<97>「I. W. ハーパー」のラベルに隠された秘密とは

1904 St. Louis
I.W.HARERボトルラベルの拡大(上部) photo©️Kyushima Nobuaki

1980年代によく飲んでいた「I. W. ハーパー」

<96>で少し触れた、筆者が1980年代によく飲んでいたというバーボン、「I. W. ハーパー」(”I. W. HARPER”)

I.W.HARPER ボトル GOLD MEDALの文字、その下に5つのGOLD MEDALがデザインされている。
photo©️Kyushima Nobuaki

当時からボトルのラベルにあるゴールドメダルは何を表しているのか疑問だった。
愛飲していた1980年代は、1985年つくば科学博を業務として行っていた以外、万博の歴史に興味を持つこともなく、なんとなく、何かのお酒の大会で賞をとったのかな、というふうに思っていただけで、今のようにネットもなく、それ以上、調べることはなかった。

ボトルのラベルにある5つのゴールドメダルの正体は?

そこで今回改めてちゃんと調べてみることにした。

「I. W. ハーパー」のホームページ(日本版)の「ヒストリー」のところには次のようにあった。

I.W.ハーパーはドイツからのアメリカ移民、アイザック・ウォルフ・バーンハイムの手によって生まれました。
粗悪なバーボンが多かった時代に、品質にこだわり完成したそのバーボンに、彼のイニシャルである「I.W.」と無二の親友フランク・ハーパーの名前を冠し『I.W.ハーパー』と名付けました。1885年ニューオリンズの万国博覧会で金賞を受賞
その後も様々な博覧会で金賞を受賞したことからそのメダルを称してゴールドメダルと呼ばれるようになりました。
1949年にはギフトアイテムとしてクリスタルデカンター入りのI.W.ハーパーを新発売。以来、毎年新しいデザインのデカンタ-ボトルを発売し、コレクションの対象品となるほどのブームを巻き起こしました。
1950年代に広告塔として「籐のステッキを持ったシルクハットの紳士」が登場し、都会的で洗練されたイメージを確立。

やはり、そうではないか?と思っていた通り、万博での受賞であったことがわかる。

さらに、「たのしいお酒.jp」というホームページには次のような情報があった。

「I.W.ハーパー」の品質を示す5つのゴールドメダル
「I.W.ハーパー」は品質へのこだわりによって人気銘柄へと成長していきましたが、その品質が客観的に認められた大きなきっかけが、1885年にルイジアナ州ニューオーリンズで開催された万国博覧会において金賞に輝いたことです。
その後も、シカゴ万博(1893年)、パリ万博(1900年)、セントルイス万博(1904年)、サンフランシスコ万博(1915年)と、数々の博覧会で金賞を獲得したことから、ラベルに5つの金メダルをあしらうようになりました。

小泉八雲も訪れた1884-1885ニューオリンズ万博

最初の「1885年ニューオリンズ万国博覧会で金賞を受賞」ということであるが、詳しくはこの万博は、1884-1885年に開催されたものである。(1884年12月16日〜1885年6月1日)

実はニューオリンズでは、この100年後の1984年にも、万博が開催されることになったが、1884-85年開催の万博の正式名称は「The World’s Industrial and Cotton Centennial Exposition」というものであった。
これはその100年前の1784年に、綿が初めて米国から輸出されたことを記念して開催された万博であった。

ちなみにこの万博にも日本は出展していた。当時ニューオリンズでジャーナリストとして活動していたラフカディオ・ハーン(小泉八雲 1850~1904)は、その日本展示を見て、日本への思いを強くしたといわれている。

「I.W.ハーパー」ボトルラベルからの調査

そして、「たのしいお酒.jp」によれば、そのほかの万博、「シカゴ万博(1893年)、パリ万博(1900年)、セントルイス万博(1904年)、サンフランシスコ万博(1915年)でも金賞を受賞」、とある。

たしかに「I.W.ハーパー」のラベルの上には「GOLD MEDAL」とあり、その下に5つのメダルのイラストがあしらわれている。

I.W.HARERボトルラベルの拡大(上部)
photo©️Kyushima Nobuaki

しかし、「I.W.ハーパー」の公式ホームページ(米国版日本版いずれも)には、ラベル上の5つのメダルはそれぞれどの万博のものか明記されていない。

今回、ちゃんと検証することにし、それを写真にとり拡大してみた。

真ん中のメダル

まず、真ん中のメダルは文字が書いてある。それはかろうじて次のように読める。

-GRAND PRIZE- LOUISIANA PURCHASE EXPOSITION

ということで、これはルイジアナ買収記念万博、つまり、1904年セントルイス万博の「グランプリ」(金賞ではなく)のメダル、ということがわかる。
ニューオリンズがルイジアナ州に属しているので、これをニューオリンズ万博としている資料も見かけたが、ルイジアナ州購入記念の万博は間違いなく1904年セントルイス万博である。セントルイスはミズーリ州に位置しているので確かに間違えやすいところだろう。

1904年セントルイス万博は「ルイジアナ買収100周年の祝祭」として開催された。
会場面積は514haで、2010年上海万博(528ha)に抜かれるまで、100年以上にわたって万博史上最大を誇ったものであった。

一番左のメダル

これは、ネットで調べると、意外とすぐに見つかった。
レプリカの写真であるが、これには次のようにある。

<表面>
CHRISTOPHER COLUMBUS OCT XII MCCCXCII
<裏面>
REPLICA OF ONE OF FOUR GOLD MEDALS
awarded to
I. W. HARPER
The Gold Medal Whiskey
BOTTLED IN BOND
Columbian Expo Gold Medal Winner

表面の意味は
クリストファー・コロンブスが1492年10月12日にアメリカ到達した、という意味である。
「OCT XII MCCCXCII」の後ろの方はローマ数字で「10月、12日、1492年」
ということになる。

ということで、これは、1893年シカゴ万博時の「ゴールド・メダル」ということになる。

左から2番目のメダル

これはアール・ヌーヴォー的なデザインなので、1900年パリ万博ではないか、と考えられるが、ネットで確認する。
ネット上には、もっとクリアな画像がアップされている。
これは次のように読める。

REPUBLIQUE FRANÇAISE

やはりフランスのものであるので、1900年パリ万博の「ゴールド・メダル」ということになろう。

右から2番目のメダル

これは、拡大すると、次のような文字に読める。

SAINT LOUIS UNITED STATES OF AMERICA MCMIV

つまり、

セントルイス、アメリカ合衆国、1904

ということになり、セントルイス万博のメダル、ということになる。
「たのしいお酒.jp」の情報、「セントルイス万博でゴールド・メダル」ということが正しければ、これは「ゴールド・メダル」であり、セントルイス万博では「I. W. ハーパー」は「グランプリ」「ゴールド・メダル」の両方を撮った、ということかもしれない。

一番右のメダル

このメダルには次のような文字が読める、というかちゃんと読めない。。

GOLD MEDAL PRIZE ?? GOLD I△1◯(??)

このデザインのメダルはネット上を探しても探し当てることができなかった。
ただ、「たのしいお酒.jp」の情報によると、残るはサンフランシスコ万博(1915年)である。
また、メダルが左から年代順に並んでいるとすると、一番右は1904年以降のものと推定できる。
なので、これは、現状の調査では、1915年サンフランシスコ万博の「ゴールド・メダル」と暫定的にしておくしかない。

I.W.HARERボトルラベルの拡大
一番左が1893年シカゴ万博の金メダル
左から2番目が1900年パリ万博の金メダル
真ん中の大きいものが1904年セントルイス万博のグラン・プリ
右から2番目が1904年セントルイス万博金メダル(推定)
一番右が 1915年サンフランシスコ万博(推定)
筆者調べによる
photo©️Kyushima Nobuaki

さらなる情報を求む

ちなみに、ネット上のオークション・サイト
「1953年(昭和28年)I.W.HARPER アメリカ ビンテージ雑誌広告[B4額装品]」
というものが出品されていた。

ここには4つのメダルがフィーチャーされている。
この広告を拡大すると、真ん中のメダルは「ニューオリンズ」ということになっているが、上記筆者の調査通り、これは間違い、ということになろう。
ここにも、あいかわらず「暫定1915サンフランシスコ万博ゴールド・メダル」の情報はない。

今後さらなる情報が得られることを期待したいところである。

いずれにしても、1980年代に愛飲していた「I. W. ハーパー」が万博と密接な関連を持っていた、ということを40年以上経って知ることになった。

万博はいつのまにか身近なところにその存在を隠しているのである。

タイトルとURLをコピーしました