「デイヴィッド・ホックニー展」へ
東京都現代美術館で開催中の「デイヴィッド・ホックニー展」に向かったのは、オープンしてから間もない7月22日のことだった。
その時新橋あたりにいた筆者と助手0号は、以前から気になっていた「デイヴィッド・ホックニー展」に行くことにして、いろいろ調べた結果、バスを利用することにした。
「とうきょうスカイツリー駅前行」の都バス
新橋駅前発「とうきょうスカイツリー駅前行」の「業10」というラインである。
「業10」というのは以前は「業平橋行き」だったのでその名残だろう。
新橋駅の近くの乗り場から乗って左に曲がって、旧「電通通り」を右にいって、バスしか右折できない晴海通りの交差点を右折する。
築地本願寺と伊東忠太
筆者は、バスに乗ると早速いつものルーティーンであるNew York Timesのクロスワードパズルにとりかかったので、あまり景色は見ていなかったが、しばらく行くと左に築地本願寺が見えた。
築地本願寺といえば、伊東忠太(1867-1954)の設計である。
今こうやって生年を調べてみると1867年であり、第2回パリ万博開催の年だったことがわかる。
生月日は11月21日とあるので、あの渋沢栄一(1840-1931)が、徳川昭武(1853-1910)と一緒にこのパリ万博のために江戸幕府代表としてパリに行き、ヨーロッパに滞在中に生まれた、ということがわかる。
それはともかく、伊東忠太といえば、明治から昭和にかけて活躍した建築家である。
そして、その渋沢栄一が創立にかかわった一橋大学(東京商科大学)の「兼松講堂」の設計でも有名である。
その他、橿原神宮、平安神宮、筆者が幼少の頃によく訪れた「宮崎神宮」、そして東京大学正門、大倉集古館、湯島聖堂など多くの名建築を手がけている。
日本で初めて開催された万博は1970年大阪万博であるが、じつは、その後「幻の万博」と呼ばれることになる万博が1940年(紀元2600年)開催の予定で計画されていた。
この計画は戦争で中止になってしまうが、準備はそこそこ進んでいたのである。
これについては、拙著「万博100の物語」の第60話〜第65話で詳しくご紹介したので、ご興味のある方はそちらを是非ご参照いただきたい。
そして、この「幻の万博」のために設置された「会場計画委員会」の委員に名を連ねているのがこの伊東忠太であった。
「幻の万博」と勝鬨橋
そんなことを考えながら、またクロスワードパズルに戻っていると、助手0号が
「勝鬨橋って今工事中なんだ。」
と話しかけてきた。
さすが助手0号である。貴重な「万博関連情報」である。
確かにバスから見てみると、勝鬨橋は茶色っぽい板で覆われている。
あとで調べてみるとこれは「勝鬨橋長寿命化工事」というものらしい。
「中央区観光協会特派員ブログ」によると、写真とともに次のようにある。
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勝どき橋の下では、隅田川テラスが繋がる工事をしています。工事は令和6年2月までの予定です。
勝どき橋の上では、長寿命化工事が行われています。橋の塗装工事です。
工事期間:令和4年12月12日~令和6年2月27日
工事場所:築地6丁目地内から勝どき1丁目地内まで
詳しくは、東京都のお知らせをご覧ください。
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勝鬨橋(1933年6月着工、1940年6月14日竣工)といえば、先ほどご紹介した「幻の万博」の「メインゲートウェイ」として建設された、立派な(?)「万博関連事物」である。
それが理由か(?)2007年には国の「重要文化財」に指定されている。
これは、「シカゴ型二葉式跳開橋」というもので、大型船の川の通行のために、橋の中央部が開閉できる仕組みになった「可動橋」である。
もっとも、最後に開いたのは、大阪万博が開催された1970年の11月29日であり、現在は開閉はされていない。
今回の工事も「長寿命化工事」ということで、是非未来永劫、万博記念の事物として後世に残してもらいたいものだ。
さて、あっという間に勝鬨橋も通り過ぎてしまった。
東京都現代美術館へ
またクロスワードパズルに戻る。
都バスも以前はバスの中でWi-Fiが使えて便利だったが、なぜか2021年(令和3年)11月30日をもってサービス終了となってしまったので、ネットサーフィンなどせず、ずっとパズルをやっているに限る。
バスは豊洲の交差点を左折し、枝川交差点を右にはいって三つ目通りを左折、左にイトーヨーカドー木場店を見ながら永代通りを過ぎると、右に木場公園が見えてくる。
しかし焦って降りてはならない。木場公園が見えてから、4つ目くらいの停留所がやっと「東京都現代美術館前」という停留所である。
結構若い人を中心に数人がこの停留所で降りた。
今日も暑い。
暑すぎて、信号を待ちたくないので、横断歩道の信号をたまたま青だった間に渡ってしまう。
さいわいなことに、美術館の中は涼しい。
デイヴィッド・ホックニー展
デイヴィッド・ホックニー(1937-)といえば、イギリス出身の現代アーティストである。
現在86歳ということになる。
筆者も結構ホックニーの作品は以前から好きで、昔住んでいた部屋には、彼のポスターを飾っていたりしていた。
1937年生まれ、ということは、あのピカソの『ゲルニカ』、ミロの『刈り入れ人』が「スペイン共和国パビリオンに出展され、また、その時に開催された「独立美術の巨匠たち1895-1937展」にピカソの『アヴィニョンの娘たち』、マティスの『夢』、『赤いキュロットのオダリスク』などが展示されていた1937年パリ万博の年の生まれ、ということになる。
たまたまピカソがその代表作のうちの2作を出展した1937年パリ万博の年に生まれたから、というわけでもないだろうが、やはり何かの縁があったのか(?)、展覧会図録の9ページの解説には次のようにある。
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1960年、テート・ギャラリーで開催されたパブロ・ピカソの個展を見たホックニーは、その画風を自在に変化させる創造性に強い衝撃を受けたという。(太文字は筆者による。以下同様)
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たしかにピカソのキュビスムの影響を感じる作品も多い。
図録の55ページの解説には次のようにある。
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1973年のピカソの没後まもなく、最晩年の版画を手がけた刷師と出会い、最も敬愛する画家と間接的な対話を交わすことで、ホックニーはキュビスム的な世界の見方を再発見するとともに、刷師から学んだ新たな技法を用いて版画集「ブルー・ギター」を制作している
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この「ブルー・ギター」の中の作品はキュビスム時代のピカソだけでなく、それ以前の時代にも影響をうけている。『老いたギタリスト』はピカソの「青の時代」に描かれた同じタイトルの作品『老いたギタリスト』とほぼ同じ構図だったりする。
この「ブルー・ギター」の扉には次のようにある。
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THE BLUE GUITAR
ETCHINGS
BY
DAVID HOCKNEY
WHO WAS INSPIRED
BY
WALLACE STEVENS
WHO WAS INSPIRED
BY
PABLO PICASSO
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(筆者による和訳)
ブルー・ギター
エッチング
デイヴィッド・ホックニーによる
そのデイヴィッド・ホックニーは
ウォレス・スティーヴンスにインスピレーションを受けた
そのウォレス・スティーヴンスは
パブロ・ピカソにインスピレーションを受けた
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ウォレス・スティーヴンス(1879-1955)というのはアメリカのモダニズムの詩人であり、ピカソの『老いたギタリスト』(1903-04)に着想を得て長編詩『青いギターを持つ男』(1936)を創作した人物である。
しかし、その後のホックニーの作風はピカソの作風から変化して、独自の色鮮やかで自由な世界を切りひらいた様に見える。
今回の展覧会は、日本(東洋)の絵巻ものに影響を受けたといわれる長さ70メートルの作品『ノルマンディーの12か月』という大作も展示されている。
展示パネル解説には以下のようにある。
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ギュスターヴ・クールベやクロード・モネ、ラウール・デュフィなど多くの画家に愛されたこの地で、移り変わる自然と「春の到来」という主題をさらに掘り下げようとしたのである。
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ギュスターヴ・クールベやクロード・モネ、ラウール・デュフィは、いずれも万博に関連している作家である。
また、日本をモチーフにした『龍安寺の石庭を歩く 1983年2月、京都』などいろいろな作品が楽しめる。
また、iPadで制作された作品も、その制作過程もわかる形で多く展示されている。
これも新しい形のホックニーのアート、ということだろう。
2023年11月5日まで開催されているので、是非一度ご覧になることをお勧めしたい。