<2>LA BRETAGNE展とパリ万博①(国立西洋美術館)

パリ万博
photo©️Nobuaki Kyushima

西美のブルターニュ展が気にかかる

東京国立博物館でニール号の展示を見たその日、まだ小雨模様ではあったが、上野駅に向かう途中の国立西洋美術館で「LA BRETAGNE 憧憬の地 ブルターニュ展」をやっているのが気になって、すでにそこそこ疲れてはいたが、もうひと頑張りして見ていくことにした。

憧憬の地 ブルターニュ ー モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷
主催:国立西洋美術館、TBS、読売新聞社
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、TBSラジオ
協賛:大和ハウス工業、DNP大日本印刷、損害保険ジャパン
協力:日本通運、西洋美術振興財団
会期:2023年3月18日 ー 6月11日

ブルターニュといえばフランス北西部の地域である。そのブルターニュ地方の街、ポン・タヴェンで、ポール・ゴーガン( 1848-1903)やエミール・ベルナールなどがのちに「ポン・タヴェン派」と呼ばれることになる絵画運動を展開していたところである。そして、その「ポン・タヴェン派」の画家たちが、エッフェル塔ができたことで有名な、1889年第3回パリ万博において、非公式な形で参加した、という逸話も残しており、何か万博に関連するものが展示されているかもしれない。

1889年パリ万博とゴーガン

そういった興味で、この機会に西美も訪れてみることにした。

予約もしていないが、幸いチケットの列は10メートルもないくらいだ。5分ほどで、すぐの時間帯に入場できるチケットを手に入れることができた。

『通称「ヴォルピニの連作」』を発見!

予想した通り、なかなかに興味深い作品の展示が目白押しであった。

我々もよく知る、アルフォンシャ・ミュシャ、ウジェーヌ・ブーダン、オディロン・ルドン、クロード・モネ、ポール・ゴーガン、エミール・ベルナール、ポール・セリュジエ、モーリス・ドニなどの錚々たる画家たちの作品が展示されている。つまり、この画家たちはみなブルターニュ地方で制作をするなどブルターニュとなんらかの関わりがあった人たちということになる。

クロード・モネ『嵐のベリール』
1886年 油彩 オルセー美術館

ポール・ゴーガン『海辺に立つブルターニュの少女たち』
1889年 油彩 国立西洋美術館(松方コレクション)

ポール・セリュジエ『ブルターニュのアンヌ女公への礼賛』 
1922年 油彩/カンヴァス ヤマザキマザック美術館

このように数々の名作が展示されている素晴らしい展覧会であったが、私の目を一番引いたのは、普通の人なら通り過ぎてしまうような、ポール・ゴーガンによる小ぶりのモノクロのリトグラフ2枚である。これは他の油絵たちに比べると相当に地味な作品であるが、なんといっても、そのタイトルが、

『通称「ヴォルピニの連作」より:《海のドラマ、ブルターニュ》』
(1889年、リトグラフ<亜鉛版>、横浜美術館)

そしてもう一枚が

『通称「ヴォルピニの連作」より:《水浴するブルターニュの女たち》』
(1889年、リトグラフ<亜鉛版>、愛知県美術館)

というものなのだ。

「ヴォルピニ」と聞いてピンとくる方は相当な万博通であろう。

そう、やはり、「ヴォルピニ」といえば、1889年パリ万博とゴーガンたちの「ポン・タヴェン派」の画家たち、ということになろう。
実は、この1889年パリ万博では、ゴーガンは、その公式美術展会場で作品が展示されなかったエミール・ベルナールなど、のちに「ポン・タヴェン派」と呼ばれることになる画家7人とともに、シャン・ド・マルスの万博会場内の「カフェ・ヴォルピニ」の壁を借りて作品を展示した、そしてこれは「印象主義者と綜合主義者のグループの展覧会」と称されていた、というエピソードを残しているのだ。

『通称「ヴォルピニの連作」』、ということは、これはどうみても1889年パリ万博のときにゴーガンが「カフェ・ヴォルピニ」で行った展覧会に関係しているとしか思えないのだ。

こんな作品が今から130年以上前の1889年にパリ万博の「カフェ・ヴォルピニ」で展示されていたのか、と感慨深い。(筆者だけ?)
しかもリトグラフとはいえ、2作とも日本の美術館が所蔵しているというのも知らなかった。なかなかにうれしい発見であった。

ところが、展覧会場の作品横キャプションだと、詳しい説明がないので、はたして本当にこれが、1889年パリ万博時のカフェ・ヴォルピニに関係しているのか、ちょっと確信が持てない。そこで、もっと詳しい情報がないかと、図録を買ってみる。今回の図録もなかなかの力作だ。

図録の後ろの方の作品解説にこの2枚の作品についての解説が書いてあった。文末のイニシャルから、国立西洋美術館主任研究員の袴田紘代氏による解説だとわかる。以下、引用する。


1889年のパリ万国博覧会に際し、シュフネッケルやベルナールは会場近くのカフェにて「印象主義および綜合主義グループ」展を主宰する。ゴーガンは17点の絵画を陳列するとともに、客が求めれば閲覧できる形式で、11点の版画連作も用意した。連作の通称は、カフェの経営者ヴォルピニの名にちなむ。同年初頭、ゴーガンがゴッホ宛ての手紙で「自分を知らしめるために」これらを制作したと記しているとおり、連作にはブルターニュやマルティニック島、アルルの主題が、ときに絵画のモティーフを繰り返すかたちで登場する。(以下略)

やはりそうだった!
しかし、この解説によるとこれらの版画はカフェに「展示」されていたわけではなく、「客が求めれば閲覧できる形式」で用意した、とのことだ。具体的にはどういうふうになっていたのかよくわからないが(ファイルか何かに入れておいてあったのだろうか)、これらの作品が、1889年パリ万博のカフェ・ヴォルピニで紹介された、というのは間違いないということだろう。

ちなみに、実は、この「カフェ・ヴォルピニ」の展覧会に、ゴーガンはファン・ゴッホ(1853- 1890)にも作品を出さないかと打診している。この時はゴッホの弟のテオが断ったようだ。
理由はまだよく調べきれていないが、当時はまだゴッホは評価されていなかったので、ということかもしれないし、ポン・タヴェン派とは異なる考えだったからなのかもしれない。

ちなみにゴッホの作品は、このパリ万博の正式な美術展会場でも展示されていない。

ゴッホと万博の関連は?

ゴッホの作品が万博で最初に展示されたのはいつか、よくわからない。
調べたところ、いろいろあったものの1900年パリ万博には出品されていない模様である。

しかし、少なくとも、1937年パリ万博では展示されたという記録は見つけることができている。
その頃には、ゴッホはとうに亡くなったあとだったが、ゴッホの作品に対する美術界からの評価が固まっていたということだろう。

ボーヴォワール『女ざかり』(英文名:The Prime of Life 仏文原題:La Force del’Âge)を読んでいたところ、たまたま下記の文章を発見した!


博覧会(1937年パリ万博博覧会)は私たちにその扉を開きました。私たちはフランス美術の傑作の前に何時間もたたずみ、特にゴッホの作品にあてられた数室では長い時間を費やしました。初期の陰鬱で若々しいスケッチから、アイリスやオーヴェールのカラスまで、彼の作品をまとめて見たのは初めてでした。
」(ペンギン・ブックスの英語版より筆者が翻訳)

という記述がみとめられる。ゴッホの作品に「数室」が割り当てられていた、というのは、ゴッホに関して相当な規模での展示がされていたことがうかがえる。
(ちなみに、その後ボーヴォワールは、「スペイン館が7月中旬にオープンし、その真新しいパビリオンの中で、ピカソの『ゲルニカ』に最初のショックを受けた」ことを記述している。)

さて、ゴッホと万博の迷宮に入りこんでしまい、脇道にそれてしまった。

今日はここまでとして、次回、また「ブルターニュ展」と万博について他のトピックスをご紹介していくことにしよう。

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