国立新美術館で開催されている蔡國強展
今週は暑い日が続き、いよいよ梅雨が明けたか、という感じで、あまり外を歩き回る気分でもなかったが、六本木の国立新美術館で「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」が開催されていると聞き、これは是非行かねば!ということで行ってきた。
この国立新美術館は、黒川紀章(1934-2007)の設計である。2007年1月の開館である。
黒川紀章については22話「中銀カプセルタワービルと『アビタ67』」で少し触れたので、ご参照いたただければ幸いである。
さて、今回の蔡國強氏の展覧会はその黒川紀章設計の美術館で行われることとなった。
会期:2023年6月29日(木) ~ 2023年8月21日(月)(毎週火曜日休館)
主催:国立新美術館、サンローラン
蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい こっきょう 1957〜)といえば、火薬の爆発を使ったアートで有名な中国福建省出身の現存アーティストである。
有名なところでは、2008年北京オリンピックの開会式の花火を使ったアート、そして(これもずいぶん昔のことになってしまったが)、2001年、上海で開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)のクロージング・イベントの黄浦江でのパフォーマンスなどがある。
前者はテレビライブ放送で全世界に放映された。オリンピックの開会式ということでご覧になった読者も多いだろう。
また、後者についてはNHKだったと思うが日本のテレビ局も特集を組み、筆者もその番組を見た覚えがある。
蔡國強氏が、ご自分がプロデュースした大規模な花火パフォーマンスを見ながら「作品になったよ!」と何度も嬉しそうに日本語で叫んでいらっしゃったのが今でも記憶に残っている。
蔡國強氏は1986年から1995年まで日本で過ごしたアーティストであり、今回の展覧会でも第5のセクションで詳しく紹介されているが、福島県いわき市に住み、いわき市の皆さんとずっと交流してきた人物である。
今回の展覧会は、前述のように六本木の国立新美術館で開催されているが、筆者と助手0号は平日朝10時に行ったにも関わらず、多くの人たちが詰めかけていた。
展覧会は5つのパートに分かれている。
- <原初火球>以前:何がビッグバンを生んだのか?
Pre-Primeval Fireball: What Gave Birth to the “Big Bang”?
- ビッグバン:<原初火球:The Project for Projects>1991年2月26日〜4月20日
“Big Bang”: Primeval Fireball : The Project for Projects, February 26-April 20, 1991
- <原初火球>以後
Post-Primeval Fireball
- <原初火球>の精神はいまだ健在か?
Is the Spirit of Primeval Fireball Still Alive?
- 蔡國強といわき
Cai Guo-Qiang and Iwaki
1〜4までのタイトルに使われている<原初火球>とは何のことだろうか?
これは中国語で「ビッグバン」(の原始の火の玉)のことで、1991年に東京で開催された蔡國強の個展のタイトルでもある。
なので、その個展以前、個展、個展開催後、という流れで作品が展示されている、ということだろう。
火薬を用いたアート、ビデオ、写真、パフォーマンスに用いたオブジェなど多様な作品群で構成されており、思わず見入ってしまう。
なにしろ、発想がすごい。
『未知との遭遇』
『外星人のためのプロジェクト』
『万里の長城を一万メートル延長する』
など、タイトルを見ただけでも、どんなプロジェクだろう、と興味を持ってしまう。
万里の長城を延長する、それも1万メートルも! なんて、そんなことをよく考えつくものだ、と驚いてしまう。
蔡國強氏は宇宙的な視点をもったアーティストである、といえるだろう。
筆者と蔡國強氏のニューヨークでの接点
さて、ここからはちょっと個人的な話になる。
筆者が蔡國強氏と初めて会ったのは1999年の6月29日のことだった。
場所はニューヨーク・SOHOの彼のオフィス。
2005年「愛・地球博」のための企画を模索していた筆者は、ニューヨークに行った機会に、とあるアートプランナーの方に推薦・紹介していただき、蔡國強氏に会いに行った。奥様もいらっしゃった。
『キノコ雲のある世紀:20世紀のためのプロジェクト』
最初にそのアートプランナーの方に蔡國強氏の作品集を見せていただいた時は、『キノコ雲のある世紀:20世紀のためのプロジェクト』というシュールな写真に何か特別なものを感じた。
作家が何か発火筒のようなものを持っていて、そこから上に向かって2〜3メートルの白い雲のような煙が伸びている。
実はそれは原爆のキノコ雲を表したものだった。
今回の展覧会図録には「エネルギーを凝縮した爆発 ― そして感謝の思い」という作家自身の文章が掲載されているが、その中には次のようにある
*
…私はネバダ核実験場に入る許可申請を行なった。そこで、爆竹の火薬を詰めた管を手に持ち、小さな「キノコ雲」を作ったのだ。それは「アメリカの世紀」である20世紀に対する敬意であると同時に、20世紀を代表する視覚表象は現代アートなのか、それとも巨大なキノコ雲なのか、という問題提起でもあった。
かくなる挑発的な問いかけが、渡米した私の最初の作品であり、私のアメリカにおけるデビューとなった。この作品は核の力が象徴する人類文明の危機を訴えるだけではなかった。人類の宇宙への憧憬、優秀な異星文明の探求、人類が直面する危機の超克の一助として構想した<外星人のためのプロジェクト>と呼応するものでもあった。
*
当時は、その写真について、ここまでの詳しい解説はなかったが、写真を見て、なんとなく、万博という人類史上の大イベントにふさわしいアーティストではないか、という直感はあった。
そこで、蔡國強氏に万博の企画のことについてご相談することにしたのだ。
彼は日本に住んでいらっしゃったことがあり、日本語も話せるため、日本語でいろいろとお話をお伺いした。
アーティストというと、どうも気難しい人ではないかと身構えてしまうが、実際にお会いしてみると、非常にフレンドリーな方で、まったく偉ぶっていない。
もう24年前の話なので、具体的にどんな話になったか詳しいところまでは覚えていないが、「愛・地球博」にご興味をもってもらうことには成功したのではないかと感じた。
ちなみに、万博亭を捜索したところ、当時ニューヨークにあった、蔡國強氏の白い壁のがらんとしたオフィスの板張りの床に、直に座ってあぐら姿で一緒に打ち合わせしている様子の写真が出てきた。さすがにご本人の承諾なしにご紹介はできないが、懐かしい写真だ。
「愛・地球博」に向けた企画
さて、「愛・地球博」という日本で開催される万博で、なぜ中国人のアーティストを起用したいと思うのか、疑問に思う方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、そもそも万博というのは国際的なイベントである。
外国人がそれなりの役割を果たすこともある。
例えば、1876年米国フィラデルフィア万博。アメリカ独立100周年というまさに国家的なイベントの開会式のための「アメリカ独立100周年記念行進曲」を作曲したのはアメリカの作曲家ではなく、ドイツのリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)だった。
アメリカ独立100周年を祝う曲をドイツ人に依頼したのである。
また、実際、2005年「愛・地球博」で毎夜行われた万博協会主催の「こいの池―ナイトイベント」も、アメリカ人であるロバート・ウィルソン氏(1941- )による演出で、チームも多くが外国籍の人たちだった。
このように、万博の公式な役割に外国籍の人物を起用するのは珍しいことでもなく、しかも、蔡國強氏は日本で長く生活し、日本でアーティストとしての地歩を築いた人物である。
今回の展覧会図録に収録されている蔡國強氏自身による論文にも下記のようにある。
*
…1995年9月、私はアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)から日米交流プログラムの日本人作家枠で助成を受け、ニューヨークに移り住んだ。
*
このように日本と密接な関係をもったアーティストを万博で起用するというのは万博の精神からしても望ましいことではないだろうか。我々はそう思っていた。
さて、次に蔡國強氏とお会いしたのは東京。時間は流れて2003年の1月6日。蔡国強氏の来日に合わせ、東京で企画打ち合わせを行った。
今回は、具体的に、開会イベントについての企画をお願いすることにしていた。
そして、2月7日には、愛知県の万博会場予定地へ行って現地視察までおこなっていただいた。
会場予定地の一部だった「海上の森」(かいしょのもり)の中を一緒に歩きながらいろいろとお話できたのもいい想い出だ。
その時は大きく2つの素晴らしい案を出していただいた。
しかし、残念ながら、諸事情でそれらが「愛・地球博」で実現することはなかったのである。
そして、「愛・地球博」は2005年9月25日、無事成功裡に幕を閉じた。
2008年北京オリンピック開会式
時は流れ、「愛・地球博」の次の大きな国際的イベントとして、2008年北京オリンピックが開催された。
自宅でテレビで開会式の様子を見ていた筆者は、
「あれっ!?」
と思わず椅子から身を乗り出していた。
北京の「鳥の巣(Bird’s Nest)」と呼ばれる「北京国家体育場」が開会式の会場だった。
この独特なデザインの建物は、国際コンペの結果、スイスの建築ユニットであるヘルツォーグ&ド・ムーロンが設計した。
大きさは330m×220m、高さは69.2mである。
この巨大なスタジアムを舞台に、開会イベントはとり行われた。
ビッグフット
カウントダウンが終わり、開会イベントが始まると、「鳥の巣」の上部から花火が一斉に上がった。そしてそのあと、少し離れたところから、巨人の足跡のようなものが、順番に夜空に形作られ、まるで巨人が空を歩いて会場にやってきているかのような演出があった。
実は、これはまさに「愛・地球博」時に蔡國強氏が提案してきた案の一つだったのだ。
当時、我々はこの提案を受け、まさに世紀のイベントである万博「愛・地球博」に相応しいアイデアであると思い、是非実現したい!と考えていた。
しかし、前述のように諸事情により実現はかなわなかった。
ところが、3年後の北京オリンピックで蔡國強氏はそれを実現させてみせたのだ。
筆者はテレビを通じて見たのみではあるが、この演出は実に素晴らしいものだった。
今回の展覧会図録にご本人もこう書いている。
*
私の名をより一層国際的に知らしめるようになったのは、2008年の北京オリンピック開幕式での打ち上げ花火《歴史の足跡》だった。人類の国境など目もくれない外星人の足跡というコンセプトは「原初火球」展において最初に着想したものだが、ついに天空を闊歩する巨人の物語として実現したのだ。
*
今回の展覧会をみると、確かにこのアイデアは1991年の「原初火球」展の時にすでに
No.6 《大脚印:ビッグフット》
として構想されていたものだ。
1991年に着想して2008年に実現する。
時間的にも壮大なプロジェクトだ。
「愛・地球博」で実現できなかったのはたいへん残念だったが、こうやって世界の注目するオリンピックという場で長年の構想が実現できた、という場面をリアルタイムでみることができたのは幸いだった。
ちなみに、筆者はテレビで見ていたが、その「足跡」たちが、都市の中であるにもかかわらず、あまりにきれいにできていたので、テレビ上の演出で、CG等を使ってなんらか合成して放送したのではないかという疑問をずっと持っていた。
しかし、今回の展覧会のビデオ
『E 歴史の足跡:2008年北京オリンピック開会式のための花火』
というのを見て確認したところ、
実際に地上から、戦車くらいの大きさの特殊な発射台から発射されていることがわかった。
これは発射台を何台も作って何回もリハーサルをやり、映像をどこから撮るかといった緻密な計画に基づく、とても大変なプロジェクトだったに違いない。
ちなみに、「愛・地球博」のために蔡國強氏が提案してきたもう1案について。
これについては、また将来彼がそれをどこかで実現するかもしれないので、ここではご紹介しないこととしよう。
蔡國強氏のこれからのご活躍にますます期待したいところである。