏目漱石も立ち寄っている。ロンドン留学のためにロンドンに行く途中にパリに寄ったのである。

千葉県立美術館の「パリの浅井忠」によると、夏目漱石と浅井忠は交流があり、パリに10月(1900年パリ万博開催中)に行った時、浅井忠が住んでいたマラコフの宿を訪ねたという。

また、浅井が帰国する際には、ロンドンに寄って漱石の宿に宿泊し、一緒に街を歩いたり、料理店で食事をしたとのことである。そして、漱石の『三四郎』に登場する深見画伯は浅井がモデルであり、『吾輩は猫である』の中・下編の挿絵は浅井が手がけたということだ。

漱石は美術にも大変興味を持っていた人物だったので、浅井とも親しく付き合ったのだろう。

さて、漱石は、パリ万博に行ったときのことを、1900年10月23日、自宅宛の書簡で次のように書いている。


今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱条ニツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候博覧会ハ十日や十五日見テモ大勢ヲ知ルガ積ノ山カト存候

漱石も1889年パリ万博のときにギュスターヴ・エッフェルによって建てられたエッフェル塔に1900年パリ万博のおりに上ったのであった。

1900年パリ万博のころになると、林忠正、黒田清輝、浅井忠、夏目漱石、その他川上音二郎と貞奴、御木本幸吉など、我々の知る多くの日本人も活躍することになるのである。

さて、今回も万博関連の話に終始してしまったが、もちろん、今回の展覧会には、今回筆者が素通りしてしまった中に傑作も多い。

しかし、万博中心で展覧会を味わう、というのも一つの楽しみ方ではないかと思ったりするのである。

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