<21>「マティス展」(東京都美術館)と『夢』

1937 Paris
アンリ・マティス『夢』 Henri Matisse "The Dream"

上野で開催中の「マティス展」

先日、東京上野の東京都美術館で始まったマティス展に行ってきた。

アンリ・マティス(1869-1954)といえば、言わずと知れたランスの大画家であり、色彩の魔術師と言われ、フォーヴィスム(野獣派)という絵画様式を生み出した巨匠である。

この展覧会は、日本では約20年ぶりの大規模な回顧展だという。

展覧会図録の主催者による「ごあいさつ」には、次のようにある。


日本では約20年ぶりの大規模な回顧展となる本展は、質量ともに世界最大規模のマティス・コレクションを誇るパリのポンピドゥー・センター/国立近代美術館の全面的な協力のもと、実現しました。

日本初公開の作品も来ている。

この、ポンピドゥー・センターが、今年2023年末から改修工事に入るということで、そのタイミングで今回作品が借りられた、ということらしい。しかも、全部で約130点ということで、これはすごい展覧会である。

「マティス展」 HENRI MATTISE: The Path to Color
東京都美術館 2023年4月27日(木)―8月20日(日)
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、ポンピドゥー・センター、朝日新聞社、NHK、NHKプロモーション
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
特別協賛:大和証券グループ
協賛:ダイキン工業、大和ハウス工業、NISSHA
協力:日本航空

もちろん、マティスの絵は日本国内のいくつかの美術館も所蔵している。

近いところでは、昨年2022年4月9日〜9月6日までポーラ美術館(箱根)で開催された展覧会、

ポーラ美術館開館20周年記念展 モネからリヒターへ ―新収蔵作品を中心に
主催:公益財団法人ポーラ美術振興財団 ポーラ美術館

に、マティスの『リュート』という作品が展示されていた。

個人的には、マティスの中でも相当好きな絵である。マティス独特の赤い色が映える筆者の思う「マティスらしい」作品である。

『赤の大きな室内』

さて、今回は、あのパリのポンピドゥー・センター/国立近代美術館から作品を借りてきているというので、あの作品も来ているのでは、と期待していた。

実は、その作品は、チケットやポスターのメイン画像になっていたので、その後、期待は確信に変わっていた。

マティス展サイン
Sign of “Henri Matisse: The Path to Color”

その作品こそ、

『赤の大きな室内』(1948)

である。

そして、見ていくと、あった!

これもマティス的な赤が映える傑作である。マティス78歳のときの、マティス自身が自分の「集大成で傑作」だと言っていたという、作家最後の大きな油絵である。

この作品は、パリに行った際に、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館でも見たことがあるが、以前から、この作品に注目していたのには訳がある。

私の30年以上の美術関係の愛読書に、高階秀爾先生『名画を見る眼』、『続名画を見る眼』という2冊がある。何かにつけ読み返している本である。

高階先生には個人的にも仕事で大変お世話になった。ルーヴル美術館の日本語版解説パネルの仕事にはじまり、1996年のモデルニテ − パリ・近代の誕生 オルセー美術館展、そして2005年「愛・地球博」のテーマ館「グローバル・ハウス」のオレンジホールの展示でもお世話になった。

この、『続名画を見る眼』(岩波新書)は初版が1971年ということで半世紀前に書かれた本だが、今も色褪せることのない名著であると思う。

さて、その名著の『続名画を見る眼』にこの『赤の大きな室内』が取り上げられているのである。

この本ではマティス『大きな赤い室内』という日本語タイトルになっている。

ご興味のある方はぜひこの本を読んでいただきたいが、私がたしかに、と当時思ったのは、この絵が描いている室内の構造である。

この絵を見る限り、色鮮やかな絵ではあるが、室内がひどく平面的で、この部屋の構造がどうなっているのかさっぱりわからない。

左手前の丸テーブルなどは、足が2本しかないように見える。上部の窓なのか、壁にかけられた絵なのかよくわからない2つの長方形はどうなっているか。その間に縦線があるが、これは何か。

などなど、常識的な眼で見ると、理解不能な絵である。

アンリ・マティス『赤の大きな室内』
Henri Matisse “Large Red Interior”

『続名画を見る眼』には次のようにある。


実を言えば、この部屋は、マティスの設計した教会堂で有名なあの南フランスのヴァンスにあったマティス自身のアトリエの内部を描いたもので、椅子も、テーブルも、壁の絵も、皆そのアトリエに実際にあったものばかりである。

ということは、筆者が「窓」かも、と思ったものは、壁にかけられた絵、が正解、ということになる。

『続名画を見る眼』では、この後、よってこの絵は「写実的な絵」であると言えるが、それにしては、奥行きもないし、それぞれのものの位置も明確でない、結果、「『写実的』という見地から見ると奇妙としか言いようのない画面が出来上がっている」と続く。

この後さらに、この絵の分析と解説が続いていく。

このように、絵を見た時の違和感や感じから一枚の絵を解き明かしていく文章にいつの間にか引き込まれ、そしていつかこの絵をちゃんと見たいと思うようになる。

『続名画を見る眼』読了後に、フランスに行く機会があった時は、もちろん、この絵を見に行った。

そして、また今回、東京で見ることができた。

やはり、素晴らしい解説を読んでから見る傑作は、何も知らずに見るのに比べ、感動が大きい。

クラシックの演奏会なども、何も知らずに聴きに行くと寝てしまうこともあるが、ちゃんと事前に解説を読んで、CDを聴き込んで行くとまた、(期待もあいまって)異なる次元の感動を与えてくれることがある。

今回は、写真撮影が許されていたので、自分のスマホに収めることができた。

マティスと万博の接点

さて、マティスと万博の関係であるが、実は筆者は十分に系統的には調べきれていない。

万博関連資料を読んでも、あまり十分な系統だった事実が浮き出してこない。

しかし、多少はある。

このマティス展の機会に、せっかくなので、今回は、そのあたりを調べつつ書いてみたい。

まずは、今回の展覧会の図録から調べていく。

P258からは「マティス伝記」ということで、マティスの年代別の解説がついている。この「マティス伝記」は、ポンピドゥー・センター/国立近代美術館 アシスタント・キューレーターのマルジョレーヌ・ブザール氏が編集したものである。

その「マティス伝記」で、1900年、第5回目のパリ万博が開催された年をチェックしてみると、

「家計の逼迫に対処するため、マルケとともに1900年の万国博覧会に向けて建造されたグラン・パレの巨大な装飾製作に参加」

とある。

グラン・パレは、この文にあるように、1900年パリ万博のために、隣のプティ・パレとともに建造された展覧会会場である。この「グラン・パレの巨大な装飾製作」であるが、いろいろ調べてはみたものの、今も残っている作品なのか、どんな作品なのか、現段階ではわからずじまいであった。もし読者の中でお分かりの方がいらっしゃったらぜひ「Contact」のコーナーから教えていただけるとありがたい。

1900年パリ万博 アレクサンドル3世橋からグラン・パレ(左奥)を望む。
Le_pont_Alexandre_III_et_le_Grand_Palais,_Exposition_Universelle_1900

その次に万博関連が出てくるのが1937年である。

1937年パリ万博といえば、ピカソがスペイン館のエントランスホールに『ゲルニカ』を出展したことで有名な万博である。しかし、実はマティスも出展していた。

マティスの万博出品作を「発見」!

この「マティス伝記」によると


1937年、レイモン・エスコリエがプティ・パレ美術館で「アンデパンダンの巨匠たち、1895-1937」展を開催し、マティスも登場。同年、エスコリエはマティス論を上梓。マティスはプティ・パレ美術館にセザンヌの《3人の浴女》(1879-82)を寄贈

とある。

この「マティスも登場」というのはどんな状況だったのだろうか。

ネット上で見つけた「1937年パリ国際博覧会をめぐるフランスの文化政策」という大久保恭子氏の論文によると、次のようにある。


「巨匠展」(筆者注:1937年パリ万博の一環として6月から10月まで開催された「独立美術の巨匠たち1895-1937展」のこと)はプティ・パレ館長のエスコリエが中心となった学芸員と美術評論家らによって組織され、19世紀末からの約50年間に活動したフランス国内外の画家・彫刻家、総勢117名、1,576点が展示された。(中略)
展示された作家にはアリスティド・マイヨール、マティス、ピカソ、ピエール・ボナールなど、故人の展示に限定された「傑作展」にはなかった現存の作家たちが数多く含まれた。(中略)
最多のマティスに至っては61点もが展示された

「マティスも登場」どころでなく、なんと「61点もが万博で展示された」というのだ。

そして、マティスの出展作として、今回の都美の展覧会でも出展されている『夢』(1935)が図版が使われている。

アンリ・マティス『夢』
Henri Matisse “The Dream”

さて、さらに別のサイトには、この「巨匠展」のポスターが掲出されているが、そのメイン画像にはこの『夢』が使われている。

解説には、


このオリジナルのリトグラフのポスターは、パリのプティ・パレで開催された展覧会「L’Art Indepéndant(筆者注:「独立美術の巨匠たち1895-1937展」のこと)のためにアンリ・マティスによってデザインされました。 ポスターには『La Reve』(筆者注:『夢』)がフィーチャーされており、マティスとフェルナン・ムルローの初のコラボレーションを示しています。

とある。この、フェルナン・ムルローという人については、


ムルローは、20 世紀初頭、当時最も著名な芸術家たちをスタジオに招き、伝統的な石版印刷の共同制作を行った美術石版印刷業者です。 ブラック、カルダー、シャガール、デュフィ、レジェ、マティス、ミロ、ピカソなどの芸術家は、ムルローと協力して視覚的に印象的なリトグラフを制作し、それらは、芸術家の作品や展覧会を宣伝するポスターとして使用され、街中に貼られました。 今日、これらの美しいリトグラフのポスターは完璧な室内装飾となり、それ自体が収集可能な芸術作品となっています。

というわけで、今回のマティス展の中で、少なくともこの『夢』という作品は、1937年万博出展作品だということがわかった。

しかし、上記のように、マティスの作品が61点も展示された、ということになると、今回のマティス展に出展されている作品で、1937年以前の作品であれば、万博に出展された可能性もある。

この、61点の具体的なリストが手に入らないかと思っているが、今のところは見つけられていない。
(現在継続調査中。何か見つかったらまたご報告したい)

マティス『夢』にまつわる想い出

個人的な話になる。

実は、この、マティスのアシスタント兼モデルのリディア・デレクトルスカヤを描いた『夢」という作品だが、筆者は40年前から知っていた作品である。知っていた、というよりも仕事上出会った作品である。

1980年代、渋谷にある某テナントビルの20周年のキャンペーンをお手伝いしたことがあった。その時は、担当していたクリエーターが、このマティスの『夢』をアイデアの源泉として、「こういった女性が眠っているような、夢を見ているような絵を使って、そこに『起きなさい、渋谷です』というコピーでどうでしょう」というアイデアを出してきた。

実際は、このマティスの絵を使うのが著作権上難しい、ということもあって、当時大変人気のあった画家、池田満寿夫さん(1934- 1997)にお願いすることになった。しかし、できてきた絵が、ちょっと(かなり)エロチックなもので、このコンセプトに合わない、ということから、別の作家さんにお願いすることになった。そして、無事キャンペーンは終了した。

そんないきさつがあり、特にマティスの絵の中でもこの『夢』を覚えていたのだ。

その頃は、この作品が万博に出展されたものなどとは思いもつかなかったが、こうやって改めて本物と対峙し、あらためて自分の人生の来し方を振り返ることになった。

「マティス展」を堪能し、またしても、充実した「万博的生活」を楽しむことができた一日であった。

<26>話につづく

タイトルとURLをコピーしました