この作品の中で語られる「博覧会」についてもう少し詳しく見ていくことにしよう。
1907年開催の「東京勧業博覧会」
<48>でご紹介したように、この1907年「東京勧業博覧会」は京都まで評判になっていて、東京に向かう汽車はすべて博覧会を見にいく人で埋まっているのではないか、といった表現が見受けられる。
また、東京にいる人々の間でも「博覧会にいったか?」「博覧会で台湾館は見たか?」といった会話が普通にかわされるほど、この博覧会は大人気を博していたことがわかる。
入場者数も680万人と、国内開催の博覧会では過去最大の規模であった。
このような大規模なイベントがまれにしか存在していなかった時代のことである。
「博覧会」というのはそれだけで人々が大きな興味を持つできごとであった。
「博覧会」は「東京」といった「都会」、そして「新しい時代」「近代」といった未来的なポジティブなイメージで人々にはとらえられていたようである。
「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる」
そういった未来的でポジティブなイメージで「博覧会」は人々を魅きつけていく。
その様子を、漱石は第11章の初めの部分で次のように表現している。
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蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は劇烈なる生存のうちに無聊をかこつ。立ちながら三度の食につくの忙きに堪えて、路上に昏睡の病を憂う。生を縦横に託して、縦横に死を貪るは文明の民である。文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自己の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃(かみそり)に削って、人の精神を擂木(すりこぎ)と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新らしき博覧会に集まる。
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なかなかに練られた拡張高い文章であるが、つまり、いま人々は「文明の民」になったのであって、「文明の民」は常に刺激を求めて新しいものを欲する。その最たるものが「博覧会」というものである、ということを言おうとしているのではないか。
また、その次には下記のような文章がつづく。
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狗は香を恋い、人は色に趁(はし)る。狗と人とはこの点においてもっとも鋭敏な動物である。紫衣(しい)と云い、黄袍(こうほう)と云い、青衿(せいきん)と云う。皆人を呼び寄せるの道具に過ぎぬ。土堤を走る弥次馬は必ずいろいろの旗を担ぐ。担がれて懸命に櫂を操るものは色に担がれるのである。天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古えより赫奕(かくえき)として赤である。色のある所は千里を遠しとせず。すべての人は色の博覧会に集まる。
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蛾は灯に集まり、人は電光に集まる。輝やくものは天下を牽く。金銀、硨磲(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、琉璃(るり)、閻浮檀金(えんぶだんごん)、の属を挙げて、ことごとく退屈の眸を見張らして、疲れたる頭を我破(がば)と跳ね起させるために光るのである。昼を短かしとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤(ちりばめ)たる宝石が独り幅を利かす。金剛石(ダイアモンド)は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海(ぬかるみ)に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものの胸に閃(きらめ)く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる。
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博覧会が色とイルミネーションに満たされていて、人々がそれに魅惑され魅きつけられていく様子が描かれている。博覧会はこの時代の人々にとってあらがいようのない魅力的なものなのである。
「文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる」
そして、「博覧会」とはなにか、が漱石によって下記のように語られる。
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文明を刺激の袋の底に篩(ふる)い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉(こ)せば燦(さん)たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気がつく。
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漱石の思う「博覧会」とは「文明の刺激の粋」である。文明に麻痺した当世の人々は、あっと驚くものを求めている。それが「博覧会」であり、「博覧会場にあるイルミネーション」なのである。
藤尾の恋人だった小野は京都時代にお世話になった井上孤堂、小夜子・父娘を博覧会場に案内する。しかし、東京に来て「文明の民」となっている小野の眼にはこの父娘が自分を追いかけてきた「過去からの存在」、つまり、「博覧会」や「イルミネーション」と全く逆の存在に見えているのである。
新しい文明の象徴としての「博覧会」、そして自分の捨て去りたい過去を象徴する父娘。この対比が博覧会場を舞台に強烈に描かれている。
観月橋を渡る時にあまりに多くの人に恐怖する父娘。
それにたいして、アテンドしている小野は、この「近代」を恐れている父娘を冷笑しているかのように見える。
「博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である」
<48>で引用した、博覧会場の大混雑の描写のところにもそれがわかる部分がある。
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来る人も往く人もただ揉まれて通る。足を地に落す暇はない。楽に踏む余地を尺寸に見出して、安々と踵を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢のように心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰すために皆が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。
博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後家に帰って安眠するためである。小野さんはこの多数の当世のうちで、もっとも当世なものである。得意なのは無理もない。
得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも当世に見える。申し分のあるはずがない。しかし時代後れの御荷物を丁寧に二人まで背負って、幅の利かぬ過去と同一体だと当世から見られるのは、ただ見られるのではない、見咎められるも同然である。芝居に行って、自分の着ている羽織の紋の大さが、時代か時代後れか、そればかりが気になって、見物にはいっこう身が入らぬものさえある。小野さんは肩身が狭い。人の波の許す限り早く歩く。「阿爺、大丈夫」と後から呼ぶ。「ああ大丈夫だよ」と知らぬ人を間に挟んだまま一軒置いて返事がある。
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「早く家へ帰りたくなった。どうも怖しい人だ。どこからこんなに出て来るのかね」
小野さんはにやにやと笑った。蜘蛛の子のように暗い森を蔽(おお)うて至る文明の民は皆自分の同類である。
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数は勢である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子のうじょうじょ湧く所は怖しい。いわんや高等なる文明の御玉杓子を苦もなくひり出す東京が怖しいのは無論の事である。小野さんはまたにやにやと笑った。
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「少し心持が……」「悪い?歩きつけないのを無理に歩いたせいだよ。それにこの人出じゃあ。どっかでちょいと休もう。——小野、どっか休む所があるだろう、小夜が心持がよくないそうだから」「そうですか、そこへ出るとたくさん茶屋がありますから」と小野さんはまた先へ立って行く。
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「文明の民」と「過去の人間」
小野は、自分は「文明の民」であってこんな混雑には慣れている、こんな混雑(文明)を怖がるのは過去の存在である。そして「過去の人間」である井上孤堂、小夜子・父娘は小野にとって恥ずかしい「時代後れの御荷物」でしかない。
そう決めつけている小野のひとりよがりの得意さがうかがえる。
しかし、井上孤堂にとっては、「博覧会」とは「過去の人間を圧し潰す」ための恐ろしいものである。
そして、自分を「文明の民」と自認する小野の、「時代後れの御荷物」を置いていきたい気持ちが、最後の「小野さんはまた先へ立って行く。」というところにうまく表現されている。
「近代」「当世」「文明」にばかり眼がいって、過去に大きな恩のある大事な存在すらを「御荷物」扱いする、自己中心的な「文明の民」小野。この部分は小野に代表される当時の「文明の民」への、漱石の痛烈な皮肉といっていいだろう。
そして第12章には次のような部分がある。
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「いえ、さぞ御疲でしたろう。どうです、御気分は。もうすっかり好いですか」
「はあ、御蔭さまで」と云う顔は何となく窶(やつ)れている。男はちょっと真面目になった。女はすぐ弁解する。
「あんな人込へは滅多に出つけた事がないもんですから」
文明の民は驚ろいて喜ぶために博覧会を開く。過去の人は驚ろいて怖がるためにイルミネーションを見る。
「先生はどうですか」
小夜子は返事を控えて淋しく笑った。
「先生も雑沓する所が嫌でしたね」
「どうも年を取ったもんですから」
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そしてこの後、小野は、「先生にはやはり京都の方が好くはないですか」と父娘を京都に追い返そうとすらするのである。
文明の象徴としての「博覧会」。
そしてその「博覧会場」に集まる「文明の民」と「過去の人間」。
このように、『虞美人草』ではその最重要なテーマの一つである「近代化とそこに生きる人々の姿」が、「博覧会」という当世のモチーフをもって鮮やかに描かれているのである。