<84>MLBベースボール「オールスター・ゲーム」の始まり

1933/34 Chicago
1933年シカゴ万博ポスター

2024年MLBオールスター・ゲーム

今年もMLBオールスター・ゲームの季節がやってきた。

MLBオールスター・ゲームとは、メジャー・リーグ・ベースボール(MLB)を構成する2つのリーグ(アメリカン・リーグナショナル・リーグ)から、ファン投票や監督推薦などで選ばれた選手たちによる「一夜限り」のドリームチーム同士の対抗試合である。

今年2024年は現地時間7月16日午後8時(日本時間7月17日午前9時)に開催される。

「二刀流」の大谷翔平選手、今年は右肘手術後のため投手としての活動を行なっていないが、今年も特に6月に入ってから絶好調で、3冠を目指せる成績を残しており、オールスター・ゲームでのDHとしての活躍が今から楽しみである。
昨年まではアメリカン・リーグのメンバーとしての出場だったが、今年はナショナル・リーグメンバーとしての出場となる。
開催地はテキサス州アーリントンのグローブライフ・フィールドである。

NHKのBS放送では毎日のように大谷選手の試合がライブで放送され、多くの日本人も楽しみにしている。
2024年5月29日の「ドジャース対メッツ」の試合中継、ならびにメッツの本拠地であるニューヨークの「シティ・フィールド」(Citi Field)については<73> 話でご紹介した。

シティ・フィールド
Citi Field
photo©️Kyushima Nobuaki

オールスター・ゲームについてもいろいろな前情報が各メディアで流され、期待は高まるばかりである。

さて、そんなMLBオールスター・ゲームだが、意外と思われるかもしれないが、じつはその第1回は1933/34年シカゴ万博の付属イベントとして開催されたものであった。

1933/34年のシカゴ万博

1933/34年のシカゴ万博は、大不況の真っ最中に開催された。

このシカゴ万博は、正式には「『進歩の世紀』万博」といわれ、会場内には、エア・コンディションや蛍光灯によって初めて可能になった窓のない建築物が立ち並び、「フラー・ドーム」で有名なアメリカの思想家であり技術者でもあったバックミンスター・フラーの「ダイマクション・カー No.3」という、低燃費の自動車が走り回っていた。流線型で三輪、11人乗りの一種のエコ・カーである。

1933年シカゴ万博ポスター
Poster of 1933 Chicago World’s Fair
photo©️Kyushima Nobuaki

1933年シカゴ万博ポスター

1933年シカゴ万博ポスター

1933年シカゴ万博ポスター

しかし、ともかく景気が悪かった。
この万博は、アメリカ連邦予算に頼らずに、株式を発行して資金を調達しようとしていたのだが、株式発行開始の日が、歴史に残る1929年10月24日のニューヨーク株式市場における株価大暴落の前日という、前途多難なスタートだったのである。

それ以後、アメリカでは経済不況が続き、世界恐慌まで引き起こした。1000万人以上の失業者を生み、シカゴ万博が開催された1933年は、フランクリン・ルーズベルト大統領がニュー・ディール政策を開始した年でもあった。

万博でも抽選付前売入場券を発行して、なんとか事前の収入を確保しようとしたりしていた。
このような暗い時代にあって、人々に明るい興奮を与えたのが、シカゴ万博のイベントの一つとして開催された「オールスター・ゲーム」だった。

少年の投書とベーブ・ルース

万博から離れて現在も残るこのビッグ・イベントは、一説によると、「シカゴ・トリビューン」紙に届いた一人の少年の投書がきっかけだったという。
この投書の存在は現在確認できないため、この説は疑わしいとする向きもあるが、
その説によると、その手紙には、「ア・リーグ(アメリカン・リーグ)のベーブ・ルース(ヤンキース)が、ナ・リーグ(ナショナル・リーグ)のカール・ハッベル(ジャイアンツ)の球を打つような試合が見たい」と書かれていたという。
メジャー・リーグは各リーグに分かれてチャンピオンを決めるため、勝ち抜いてワールド・シリーズにたどり着かなければ、この二人の対戦は見ることができなかったのである。

そんな少年の声に応えて実現したのが、第1回「オールスター・ゲーム」であった。
記念すべきこの試合は、シカゴ万博のイベントとして、1933年7月6日午後1時15分に開幕した。
このシカゴ万博の正式名称は、前述したように、「『進歩の世紀』万博:A Century of Progress, International Exposition」だったが、この「オールスター・ゲーム」は、「世紀のゲーム:Game of Century」といわれた。

会場となったシカゴのコミスキー・パークは、4万7595人もの観客で埋めつくされていたという。
3回裏、タイガースのゲリンガーがファーストに出塁した場面で、ベーブ・ルースが登場する。

ベーブ・ルースは大谷選手と同様「二刀流」として活躍したことで有名だが、オールスター・ゲームには打者として登場し、投書した少年の期待に応えるように、大会史上1本目のホームランを右スタンドに打ちこみ、4対2でア・リーグがナ・リーグを下したのであった。

この、歴史に残るイベントを創設することになったシカゴ万博は、苦しい環境下で開催されたにもかかわらず、株式も万博開催前年までに、なんとか774万株が売れ、結果的には黒字を残すという偉業を成し遂げることになるのである。

1969年に創設された「モントリオール・エキスポズ」

メジャー・リーグと万博の関係は、その後の1967年、カナダのモントリオール万博にも続いた。
この万博にちなんで名づけられ、1969年に創設された「モントリオール・エキスポズ」は、カナダの野球チームでありながら、外国チームとして初めて同年、アメリカのメジャー・リーグ(ナショナル・リーグ)に加盟した。しかしその後2005年、本拠地をゆかりのカナダ・モントリオールからアメリカの首都ワシントンD.C.に移すことになり、名称も「ワシントン・ナショナルズ」に改称している。

今年は大谷選手もベーブ・ルースと同じように「二刀流」ながら、「打者」としてオールスター・ゲームに臨むわけであるが、シカゴ万博の時のベーブ・ルースのようにぜひホームランをスタンドに打ち込んで、ナショナル・リーグの勝利に貢献して欲しいものである。

 

 

タイトルとURLをコピーしました