<32>「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展①

1937 Paris
ABSTRACTION展 サイン ABSTRACTION exhibition sign

「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」

東京のアーティゾン美術館で2023年6月3日から8月20日まで開催されている、

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」

という展覧会に行ってきた。

ABSTRACTION展 サイン
ABSTRACTION exhibition sign

実は、訪れたのは7月の上旬だった。3週間以上前の話である。
万博との関係をいろいろとたどっていると、結構な時間が経ってしまった。

このところネタが渋滞して、調査研究の時間も必要だったりして、なかなか執筆が追いつかない。
しかも、この展覧会は内容が充実していて図録も厚さ3センチはあろうというものである。

なので、今回は前編と後編に分けて、2回にわたってご紹介していきたい。

アーティゾン美術館へ

この美術館には結構頻繁に訪れている。

東京駅八重洲口から八重洲通りを行くとすぐだし、京橋駅や日本橋駅からも近い。

訪れるたびに、この美術館の所蔵する作品群がとても充実していることを感じる。いろいろな重要作家の重要な作品を多数所蔵されている。
そういうこともあって、見応えのある企画展を頻繁に開催できるのだろう。

今回は「ABSTRACTION」ということで抽象絵画がテーマである。

相当な期待を持って訪れてみた。万博関連の展示も期待できそう(?)である。

ABSTRACTION展 サイン
ABSTRACTION exhibition sign

展覧会の構成

今回の展覧会は、次のような12のSectionによる構成となっている。

Section 1 抽象芸術の源泉

Section 2 フォーヴィスムとキュビスム

Section 3 抽象絵画の覚醒 ― オルフィスム、未来派、青騎士、バウハウス、デ・ステイル、アプストラクシオン=クレアシオン

Section 4 日本における抽象絵画の萌芽と展開

Section 5 熱い抽象と叙情的抽象

Section 6 トランス・アトランティック ― ピエール・マティスとその周辺

Section 7 抽象表現主義

Section 8 戦後日本の抽象絵画の展開(1960年代まで)

Section 9 具体美術協会

Section 10 瀧口修造と実験工房

Section 11 巨匠のその後 ― アンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュ、ザオ・ウーキー

Section 12 現代の作家たち ― リタ・アッカーマン、鍵岡リグレ アンヌ、婁正綱、津上みゆき、柴田敏雄、高畠依子、横溝美由紀

Section 1 抽象芸術の源泉

Section 1では、ポール・セザンヌ、エドゥアール・マネ、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーガン、クロード・モネ等の当館所蔵の作品が展示されている。当館所蔵の作品だけでSectionが構成できるのはやはりすごい。これらの作家も、それぞれ万博に関連する人たちである。

セザンヌ『サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール
Cézanne “Mont Sainte-Victoire and Château Noir”

モネ『黄昏、ヴェネツィア』
Monet “Twilight, Venice”

Section 2 フォーヴィスムとキュビスム

Section 2では、アンリ・マティスなどの作品が展示されている。そのうちの一枚が『コリウール』(1905年、”Collioure”)というもので、<26>現在開催中の「マティス展」とマティスの万博出展作品 でご紹介した『コリウール風景』(1905年、”Paysage de Collioure”)と近いタイトルのものである。

マティス『画室の裸婦』
Matisse “Nude in the Studio”

マティス『コリウール』
Matisse “Collioure”

今回の図録には次のようにある。


コリウールは地中海浴前にあるスペイン国境近くの港町。1905年5月から9月まで、マティスは、友人で画家のドランとともにここに滞在し、それまでの点描から自由な賦彩による表現へと画風を変化させていった。

それで、1905年付近にこの「コリウール」という名のつく作品が何点かあるということだろう。

『コリウール風景』(メナード美術館蔵)の調査結果

ちなみに、先日の<26>では、今回、東京都美術館で開催中の「マティス展」に出品されている『コリウール風景』(メナード美術館蔵)が、1937年パリ万博の「巨匠展」(1937年パリ万博の一環として、6月から10月まで開催された「独立美術の巨匠たち1895-1937展」)に出品されたものかどうか、ということについて調べた。

「巨匠展」資料には『コリウール風景』はCollection Molyneux(モリヌー・コレクション)のもの、とあるので、メナード美術館蔵の作品が「巨匠展」に出品されたものであれば、Collection Molyneux(モリヌー・コレクション)のものであったという履歴が残っているはずである。

実は、その点についてメナード美術館にメールで問い合わせてみていた。

先日ご丁寧に返事をいただいた。いただいた内容を要約すると、

「メナード美術館所蔵の、マティス《コリウール風景》については、1937年のパリ万博への出品やモリーヌ・コレクションのものであったということは、現在の調査では、確認できなかった。」ということであった。

ということで、今回、東京都美術館で開催中の「マティス展」の『コリウール風景』(メナード美術館所蔵)は、1937年パリ万博出展作ではない、というのが一応の結論といえるだろう。

メナード美術館のご担当者の方には、お忙しい中お調べいただき、深く感謝申し上げたい。

パブロ・ピカソの『女の胸像(フェルナンド・オリヴィエ)』(1909年 “Bust of Woman (Fernande Olivier)、個人蔵)

さて、今回の「ABSTRACTION」展に戻ろう。

このSection 2にはマティスのほか、アンドレ・ドラン、モーリス・ヴラマンク、ジョアン・ミロなどの作家の作品が展示されている。

そして、パブロ・ピカソ(1881-1973)の作品も4点展示されている。

そのうちの1枚『女の胸像(フェルナンド・オリヴィエ)』(1909年 “Bust of Woman (Fernande Olivier)、個人蔵)が目を引く。(写真撮影禁止作品だったので、写真は残念ながらご紹介できない)

図録解説には次のようにある。


フェルナンド・オリヴィエは、ピカソの初期を代表するモデルで、1907年から1909年にかけて、多くの作品でモデルをつとめている。

このフェルナンド・オリヴィエについては、Wikipediaの英語版には次のようにある。


Olivier was Picasso’s first muse. In the spring and summer of 1906, following some sales of artwork, the couple were able to finance a trip to Barcelona and to the remote village of Gósol in the Spanish Pyrenees. In Barcelona Fernande was introduced to Picasso’s family and local friends. In Gósol Picasso worked prolifically including executing several portraits of Fernande. Later, among his most notable works of his Cubist period from 1907 to 1909, several were inspired by Olivier. These include Head of a Woman (Fernande).He later admitted that one of the “Demoiselles d’Avignon” was modeled after her.

(和訳)オリヴィエはピカソの最初のミューズであった。 1906 年の春と夏、美術作品が売れて、ふたりはバルセロナとスペインのピレネー山脈の人里離れた村ゴソルへの旅行資金を調達することができた。 バルセロナではフェルナンドはピカソの家族や地元の友人に紹介された。 ゴソルでは、ピカソはフェルナンドの肖像画を数点制作するなど、多作な制作活動をおこなった。 その後、1907 年から 1909 年にかけてのキュビスム時代の最も注目すべき作品の中には、オリヴィエからインスピレーションを受けたものがいくつかあった。 これらには、女性の頭 (フェルナンド) が含まれます。彼は後に、『アヴィニョンの娘たち』の一人が彼女をモデルにしたことを認めた。(太文字は筆者による。以下同)

『アヴィニョンの娘たち』(1907年)といえば、ピカソの代表作の一つだろう。

この作品はバルセロナのアヴィニョン通りにあった娼婦宿の娼婦5人を描いたものといわれる。

そしてまた、この作品はキュビスムの発端とされる記念碑的な作品である。

さて、この作品については、新しい発見(!?)もあり、また、近々、別途詳しくご紹介することにしたい。

オシップ・ザッキン『母子』(”Mother and Child”)

そして、万博関連では、彫刻家オシップ・ザッキン(Ossip ZADKINE 1890-1967の作品もあった。

今回展示されているのは、『母子』(”Mother and Child”という作品だ。

ザッキン『母子』
Zadkine “Mother and Child”

アーティゾン美術館から、八重洲通りを佃リバーシティ方面に向かうと、隅田川にぶつかる。

そこにかかっているのが中央大橋である。

その中央大橋の真ん中あたりに川上を向いて立っているのが、1937年パリ万博に出品されたものと同じ、オシップ・ザッキン『メッセンジャー』という立像である。

『メッセンジャー』は隅田川の川上を向いて設置されているので、中央大橋からはその後ろ姿しか見えない。

ザッキン『メッセンジャー』
Zadkin “Messenger”

像の後ろに設置されている解説版によると、次のようにある。


当時の万国博覧会の案内書によるとこの作品は『稀少木材を求めて海外に船を派遣するフランスの守護神を表したもの』とされている。『メッセンジャー』は、パリ市の紋章にも描かれている帆船を思わせる船を抱いている。

パリ市は東京都と姉妹都市(1982年~)であり、セーヌ川は隅田川と友好河川(1989年~)となっている。この作品はそういった関係で、親日家で有名で、普通の日本人も知らないような日本の山奥の温泉に行くのが趣味だったというジャック・シラク パリ市長(当時)から東京都に友好の印として贈られたものである。今も、パリ・セーヌ川のアンバリッド橋近くの左岸にある公園にも同じザッキンの『メッセンジャー』が立っているのである。

そして、オシップ・ザッキンは、この『メッセンジャー』以外にも1937年パリ万博に作品を出展していた。

それは、マティスの回でご紹介した、上記1937年パリ万博「巨匠展」への出展だった。

<26>現在開催中の「マティス展」とマティスの万博出展作品 でもご紹介した「独立美術の巨匠たち1895-1937展」のカタログによると、ザッキンはこの展覧会にも出展している。

Catalog, Les Maitres de L’Art Indepéndant 1895-1937

部屋番号は39。そして47点もの作品を出展していたのであった。

この中には『メッセンジャー』や、今回の『母子』は含まれていない。

筆者調査では、『メッセンジャー』は、この「巨匠展」ではなく、「森のパビリオン」(Le Pavillon des Bois)に出展されていた、と思われる。

Section 3 抽象絵画の覚醒 ― オルフィスム、未来派、青騎士、バウハウス、デ・ステイル、アプストラクシオン=クレアシオン

 このセクションでは、なんといってもバウハウス(1919-1933関連の展示が興味を引く。

『バウハウス・ジャーナル』2巻、2/3号
“Bauhaus Journal”, vol.2, no.2/3

ヴァシリー・カンディンスキー、パウル・クレーといったバウハウスゆかりの作家たちの作品もある。

1930年からバウハウスの第3代校長も務めた高名な建築家であり、192930年バルセロナ万博「ドイツパビリオン」を設計した、ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969がかつて所蔵していたパウル・クレーの「島」(Islandも展示されていた。

クレー『島』
Klee “Island”

(<33>につづく)

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