「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展(大倉集古館)
『普賢菩薩騎象像』を収蔵していることで有名な東京の「大倉集古館」。
『普賢菩薩騎象像』は1900年パリ万博に出展された記録があり、国宝である。
以前は常設展示されていたが、今は時々しか見られない。万博史愛好家としては、その方がなんとなくありがたみが増す、という感じもする。
さて、その大倉集古館で今、特別展「愛のヴィクトリアン・ジュエリー 〜華麗なる英国のライフスタイル〜」という展覧会が開催されている。
愛のヴィクトリアン・ジュエリー
~華麗なる英国のライフスタイル~
【会期】2023年4月4日(火)~6月25日(日) 10:00~17:00
英国の、しかもヴィクトリア朝の展覧会ということであるので筆者としても一応チェックせざるを得ない。正直そこまでジュエリーに詳しいわけではないが、ヴィクトリア朝の展示があるということは、歴史に残る第一回目の万博、1851年ロンドン万博に関する展示があるかもしれない、と思う。
1851年ロンドン万博は、1851年5月1日〜10月11日に開催され、ヴィクトリア女王(1819 – 1901、在位1837 – 1901)の夫であったアルバート公(1819 – 1861)の強力な推進で実現したものである。
ヴィクトリア期の展覧会であれば、ヴィクトリア女王やアルバート公ゆかりのものが展示されているだろうし、そうであれば、ロンドン万博関連の展示もあるかもしれないと期待できる。
大倉集古館のホームページによると
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大英帝国がもっとも繁栄したヴィクトリア女王の治世、王侯貴族だけではなく、当時台頭してきた資本家層など、多くの人々を魅了したヨーロッパのアンティークジュエリーを展示いたします。そのほかに、イギリス上流階級のライフスタイルを彩ったドレスやレース、銀食器など、華やかで優雅な世界をご紹介いたします。
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とある。
チラシをみると、さまざまなジュエリーが展示されているようだ。
まさか、1851年ロンドン万博時に展示されて大評判となった186カラットのダイアモンド「コー・イ・ヌール」が展示されていることはないだろうが、なにか、万博がらみのものもあるかもしれない。
ホームページには、親切にも作品リストダウンロードというPDFがあり、それを見てみる。
すると、19世紀初期〜中期のものが多い。これはちょっと期待できるかもしれない。
早速「大倉集古館」へ
早速行ってみることにした。
この大倉集古館は、The Okura Tokyo(昔のホテル・オークラ)の敷地内にある。
日本風、といったらいいのか、独特のデザインである。このもともとの設計は伊東忠太(1867 – 1954)が手がけた。
伊東忠太は一橋大学の兼松講堂、平安神宮や築地本願寺などを設計した人物だが、「幻の万博」といわれる、1940年日本万国博覧会(1938年7月15日の閣議決定で延期決定。その後戦争により、開催されることはなかった)の「会場計画委員会」の委員でもあった、「万博関係者(?)」の一人でもある。
ホテルオークラからThe Okura Tokyoにリニューアルするにあたって、このミュージアムを建物ごと6.5メートル移動したというプロジェクトは映像で残っていて、今でもみることができる。
「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展
さて、「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展である。
銀色に輝くティーセットから始まって、さまざまなジュエリーが展示されている。これは相当に目の保養になる。とても美しく、綺麗なものが多い。
夫であったアルバート公が手がけた1851年ロンドン万博の会場であった巨大な温室構造の「クリスタル・パレス(水晶宮)」に頻繁に通ったというヴィクトリア女王ゆかりの品も多い。
展覧会のキャプションや図録によると、
「結婚指輪を交換する儀式もまた、アルバート公がドイツからもちこみ、以降、イギリスに定着しました」とある。
また、「フルーツケーキにシュガーペーストで装飾をほどこしたウェディングケーキもヴィクトリア女王のロイヤルウェディングを機に一般に広まり、現代に引き継がれています。」
ということで、結婚指輪を交換する儀式やウェディングケーキもヴィクトリア女王とアルバート公の結婚から始まったということらしい。
また、ヴィクトリア女王が着たウェディングドレスや、結婚式で着用したレースのヴェールも結婚式に着用するのが習慣として受け継がれたとのことである。
さらには、今日本でも流行しているアフタヌーンティーもヴィクトリア時代になって紅茶文化の形式となり、「ヴィクトリアンティーといわれる公式な茶会へと発展していきました。」
とある。
ヴィクトリア女王とアルバート公は万国博覧会を始めただけではなく、いろいろな習慣や風習を英国に根付かせた夫婦だったということがわかる。
これは、なかなか面白い展覧会である。
ヴィクトリア女王とアルバート公のダブルポートレートのブロンズ・メダル
そして。。。
見ていくうちに筆者の目が止まったのは、どちらかというと地味なブロンズのメダルである。
このメダルにはヴィクトリア女王とアルバート公の横顔(両方向かって左を向いている)が重なって描いてある。いわゆるダブルポートレート(二重肖像画)である。
ヴィクトリア女王の横顔が手前の中心あたりに、アルバート公の横顔がその後ろ左手に描かれているデザインである。
もしやこれは。。
作品タイトルには
『ヴィクトリア女王&アルバート公のダブルポートレート・ブロンズメダル』とある。
そして、解説には、
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1851年、イギリスが世界に富と権力を誇示した第1回ロンドン万国博覧会の記念メダルで、博覧会で賞を受賞した人々へ与えられたもの。制作者はメダル作家として有名なウィリアム・ワイアンで、このメダルで博覧会に参加し受賞した。メダルの表面に刻まれた「VICTORIA D.G:BRIT:REG:F.D:」は、プリンス・アルバートの妻であることを示し、「MDCCCLI」はローマ数字で1851年と表記している。
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とある。
やはり、1851年ロンドン万博のメダルだった(!)。
しかし、この解説には何のメダルか詳しくは書いていない。
万博におけるメダル制度
そもそも博覧会でのメダル制度は、19世紀初頭、フランスで始まった国内博覧会から始まったものである。万国博覧会は1851年ロンドン万博が最初、というのが定説になっているが、相当に規模の大きな博覧会(国内博覧会)はフランスで以前より開催されていた。
そのフランス内国博覧会の第2回目が1801年に開催されたときに、博覧会における各種コンクールとそれに伴うメダルの授与がナポレオン(1769 – 1821)によって制度化されたのである。その時は金メダル10個、銀メダル20個、銅メダル30個が授与された。
今も続く近代オリンピックの金、銀、銅メダルといった制度も、クーベルタンが万博からヒントを得て導入したものである。
フランスの内国博覧会は、ロンドン万博が開催された1851年の2年前、1849年まで続いている。
1851年ロンドン万博のメダル制度
さて、そんな中、1851年ロンドン万博では、表彰の意味では2種類のメダルが授与されることになった。
一つは「評議員牌(カウンシル・メダル)」、もう一つが「賞牌(プライズ・メダル)」である。
「評議員牌(カウンシル・メダル)」は、出展者数17,000者のうち、170名だけに授与された最も栄誉ある賞である。
直径は89mm。
表面のデザインはまさに、この展示されているメダルと同じ、左向きのヴィクトリア女王とアルバート公の横顔の胸像である。胸像の下には2頭のイルカが、右側には英国の海軍力を表す三叉の槍が描かれている。ヴィクトリア女王は月桂樹と宝石を身につけている。
裏面のデザインと碑文は、「商業(Commerce)」と「産業(Industry)」における大英帝国の強さを宣言するものである。
3人の人物が描かれているが、真ん中の高い位置に描かれている女性がブリタニア(イギリスを擬人化した女神)で古典的なローブを着て腕を広げて立っている。その下に2人の人物が握手をしている。
左の男性がローマの「商業」の神マーキュリーを装った人物、右側の女性が、「産業」を表す人物である。
ブリタニアの後ろには万博らしく多くの異なった国々の国旗が描かれている。
「賞牌(プライズ・メダル)」は、その実用性や安価さなどの一定の基準に達したものに贈られ、1918個(「少なくとも2913個」という説もある)が授与された。
直径は77mm。
表面のデザインは「評議員牌(カウンシル・メダル)」のものと同じである。
裏面は、複数の人物が描かれている。左端の右向きに座っている女性がブリタニアであり、真ん中に跪く「産業」を表す女性に月桂冠を冠している。その後ろにはヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの4大陸を体現する4人の人物が横一列に立っている。
この2つのメダルは2つとも表面が同じデザイン(展示されているデザイン)なので、この今回の展示品がとちらのものかよくわからない。
裏面が、図柄の写真だけでも展示してあればわかるのだが、その展示もない。
サイズも「評議員牌(カウンシル・メダル)」が89mm、「賞牌(プライズ・メダル)」が77mmなのでショーケースに入っている展示物をどちらか特定するのは難しい。
もちろん、確率的には、「評議員牌(カウンシル・メダル)」が170個しか授与されなかったのに対し、「賞牌(プライズ・メダル)」は2000個レベルなので、「賞牌(プライズ・メダル)」の確立は高い。
合計5種類の公式メダル
しかし、実は、1851年ロンドン万博を契機に作られたのは、上記2種類を含め、全部で5種類のメダルだったのだ。
筆者調べによると、「評議員牌(カウンシル・メダル)」、「賞牌(プライズ・メダル)」のほか、
「Exhibitors Medal出展者牌」
「Service Medal 功労牌」
「Jurors Medal 審査員牌」
という3種類のメダルも制作され、授与されている。
これらは、出展者への「表彰」という意味合いではないが、これも公式なメダルといえる。
つまり、1851ロンドン万博では、合計5種類の公式メダルが制作されたのだ。
「Exhibitors Medal 出展者牌」というのは、「評議員牌(カウンシル・メダル)」、「賞牌(プライズ・メダル)」の受賞者以外のすべての出展者に授与されたもので、約14,000の出展者に授与されたという。表面は左を向いたアルバート公の横顔の胸像、裏面にはヨーロッパとアフリカを示す地球儀が描かれている。直径44mm。表面にはアルバート公しか描かれていないデザインなので、展示されているものはこの「Exhibitors Medal出展者牌」ではない。
「Service Medal 功労牌」というのは、この万博への貢献に感謝して、個人および企業に授与されたものである。つまり、各種委員会のメンバー、外国の委員、植民地の委員、地方委員会の人たちなど万博の成功に貢献した人々に授与された。
これも、表面は左を向いたアルバート公の横顔の胸像である。裏面は蝶結びで結ばれた月桂冠が描かれている。直径47mm。なので、展示されているものはこの「Service Medal 功労牌」ではない。
最後が「Jurors Medal 審査員牌」である。
これは、展示品を審査した審査員に与えられたものである。
表面のデザインは「評議員牌(カウンシル・メダル)」、「賞牌(プライズ・メダル)」と同じである。直径54mm。
裏面には3人の女性が描かれている。真ん中の「産業」を象徴する女性は宝庫の上に裸で座り、「商業」を象徴する右側の女性は、その肩に手を置いて後ろに立っている。一番左の翼の生えた「名誉」を象徴する女性は「産業」を象徴する女性に月桂樹の冠をかぶせている。
ややこしいことに、「Jurors Medal 審査員牌」の表面のデザインは「評議員牌(カウンシル・メダル)」、「賞牌(プライズ・メダル)」と同じ(今回の展示品と同じデザイン)なので、今回の展示品の可能性もある。
3択だ。
しかし、この「Jurors Medal 審査員牌」のサイズは54mmだったので、(展示品はもう少し大きいと思うので)展示されているものである可能性は低いかもしれない。
「賞牌(プライズ・メダル)」に確定!
何かさらなる情報はないかと思い、図録を買ってみた。
後ろの方のP257の解説によると、
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ブロンズ:径7.7
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とある。
ということは、「賞牌(プライズ・メダル)」で確定(!)である。
とうとう1851年ロンドン万博の「賞牌(プライズ・メダル)」をこの眼でみることができたわけである。
というわけで、今日も期せずしてまた記念すべき充実した一日になったのであった。
ロンドン万博の「賞牌(プライズ・メダル)」を直接見てみたい方は、6月25日までに大倉集古館へ行かれてみてはどうだろうか。