<70>ニューヨーク・メトロポリタン美術館と万博④

1853~54New York
『パーシャル・テーブル・サービス」(ニュー・イングランド・グラス・カンパニー) "Partial table servide" (New England Glass Company) photo©️Kyushima Nobuaki

<69>に引き続き、今回もニューヨーク・メトロポリタン美術館アメリカン・ウィングに展示されている万博関連のアイテムをご紹介していきたい。

1853-54年ニューヨーク万博

古いところからご紹介すると、1853-54年にニューヨーク・ブライアント公園(当時は「レゼボア・スクエア」と呼ばれていた。その後、ウィリアム・カレン・ブライアント(1794-1878)にちなんで、1884年にブライアント公園と改名された)で開催されたニューヨーク万博に展示されたものもあった。
これらの作品は、つまり170年以上前のごく初期の万博で展示されたものだ。

この万博は英語では”Exhibition of the Industry of All Nations”という名称だった。
この英語名は多分に、その2年前に開催された世界初の万博である1851年ロンドン万博の影響を受けている。
その1851年ロンドン万博の英語名は”The Great Exhibition of the Works of Industry of all Nations”だった。

さらに、1851年ロンドン万博は、ロンドン・ハイドパークに建てられたジョセフ・パクストン(1801-1865)設計の「クリスタル・パレス」で開催されたが、この1853-54年ニューヨーク万博の会場の名前も同じ「クリスタル・パレス」というものだった。

「クリスタル・パレス」(1851年ロンドン万博)
“Crystal Palace” (1851 London Expo)

このニューヨーク版「クリスタル・パレス」は上から見ると十字架の形をして、中央に大きなドームのあるもので、チボリ公園の設計者であるジョージ・カーステンセンとチャールズ・ギルドマイスターが設計したものだった。

『クリスタル・パレス』(1853-54年ニューヨーク万博)
“Crystal Palace” (1853-54 New York World’s Fair)

そして、この万博では、万博初となるタワー、高さ約107メートルの「ラッティング展望台」が「クリスタル・パレス」に隣接する形で設置された。

ラッティング展望台
Latting Observatory

「クリスタル・パレス」と「ラッティング展望台」
“Crystal Palace” and “Latting Observatory”

ロンドンの「クリスタル・パレス」は万博開催後、ロンドン郊外のシデナムに移築、増築され、1936年に火災で焼失するまで市民の憩いの場となっていたが、こちらニューヨークの「クリスタル・パレス」は、万博開催5年後の1858年には早々に火災で焼失してしまった。
そして、隣接して建てられた「ラッティング展望台」にいたっては、さらに早い1856年8月30日にこれまた火災で消失してしまったのである。

さて、このニューヨーク万博では、今も、エレベーター会社として名を残すアメリカ人イライシャ・オーティス(1811-1861)が蒸気式エレベーターのデモンストレーションをみずから行ったという記録が残されている。

イライシャ・オーティスによるエレベーターのプレゼンテーション
Elevator Presentation by Elisha Otis

また、当時、ニューヨークの警察官は制服着用を義務付けられていなかったが、この「クリスタル・パレス」に配属された特別警察が制服を用いたことをきっかけに1858年末までに全市の警察官が制服を着るようになったという。

ニュー・イングランド・グラス・カンパニーの作品

さて、その1853-54ニューヨーク万博に展示された「ニュー・イングランド・グラス・カンパニー(New England Glass Company)」の作品を、メトロポリタン美術館の「アメリカン・ウィング」で発見した。

精巧でしかも手頃な価格の食器の需要に応え、当時のグラス・カンパニーはテーブル・サービスをすべて1つのパターンで生産していた。
たとえば、1853-54年ニューヨーク万博で、ニュー・イングランド・グラス・カンパニーは「ボウル、タンブラー、シャンパン、ワイン、ゼリーグラスで構成される」1つのデザインの130個の作品を展示した。

『パーシャル・テーブル・サービス」(ニュー・イングランド・グラス・カンパニー)
“Partial table servide” (New England Glass Company)
photo©️Kyushima Nobuaki

『パーシャル・テーブル・サービス」(ニュー・イングランド・グラス・カンパニー)
“Partial table servide” (New England Glass Company)
photo©️Kyushima Nobuaki

このニュー・イングランド・グラス・カンパニーは1818年にアメリカ、マサチューセッツ州ケンブリッジで設立された。
そして、万博開催4年前の1849 年までには、従業員 500 人を擁する当時世界最大のガラス会社に成長していた。
この1853-54年ニューヨーク万博に出展していたのは、この世界最大のガラス会社に成長していた頃のことである。

「ニュー・イングランド・グラス・カンパニー」工場外観
“New England Glass Company” factory exterior

1876年フィラデルフィア万博にも出展

また、ニュー・イングランド・グラス・カンパニーは、その後1876年フィラデルフィア万博にも出展している。
この時の当社の展示は、カット・グラスへの注目と関心を高め、世界中に新しい市場を生み出したといわれている。

ニュー・イングランド・グラス・カンパニーのプレセンテーション(1876年フィラデルフィア万博)
Presentation by New England Glass Company (1876 Philadelphia World’s Fair)

「ニュー・イングランド・グラス・カンパニー」のその後

しかし、今、この「ニュー・イングランド・グラス・カンパニー」という名前の会社はもう存在していない。

前述したように、この会社は1818年にマサチューセッツ州ケンブリッジで設立された。

そして、1892年には「リビー・グラス・カンパニー」Libbey Glass Company (1892–1935)となった。

その後1935年、「リビー・グラス・カンパニー」はオーエンズ−イリノイ・グラス・カンパニーに買収され、その一部となった。(Libbey Glass Division, Owens-Illinois (1935–1993))
しかし、その後1993年、独立した会社としてスピンオフし、リビー会社(Libbey Inc., 1993–)となっている。

そして、Wikipediaによると、まだ記憶に新しい、2020年6月、リビーは新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる財務上の悪影響を受け、連邦破産法第11章の適用を申請する計画を発表した、とのことである。

しかし、今、リビーのホームページを調べてみると、同社はなんとかコロナ・パンデミックをサバイブし、引き続き営業をしている模様である。

同社ホームページの「歴史」(History)のセクションをみると、「ニュー・イングランド・グラス・カンパニー」時代のポスターも見ることができる。

ここには、次のようにある。

W.L.LIBBEY & SON
BLOWN AND RICH CUT GLASSWARE,
MANUFACTURED BY THE
NEW ENGLAND GLASS WORKS,

SALESROOMS
AT
MANUFACTORY, EAST CAMBRIDGE
NEW YORK, 29 MURRAY ST.
CHICAGO, 19 WABASH AVE
BOSTON, 155 FRANKLIN ST.

ちなみに、このニューヨークのアドレスをGoogleマップで調べてみると、今はマンハッタンのダウンタウン、ブルックリン・ブリッジの西端にある市庁舎公園の近くにあったことがわかる。

そして現在、この1853-54年ニューヨーク万博ゆかりの、リビーのグラス製品は日本でもネット等でも購入することができるのである。

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