「銀座うかい亭」前のオブジェ
銀座采女橋近くにある「銀座うかい亭」。
有名ドラマのロケ地でも知られるこの高級鉄板焼きレストランの入り口には、独特のデザインのオブジェが左右にペアで立っている。
そのオブジェとは、左側が頭がフォーク、右側が頭がスプーンになっているもので、一度見たら忘れないインパクトのあるものだ。
このオブジェは、ベルギー出身のアーティスト、ジャン=ミッシェル・フォロン(Jean-Michel Folon, 1934-2005)の作品である。
ジャン=ミッシェル・フォロンの展覧会
今、このフォロンの展覧会が東京ステーションギャラリーで開催中である。
2024年7月13日(土) – 9月23日(月)
この展覧会は、「初期のドローイングから水彩画、版画、ポスター、そして晩年の立体作品まで約230点を紹介する、日本で30年ぶりの大回顧展」ということである。
ここに、あのうかい亭の前に佇む2つの作品が展示されていた。
頭がフォークになっているもののタイトルは「51番目の考え」(1996年)。
頭がスプーンになっているもののタイトルは「3番目の考え」(1996年)。
サイズはうかい亭前のものとは違って、小さい。
「51番目の考え」は高さ22cm、「3番目の考え」は21.5cmである。
今回の展覧会は写真が撮れる部分が少なかったため、ここではご紹介できないが、うかい亭のものはこれの大きなバージョンである。
また、フォークとスプーンの他にも、さまざまなバージョンがある。
頭がプロペラ、ギター、植木鉢、ねじ回しの取手、ビルになっているものや、プレッツェルになっているものもある。
頭の上に大きなクエスチョンマークがついているものもあって興味深い。
しかし、この展覧会で多くを占めるのはイラスト、水彩画、シルクスクリーン等の平面作品である。
ジャン=ミッシェル・フォロンが影響を受けたアーティストたち
どこかシュール・レアリスムの画家、ルネ・マグリット(1898-1967)の作品を思い起こさせる。
実際、図録の解説によると、フォロンはパウル・クレー、ジョルジュ・スーラ、ウィリアム・ターナーなどと並んで、ルネ・マグリットに憧れていたとのことである。
また、ドイツの建築家で万博でも活躍したミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)の「Less is more(少ない方がより豊かである)」という格言にも影響を受けたということである。
さて、フォロンの作品はアメリカの「ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)」などの表紙に採用されて有名になっていく。
このフォロンの平面作品群を見て、東京・銀座のggg(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)で開催されたソール・スタインバーグ(1914-1999)の展覧会(2021年12月10日〜3月12日)に展示されていた作品を思い出した。
いろいろと似通っているところがある。テーストが似ている気がする。
そして、スタインバーグも「ザ・ニューヨーカー(The New Yorker)」の表紙を手がけている。
そこで調べてみると、やはり、彼の影響を受けていることがわかった。
図録の解説によると、
とある。
世界はいろいろなところでつながっていく。
1965年といえば、ニューヨークでは万博が開催中だったため、フォロンもスタインバーグも万博を訪れたかもしれないし、もしかしたら万博のなんらかの企画に参画した可能性もある。
このあたりは、またさらなる調査が必要だろう。
ジャン=ミッシェル・フォロンと万博
さて、フォロンであるが、1970年に来日している。
図録の年表によると、1970年のところにはには
とある。
これについてさらに調べてみると、大阪万博ではアニメーションを公開したらしい。また東京の個展は、東京銀座ソニービルで行われたとのことである。
さて、フォロンのアニメーション作品は、今回の展覧会でも展示されていた。それはオリベッティ社のために制作したタイプライターのキーの上を人物が渡り歩いていくようなものだった。
しかし、1970年大阪万博でどんなアニメーション作品が展示されたのかは不明である。フォロンの出身のベルギー館で展示されたのか、それとも別のところで展示されたのか。
別のところ、で一番可能性があるのは世界中から集めてきた作品で開催された大規模美術展「万国博美術展」である。
この美術展は5つのセクションに分かれているが、最後の「V 現代の躍動」のところには、現代作家の作品が展示されている。
手元にあるこの「万国博美術展」の図録を確認してみる。
この「V 現代の躍動」のセクションには、ピカソ、ブランクーシ、カンディンスキー、デ・キリコ、ダリ、クレー、アンディ・ウォーホール、アレクサンダー・カルダーなど錚々たるメンバーの129の作品が展示されている。
しかし、フォロンの名前は確認することができなかった。
つぎに、ベルギー館の内容を公式記録で確認してみる。
ベルギー館のテーマは「あなた方と私たち」であった。
そして、
(中略)
この部門でとくに注目されたのは、2 台の映写機と28のフィルム、14 面の円形スクリーンを使って、ベルギーの産業と人々の日常の活動を紹介した90 秒間の無声映画と、レーザー光線による照明効果であった。
とある。
しかし、その後読み進んでいっても、フォロンのアニメーションの話は出てこない。
ユニークな作品で我々を「空想旅行」に連れて行ってくれるジャン=ミッシェル・フォロン。
そのフォロンと万博に関しての現状の調査はここまでである。さらなる情報が入手できることを期待している。
展覧会場には1970年大阪万博の尾形光琳『燕子花図』のデザインの50円記念切手を使用した、彼が出したエアメール(複製)も展示されている。
この機会に、フォロンそして、彼が初来日した1970年当時の文化に思いを馳せてみるのもいいのではないだろうか。