<125> 万博と赤十字④ 二世 五姓田芳柳の巨大作品

1926 Philadelpia
二世 五姓田芳柳『関東大震災当時の宮城前本社東京支部臨時救護所の模様』

『関東大震災当時の宮城前本社東京支部臨時救護所の模様』

東京港区芝大門の日本赤十字社本社1階にある「赤十字情報プラザ」で開催中の「万博と赤十字〜日赤発祥の原点は万博にあり〜」展
今回はその展示の中で、1枚の絵について紹介していきたい。

その絵とは『関東大震災当時の宮城前本社東京支部臨時救護所の模様』というもので、二世 五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)による作品である。

今回の展示のキャプションには次のようにある。

洋画家の二世五姓田芳柳による油彩作品です。関東大震災が発生した際、日本赤十字社が皇居前に建てた「救護大テント」の様子を描いています。1926年の米フィラデルフィア万博に出品した
500号の大作です。実物は現在、新宿の日赤東京都支部で展示しています。

二世 五姓田芳柳(1864-1943)については

<106>「ハニワと土偶の近代」展と「日本萬国博覧會」

でもご紹介した。

その要点は下記の通りである。

博覧会のパノラマ画やジオラマを得意としていた二世五姓田芳柳は、1893年シカゴ万博でも農商務省の委嘱を受けて、日本の考古遺物や遺跡を描いた水彩画を出品していた。
また、1910年日英博覧会でも、ジオラマ「日本古代より現代に至る風俗変遷図」9題(延長60間)を制作、名誉褒状を受けた。
さらに、1926年フィラデルフィア万博にも関東大震災における赤十字社の救護活動を描いた作品を出品している。
これは1923年9月1日に発生した関東大震災と赤十字社をテーマとしたものである。

そしてその作品の縮小複製が今回展示されている。

現物はどこにあるのかと思っていたが、上記のように「実物は現在、新宿の日赤東京都支部で展示しています。」ということなので早速行ってみることにした。

新宿・日赤東京都支部へ

日赤東京都支部は大江戸線東新宿駅の近くである。

日赤東京都支部外観

そのロビーに入ると、早速、大きな当作品が目に入ってきた。

日赤東京都支部のロビーの様子

相当に大きい。

二世 五姓田芳柳『関東大震災当時の宮城前本社東京支部臨時救護所の模様』

この大きな作品が約100年前にフィラデルフィアまで運ばれて展示された、というのはなかなか感慨深い。

この絵のことをもっと知りたいと思い、お忙しい中お願いして、ご担当の方にこの詳細について調べていただいた。

その結果、次のようなことがわかった。

・大正15(1926年)年3月10日発行の日本赤十字社機関紙「博愛」には当作品に関する記述がある。

その記述によると、
・前年の1925年10月、外務省から日本赤十字社に対して出品の勧誘があった。

・日本赤十字社では直ちに準備に着手し、1926年3月中旬発送の手筈である。

・出品作品は11点に及んだが、もろもろの資料や写真が含まれている。

ということである。

そして、その出展作品11点のなかの「四」のところにこの作品に関連した記述がある。

四、災害救護状況模型
背景は五姓田書伯の筆に成る宮城外苑を中心としての罹災者避難状況の油絵、それに連続した実物大の人形(患者、産婦医員、看護婦)、実物の担架、医療行李、其の他救護材料、救護所の一部
(原本は旧書体にて記述されている)

つまり、この作品は単独で展示されたのではなく、実物大の人形等のジオラマの背景として展示されたことがわかった。

この巨大な作品の前に救護の様子を表すいろいろな人形等が展示されているところを想像してみると、さらなる迫力である。

当時の日本の万博展示への意気込みが感じられる作品である。

二世 五姓田芳柳は日本赤十字社の特別社員だったということである。
そういったこともあって、彼の作品には日赤所蔵のものも多いということだ。

 

 

 

 

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