<92>アーティゾン美術館「空間と作品」展①

1929~30 Barcelona
「空間と作品」展 サイン

アーティゾン美術館「空間と作品」展

現在東京・京橋のアーティゾン美術館「空間と作品 作品が見てきた景色をさぐる」展が開催されている。
開催期間は2024年7月27日〜10月14日まで。

アーティゾン美術館外観
photo©️Kyushima Nobuaki

「空間と作品」展サイン
photo©️Kyushima Nobuaki

今回は、石橋財団コレクション144点で構成された展覧会であり、やはり所蔵作品だけでこれだけの展覧会を企画できるというのはさすがというべきであろう。

この展覧会では、作品を「発注した人」、や「所蔵していた人」、さらには額縁にもスポットが当てられていてなかなか興味深い。

万博関連の人物が所蔵していた作品

作品を所蔵していた人物のなかには、万博関連の人物も登場している。

パウル・クレー(1879-1940) 『島』(”Island”)

たとえば、パウル・クレー(1879-1940)『島』(”Island”)という作品である。
この作品は1932年に制作された。その後1935年にバーゼルのクンスト・ハレで開催された大規模な回顧展に出展され、その後アメリカにわたり、ミース・ファン・デル・ローエが所蔵していたということだ。
ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)といえば、言わずと知れた20世紀を代表する建築家の一人である。
バウハウスではクレーと同僚であった。

パウル・クレー(1879-1940) 『島』(”Island”)

万博関連では、1929~30年に開催されたバルセロナ万博で後世まで語る継がれるほどの評判を得た「ドイツ館」を設計している。
また、その「ドイツ館」にはこれも彼がデザインした「バルセロナチェア」も置かれていた。

このバルセロナ万博であるが、29カ国が参加し、580万人の来場者を記録した。会場は、今も人々を集めるモンジュイックの丘のあたりである。
1888年の万博を成功させたバルセロナは、その後1905年には、電化と工業化の目覚ましい成果をアピールするために再度万博を企画、第1次世界大戦で一度は立ち消えになったものの、その後この万博企画を復活させ、1929~30年に実現にこぎつけたのである。

このバルセロナ万博の「ドイツ館」は万博終了後、解体・撤去されたが、評価が高かったこともあり、ミース生誕100周年の1986年に万博会場跡地の同じ場所に復元されている。

さて、ほかにも万博関連の人物が所蔵していた作品が展示されているが、それは次回<93>に譲るとして、他の万博関連作品を見てみよう。

岡田三郎助(1869-1939)『婦人像』

この作品は1907年(明治40年)東京勧業博覧会で1等賞を受賞した作品である。
三越呉服店のポスターにも使われたりした。

この作品は筆者などは子供の頃、記念切手でお馴染みであった。
多分、まだ持っている、と思う。

岡田三郎助『婦人像』

東京勧業博覧会については、このブログでも<47><48><49>夏目漱石『虞美人草』と博覧会でご紹介したとおり、夏目漱石の『虞美人草』の舞台にもなった、かなり大規模な、評判になった国内の博覧会である。

『虞美人草』からは、東京にいる人々の間でも「博覧会にいったか?」「博覧会で台湾館は見たか?」といった会話が普通にかわされるほど、この博覧会は大人気を博していたことがわかる。
入場者数も680万人と、国内開催の博覧会では過去最大の規模であった。

その大人気だった東京勧業博覧会で1等賞を受賞した作品ということである。
モデルは高橋千代という女性で、この絵の発注者の高橋義雄という実業家の妻であった。

ピカソ、ロートレック、マティスなど

その他にもこのブログでもご紹介した万博関連の作家の作品が展示されている。

ロートレック『サーカスの舞台裏』、『騎手(I)』

ロートレック『サーカスの舞台裏』

ロートレック『騎手(I)』

ピカソ『道化師』『腕を組んですわるサルタンバンク』

ピカソ『道化師』

マティス『コリウール』、『オダリスク』

マティス『コリウール』

黒田清輝『ブレハの少女』

黒田清輝『ブレハの少女』

モネ『睡蓮の池』

モネ『睡蓮の池』

瀧口修造『無題』

瀧口修造『無題』

 

いずれもこのブログでご紹介した作家である。
リンクを貼っておくので、ご興味のある方はぜひご一読いただきたい。

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