<82>アレクサンダー・カルダー展と万博

1937 Paris
アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

麻布台ヒルズギャラリーで開催中のアレクサンダー・カルダーの展覧会

東京港区に2023年オープンした麻布台ヒルズ
その麻布台ヒルズギャラリーアレクサンダー・カルダーの展覧会が開催されている。

カルダー:そよぐ、感じる、日本

という展覧会で、会期は2024年5月30日(木)ー2024年9月6日(金)である。

アレクサンダー・カルダー展サイン photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 入り口付近 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展ポスター photo©️Kyushima Nobuaki

万博金賞受賞者による設計

麻布台ヒルズといえば、2010年上海万博の英国館を設計したヘザウィック・スタジオが、独特なデザインの低層部を設計した万博にも繋がりのある建築物である。

「麻布台ヒルズ/低層部」
Azabudai Hills/Lower Levels
ヘザウィック・スタジオ《エアロ》
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 – 非営利 – 改変禁止 4.0 国際」ライセンスの下で許諾されています。

ヘザウィック・スタジオは上海万博の英国パビリオンとして『種子聖殿』をデザインし、「パビリオンカテゴリーA」(大型パビリオン)の「パビリオンデザイン」部門で金賞を受賞した。
この辺りの話は<13>話<14>話で詳しくご紹介した。

2010年上海万博英国館
UK Pavilion, 2010 Shanghai Expo
ヘザウィック・スタジオ《エアロ》
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 – 非営利 – 改変禁止 4.0 国際」ライセンスの下で許諾されています。

また、2023年11月にニューヨーク視察の際に訪れた、これまた独特のデザインである『ヴェッセル』、『リトル・アイランド』についても<65>でご紹介した。

『ヴェッセル』
“Vessel”
photo©️Kyushima Nobuaki

『リトル・アイランド』
“Little Island”
photo©️Kyushima Nobuaki

ご興味のある方はそちらをご覧いただきたい。

アレクサンダー・カルダーと万博

さて、アレクサンダー・カルダーである。

アレクサンダー・カルダー展 入り口付近photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー(1898-1976)は、アメリカ・ペンシルベニア州出身の彫刻家・現代美術家である。
特に、天井から吊り下げられたりして設置された、動く彫刻「モビール」で有名である。

今回の展覧会ではその「モビール」作品を多く鑑賞することができる。
また、普段あまり語られない絵画作品や動かない、抽象的な彫刻「スタビル」も多く展示されている。
絵画はどことなくジュアン・ミロのテーストに似ている作品も多い。

ピカソ、ミロ、カルダーの3人が参加したスペイン共和国パビリオン

ジュアン・ミロ(1893-1983)といえば、スペインを代表する20世紀の画家の一人であり、1970年大阪万博にもその作品を展示した。
この辺りの話は、<9>話でくわしくご紹介した。

ジュアン・ミロ『無垢の笑い』
Joan Miró “Innocent Laughter”

そして、それ以前、1937年パリ万博では、スペイン共和国パビリオンにおいて、ピカソの『ゲルニカ』と同じパビリオンにて、『刈り入れ人』(現在消失)という作品を展示した。

スペインは1934年12月に正式な参加要請を受けていたが、1936年7月、内戦が勃発し、そのせいで準備が大幅に遅れてしまう。
1937年パリ万博は5月25日〜11月25日までの開催だったが、スペイン共和国パビリオンがオープンしたのはその約2ヶ月遅れの7月12日のことだった。

そして、そのスペイン共和国パビリオンに、カタルーニャ出身のアーティスト3人 ー ピカソ、ミロ、そして彫刻家ジュリ・ゴンザレス(1876-1942) ー と並んで、もう一人、作品を展示したのがアレクサンダー・カルダーだった。

カルダーはスペイン共和国政府から要請を受けて、フランコ軍に抵抗する意思を込めてスタビル『水銀の泉』を制作したのである。
この作品は、スペイン共和国パビリオンのホールに、ピカソの『ゲルニカ』とともに展示された。

その写真は今でも残っている。
ちなみにこの『水銀の泉』は、残念ながら今回の展覧会には展示されていなかった。
この作品は現在、スペイン・バルセロナの「ミロ美術館」に展示されているのである。

1939/40年ニューヨーク万博でも作品を展示

アレクサンダー・カルダーは1939/40年ニューヨーク万博でも、サルヴァドール・ダリ、イサム・ノグチらとともに作品を展示した。
その話は<68>話に書いたとおりである。

また、1964/65年ニューヨーク万博でもメトロポリタン美術館のジェームズ・ロリマー、ニューヨーク近代美術館のルネ・ダルノンクール、そしてブルックリン美術館のトーマス・ブフナーの3氏からなる「彫刻委員会」(Committee on Sculpture)からオファーを受けたが、カルダーはイサム・ノグチとともに「ノーレス」だったらしく、この万博には参加することはなかったのである。(<58>話参照)

1970年大阪万博とカルダー

そして、1970年大阪万博

これを機会に開催された「万国博美術展 調和の発見」
世界各地から古代から現代美術まで様々な作品が展示された大展覧会である。
この展覧会は5つのセクションに分かれているが、最後のセクションは「V 現代の躍動」というタイトルがつけられている。

1970万国博美術展図録表紙
photo©️Kyushima Nobuaki

この歴史に残る「万国博美術展」の「V 現代の躍動」において、アレクサンダー・カルダーは、『五つの赤い弧』(1948年ごろ、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館所蔵)という作品を展示したのであった。

今回の展覧会では、万博に出展された作品は残念ながら展示されていないようだったが、カルダーの初期の作品から晩年の作品にいたるまで、「モビール」のみならず、「スタビル」、そして絵画作品も堪能できる。

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

アレクサンダー・カルダー展 会場内の様子 photo©️Kyushima Nobuaki

日本でアレクサンダー・カルダー展が開催されるのは35年ぶりだということで貴重な機会である。

ぜひ一度足を運んでみられることをお勧めする。

アレクサンダー・カルダーの父親と1900年パリ万博

さて、ここで話は一世代上の時代へと遡る。

アレクサンダー・カルダーは彫刻家アレクサンダー・スターリング・カルダー(Alexander Stirling Calder、1870 – 1945)の息子として生まれた。

そして、このスターリングも万博に参加していたのである。

1900年パリ万博ではグラン・パレで1889年から1900年の美術を展示した「10年展」が開催された。

そして、そのカタログをチェックすると、アメリカ・キューバの「メダルや上質な石への彫刻」のセクションの「16」に『Chant de la vague(波の歌)』という作品をアレクサンダー・スターリング・カルダーが出展した記述を認めることができる。

アレクサンダー・スターリング・カルダーと1915年サンフランシスコ万博

また、彼は1915年サンフランシスコ万博にも参画した。
この万博には渋沢栄一も訪れている。

この時は、この万博の彫刻プログラムの主任代理に任命されたのである。

そしてこの万博のために、スターリングは『The Nations of the East (東の諸国家)』『The Nations of the West (西の諸国家)』という巨大な彫刻群と、『The Fountain of Energy(エネルギーの泉)』という噴水を完成させている。

アレクサンダー・スターリング・カルダー『エネルギーの泉』(1915年サンフランシスコ万博)

アレクサンダー・スターリング・カルダー『エネルギーの泉』(1915年サンフランシスコ万博)

アレクサンダー・スターリング・カルダー『エネルギーの泉』(1915年サンフランシスコ万博)

親子2代にわたって万博に出展したアーティストとしては、エリエル、エーロのサーリネン親子のことが思い起こされる。

他にもそういった事例はあるかもしれない。これからも引き続き調査していきたいところである。

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