今週はガウディ・ウィーク
今週は、筆者的にはガウディ・ウィークであった。
まずは、木曜日夕刻、筆者は雨の中、助手2名(といっても家族のメンバー)とともに、東京都中央区日本橋蛎殻町の「日本橋公会堂ホール『日本橋劇場』」へと向かった。
「東京国立近代美術館『ガウディとサグラダ・ファミリア展』関連文化講演会」
実は助手2号が先日、中央区の広報誌で「東京国立近代美術館『ガウディとサグラダ・ファミリア展』関連文化講演会」という告知を見つけてきた。
日時は6月15日(木)午後6時50分開演
抽選で定員は400人予定。
神奈川大学名誉教授の鳥居徳敏氏が講師で、演題は「ガウディとサグラダ・ファミリア –この聖堂は、なぜ、どのように生まれたの? –」ということだ。
しかも、「講演会受講者には、本展の招待券を1人1枚差し上げます」とある。
5月25日(必着)ということで、早速、コンビニで往復ハガキを3枚買って、助手0号の分も含めて3人分申し込む。
区がやっているイベントに行くのも初めてだったし、当たるかどうかもわからなかったが、一応6月上旬には、3人とも当選したらしく、「当選はがき」が送られてきた。
到着してみると、ビルの4階が受付になっていて、ホールは2階席もある。初めて来たがなかなか立派なホールだ。
客層は思った通り、シニアが多い。若い人は少ない。しかし、平日の夜に、ガウディの講演会にこんなに多くの人たちが集まるなんて、日本人の知的意識は高い!と改めて感心した。
なぜ、ガウディの講演会に行こうと思ったか。
もちろん、万博がらみである。
ガウディと万博 –これまでの調査
以前、拙著『万博100の物語』にも、万博とガウディの関連については詳しく書いたが、短くすると次のようなことがポイントである。これまでの調査の結果である。
スペイン、カタルーニャ生まれの建築家、アントニ・ガウディ(1852-1926)は1878年の、3回目のパリ万博で、「コメーリャ」という、スペイン・バルセロナの皮手袋店のショーケースを設計した。
それが、エウゼビ・グエルに認められ、グエルがガウディの強力なパトロンとなっていく。
万博がガウディとグエルの出会いを作ったのである。
また、ガウディは1888年バルセロナ万博でグエルの義父であったコミーリャス侯爵が経営する会社「大西洋横断社」のパビリオン設計を手がけた。
これは前年のカディス海洋博に出展したパビリオンを改装するという仕事で、ガウディはこれをアルハンブラ宮殿ふうに改造し、評判を得たという。
また、同じ万博で、ガウディは会場内の記念噴水を設計したという。
今回の講演会並びに展覧会で万博関連の新しい発見があるかもしれない。
それが、(いつものように)今回の講演会に行こうと思った理由である。
鳥居徳敏 神奈川大学名誉教授の講演
さて、鳥居徳敏氏の講演は大学の講義のようにレベルが高く、いろいろなデータ等の画像を駆使されて大変興味深いものだった。会場はもちろん写真撮影は禁止だし、暗くてメモもとれなかったので、詳細かつ正確な情報はここでお伝えできないが、いくつか、そうなんだ、と思うことがあった。
例えば、
・ガウディは、サグラダ・ファミリアの2代目の建築家だった。その時は、建築家としてなんの実績もなかった。ガウディ1883年31歳の頃だ。
・サグラダ・ファミリアという施設は、カトリックにおいて何の地位も占めていないものであった。大聖堂や、教会、礼拝堂、修道院とかでもなく、民間団体「聖ヨセフ信心会」の「センター」として建設が始まった。
・産業革命によって多くの貧困者が生まれた。それらの人の救済のために、ヨセフに救いを求めることにした。ヨセフとはマリアの夫で、キリストの養父。聖家族とはマリア、ヨセフ、キリストの家族。
・信者からの寄付で建設が始まったが、お金はあまり集まらず、ずっと赤字基調だった。
・2回目の大規模な寄付(匿名の寄付)はガウディ個人宛の小切手2枚によるもので、ガウディはこれを基金として利息を使って作業を進めることにした。また、この寄付がガウディ個人宛だったので、ガウディはこのプロジェクトのオーナー的な存在になった。
・ガウディは1926年、73歳のときに、市街電車との接触事故によりバルセロナで死去した。
・1980年代からの観光ブームで(入場料収入から)桁外れのお金が集まるようになり、この未完の聖堂も2026年完成の目算がついた。財政的な背景もあり、バチカンもこの教会を正式に「小バジリカ」に認定した。
参考までに、「小バジリカ」については、長崎県の大浦天主堂のHPに、次のようにある。
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大浦天主堂は、2016年4月26日、日本で初めての「小バジリカ」の称号を与えられました。
「小バジリカ」というのは、「教皇が推奨する特定の歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要で、活気に満ちた信仰共同体の中心となっている教会」のことで、全世界には約1700以上ありますが、日本ではここ大浦天主堂のみがその称号を付与されています。
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1時間半に及ぶ充実した講義であり、裏話等も披露していただきとても面白かった。来場者も熱心に耳を傾けていた。
竹橋の東京国立近代美術館へ
さて、6月17日(土)、早速、いただいた招待券で竹橋の東京国立近代美術館へと向かう。
「重要文化財の秘密展」ぶりの訪問だ。
主催 : 東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞
会期 : 2023年6月13日(火)~ 9月10日(日)
共同企画: サグラダ・ファミリア贖罪聖堂建設委員会財団
後援 : スペイン大使館
協賛 : SOMPOホールディングス、DNP大日本印刷、YKK AP
協力 : イベルドローラ・リニューアブルズ・ジャパン
学術監修: 鳥居徳敏(神奈川大学名誉教授)
巡回 : 滋賀会場:佐川美術館 2023年9月30日(土)~12月3日(日)
愛知会場:名古屋市美術館 2023年12月19日(火)~2024年3月10日(日)
まだ、展覧会が始まってちょっとしかたっていないが、土曜日の午後ということもあって、多くの人たちが訪れていた。
実は筆者は、バルセロナやサグラダ・ファミリアは数度訪れたことがある。最初に行ったのは1980年代の終わりころだった。
やはり、初めて見たサグラダ・ファミリアは一種異様な印象で、一見して、「これはすごい!」と感動したのを覚えている。
まだサグラダ・ファミリアはあまり観光客を受け入れる体制ができていたわけでもなく、フェンスで囲まれた工事現場みたいなところの横の入り口を入って、塔の1つに螺旋階段で登った記憶がある。
そして、バルセロナに存在するガウディの作品、例えばグエル公園(1900-14)、カサ・バッリョ(1904-96)、カサ・ミラ(1906-10)などをみることができた。
グエル公園などを見ても、この建築家はただものではない、という印象を強く持った記憶がある。
「1. ガウディとその時代」 『クメーリャ革手袋展ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ』
今回の展覧会は4つのセクションに分かれている。
一つ目の「1. ガウディとその時代」のところで、いきなり、予期していた万博に関連する展示があった。
『クメーリャ革手袋展ショーケース、パリ万国博覧会のためのスケッチ』(1878年 レウス市博物館)というのがそれである。(筆者は「コメーリャ」と表記していたが、今回は「クメーリャ」の表記になっていた)
このスケッチは非常に小さいものだが、ガウディ自身が名刺裏に描き留めたものであるという。
小さいが、単眼鏡を使ってみると、確かに1878年パリ万博に出展されていたものだ。
そして、その近くには19世紀後半のいろいろな万博の図版が映像で紹介される「ガウディの時代と万国博覧会」という展示もあった。
「2. ガウディの創造の源泉」 ガウディの『バルセロナ万国博覧会会場通行証』
「2. ガウディの創造の源泉」というセクションでは、1888年バルセロナ万博のときの太平洋横断社(ラ・トラサトランティカ)パビリオンに関連する展示があった。
これについては、ガウディの『バルセロナ万国博覧会会場通行証』(1888年 レウス市博物館)というもので、無帽のものは5枚しか残っていないという、写真嫌いのガウディの貴重な写真のうちの一枚が含まれている。万博史的には非常に貴重なものだと思う。
実際に見てみると、縦7.2cm、横(広げた状態で)11.2cmということで、実は思った以上に小さい。
また、この太平洋横断社パビリオンの外装パネルの展示もあった。よくこんな貴重なものが残っていたものだ。これはサグラダ・ファミリア聖堂に保管されているものらしい。
また、今回の展覧会図録には、『ガウディ:バルセロナ万博1888年、大西洋横断社館改造』という写真や、『大西洋横断社館前廊』という写真も掲載されており、大変感銘を受けた。
オーウェン・ジョーンズ『装飾の文法』
さらに、その後にはオーウェン・ジョーンズ『装飾の文法』(Day and Son社《ロンドン》 1856年 東京工芸大学中野図書館)の展示もあった。
オーウェン・ジョーンズ(1809-1874)といえば、世界最初の万博である1851年ロンドン万博の会場「クリスタル・パレス」(水晶宮)の色彩関係を担当し、クリスタル・パレスの鉄とガラスの素材をを赤、青、白、黄色で塗り分けたという建築家である(クリスタル・パレス自体の設計はジョセフ・パクストンによる)。
オーウェン・ジョーンズによる、世界各地の装飾を集大成した図案集にアルハンブラの色彩装飾があり、これがガウディの、グエル公園などに見られる破砕タイル手法の先例の一つとみなすこともできる、ということから展示がされているらしい。
洞窟ブーム
19世紀後半は実は洞窟ブームであったという。
世界各地で鍾乳洞などいろんな洞窟が発見され、話題となっていた。
万博を考えてみても、1867年パリ万博ですでに「洞窟の水族館」という展示が人気を集めていた。
この万博では、1851年ロンドン万博の「クリスタル・パレス」の約1.5倍の大きさの楕円形の巨大展示館「シャン・ド・マルス宮」が建設され、その中で蒸気機関、水力エレベーター、クルップ社の50トンの大砲、モールスの電信装置、スエズ運河プロジェクトなどが展示されていた。
この会場は、同心円の7つの回廊によって構成されていた。この回廊を円周に沿って歩くと、製品カテゴリーやテーマ別の展示が見られるようになっており、円の中心から放射線状に伸びる通路を歩くと、国別の展示が見られるようになっていた。円の中心は庭園となっており、それをとりまく形で7つの回廊状の展示スペースがもうけられていたのだ。
この万博では、それまでの、一つの巨大な建築物の中ですべてを展示するといった方式は終わりを告げ、さまざまなパビリオンがメイン会場であるこの「シャン・ド・マルス宮」周辺の庭園に建てられることとなった。
そして、その、ジャルダン(自然庭園)と呼ばれた一角に横穴を掘って作ったのがこの「洞窟の水族館」で、「淡水の水族館」、「海水の水族館」の2つに分かれていた。
「海水の水族館」のためには、毎日ノルマンディから600立方メートルの海水が運ばれたという。
今回は、その次の1878年パリ万博で再度企画された「洞窟の水族館」のイラストが展示されている。それが『1878年パリ万国博覧会における水族館風景、The Graphic紙掲載』(1878年 個人蔵)というものである。
グエル公園に行ったことのある方なら、なぜこの洞窟の水族館の絵が展示されているかわかるだろう。ガウディはこの洞窟の造形に発想を得た独創的な設計をしているのである。
「3. サグラダ・ファミリアの軌跡」
さて、この後の「3. サグラダ・ファミリアの軌跡」は、多くの模型や造形物を含むサグラダ・ファミリア(正式名称:「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」)関連展示が非常に充実している。ドローンを使った映像を含む映像コーナーも素晴らしい。映像で流れている音楽も、とても良かった。
多くの皆さんにとってはここがこの展覧会のメインだろうが、このブログでは、それは他の皆様におまかせて次に行ってみたい。
「4. ガウディの遺伝子」
「4. ガウディの遺伝子」ではガウディに影響を受けたとみられる建築家の作品などがビデオ等で紹介されている。
そこには、以前ご紹介した、磯崎新氏(1931 – 2022)の作品も紹介されていた。
『上海ヒマラヤ芸術センター』(2003-10)であり、『カタール国立コンベンションセンター』である。たしかにガウディの影響が見て取れる作品群である。
1980年代に初めて訪れたバルセロナ。そして、サグラダ・ファミリアとグエル公園などガウディの作品群。
しかし、そのガウディが万博でそのキャリアの地歩を築き、万博でもプロジェクトを手がけ、そして筆者がお世話になった日本の建築家にまで影響を与えていたのである。
個人的にも、19世紀から21世紀まで、人類の文化の継続性というものを強く感じさせる展覧会だった。