<0>万博亭日乗 - Life with Expo- ~Never-ending Expo Journey~

EXPO
シデナムのクリスタル・パレス跡地 photo©️Nobuaki Kyushima

「すべてのものは万博から生まれたんですよ」

万博の仕事を始めた頃、少なくともお二人の「万博業界」の大先輩からこう言われたことがある。

「まさかそんなことはないだろう」

というのが筆者の正直な反応だった。
まあ、常識的な反応と言えるだろう。

万博は1851年のロンドン万博がその第一回目、というのが定説になっている。
そういうことくらいはぼんやりと知っていた。

しかし、そうだとすれば、「万博から生まれたもの」がすべて、だとするとすべてのものは1851年以降に生まれた、ということになる。

やはり、まさかそんなことはありえない。

しかし、ここ十数年、万博の歴史を趣味的に調べた結果、最近では、

この言葉を一種の誇大表現ととらえれば、理解できなくもない、と思うようになった。

つまり、「すべてのもの」を「多くのもの」と読みかえれば、全くその通り、と思うようになったのだ。

そのお二人の「万博業界」の大先輩、とは、堺屋太一さんと泉眞也さんという、日本万博業界の二人の巨頭である。

お二人とも万博を愛し、万博を誰よりも研究し、視察し、そして仕事として万博に携わられた。

そんなお二人の眼には、「すべてのものは万博から生まれた」というふうに見えていたのも、今になって考えると、不思議ではない。

お二人とも亡くなられてしまったが、ご存命の頃に直接いろいろとお話をお伺いできる機会をいただいたのは、貴重な体験だった。

筆者が最初に万博に仕事として関与したのは1985年つくば科学博である。

この時は、ちょっとしたプロジェクトに1年くらい携わっただけであった。

しかし、その次の2005年「愛・地球博」の時は、1998年から担当になり7年半くらいを万博プロジェクトに専任で関わることになる。

そして、2010年上海万博の時には、会社の責任者として携わった。

特に「愛・地球博」の時は、担当となって最初の頃は時間的な余裕もあったので、万博の歴史を研究するようになった。

みんな「万博で初めて」、という企画をやりたがるが、そもそも、過去の万博で何が行われたのか知らなければ、「万博初の企画」は考えられないのではないか。

堺屋太一さんや、泉眞也さんに万博のいろいろなお話をお聞きしたのもその頃である。

お二人は、日本でも万博を最初に手がけられ、最初に勉強されていた大先輩である。彼らの万博の話はともかく面白かった。

堺屋太一さんからは、最初の頃、

「久島さん、エクスポロジーというものがあるんですよ」

ということも教えていただいた。

ところが、まとまっている日本語の本とかはその頃はあまりなかった。

そこで英語の本や、さまざまな万博の周辺にあると思われるジャンルの本を手探りで読み始めた。
(当時は、現在ほど、ネット上にいろいろな万博情報は載っていなかった)

そうすると、やたら面白い。
本当に、あれも、これも、あの人物も、みんな万博に関与していた、のだ。

そんな話を周囲にもしていたら、講談社さんから、本にしませんか、というお話をいただいた。
それが2004年に出版した『「万博」発明発見50の物語』である。

2005年「愛・地球博」の時は、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞といろいろなメディアに取材を受けた。また、岐阜県の某高校の入試問題に拙著からの文章が使われたりして、その反響の大きさに驚いた。

その後、2005年「愛・地球博」も無事終了し、2010年の上海万博の担当となった。

中国では挨拶がわりに、日本語版しかないものの、拙著をいろいろな方に差し上げ、興味を持ってもらった。

そして、「万博史家」として、CCTVの特番にもインタビューを受ける形で出演した。

また、上海世界博覧会事務協調局の公式出版物にも依頼を受けて寄稿した。

2010上海万博会場
Venue of 2010 Shanghai Expo

上海万博後は、万博に関する仕事には直接的には関与していない。

しかし、日々、普通に生きているだけで、万博に関する事物に出会ってしまう。

『50の物語』以外のネタも溜まってくる。

ちょうど、そういう時に2025年大阪・関西万博の開催が決まり、この万博にパビリオンを出展するなど深く関与されている吉本興業さんからお話をいただき、2022年6月に、前著に新しい情報を付け加える形で新しい本を出版した。

それが『万博100の物語』である。

この本のプロデューサーは立川直樹さんである。

立川さんには、2005年「愛・地球博」の時に、「Love The Earth」プロジェクトのプロデューサーとしてお知り合いになって以来のお付き合いである。立川さんはまた、2025年の大阪・関西万博にも関与されている。その一環として私の前著を思い出していただいたことから新しい本の出版の運びとなった。

『万博100の物語』を出版してから1年が経った。

2023年3月には41年間働いた会社も退職した。

しかし、その間にも、そしてその後も、趣味の美術館巡りや街巡りをしているだけで、日々、万博に関する新しい発見がある。
100に加えていろいろな物語が追加されつつある。

これからは、一人の万博史愛好家として、日々の新しい発見を、綴っていくことで、少しでも多くの人々に万博に興味を持ってもらい、展覧会やイベントなど、実際にリアルタイムでそれを体験していただければ、と思い、この場を設定させてもらうことにした。

タイトルは「万博亭日乗」

もちろん、永井荷風の「断腸亭日乗」による。

永井荷風(1879 – 1959)は、腸に持病があり、そのため、自邸の一角を「断腸亭」と名づけ、自分を「断腸亭主人」と称した。

「日乗」は「日記」の別名である。

この日記は1917年から1959年まで続いた。

「断腸亭日乗」の「はしがき」には、つぎのようにある。


此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折〻鉛筆もて手帳にかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数もかさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬ

かぞへ見る日記の巻や古火桶

五十有五歳荷風老人書

すいぶん長く続いた日記であるが、この「日乗」は荷風の残した一番の傑作であると見る向きも多いという。

2025年の大阪・関西万博まで、ということでもなく、趣味としてずっと長く続くことを思いつつ、この荷風の作品にタイトルのヒントを得た。

立川さんには、「日々の、終わりのない、万博博士のNever-ending Journeyだよね。そんな名前にしたらいいんじゃない?」とアドバイスをいただいた。

そこで、– Never-ending Expo Journey –というサブタイトルをつけさせたいただいた。

一話一話が、『万博100の物語』の続編になるような仕立てにしていくつもりである。

お楽しみいただけると、嬉しいかぎりである。

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