早くも2024年に突入
時の過ぎゆくのは早い。
もう2024年に入ってしまった。
昨年末にアップした、1939/40年、1964/65年に2度開催されたニューヨーク万博跡地視察の話を続けよう。
「ユニスフィア」と「スフィア」
前回の<53>では、今もニューヨーク・クイーンズ区に残る万博跡地「フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク」に残る「ユニスフィア」についてご紹介した。
「ユニスフィア」は1964/65年の万博のためにつくられた巨大なモニュメントであるが、2023年にはラスベガスにその名も「スフィア」というさらに大きな巨大な球体の全面LEDの施設ができ、話題をさらった。
当時、「世界最大の地球儀」といわれた「ユニスフィア」だが、この「スフィア」の登場によって、今は完全にその称号は使えなくなった模様である。
現存する「ニューヨーク州パビリオン」
さて、クイーンズ・ミュージアムを右手に見つつ、「ユニスフィア」を通り過ぎると、右手に1964/65年万博のニューヨーク州パビリオンだった建物が残されている。
随分と古びており、ちょっと近くに行くのは危ないのでは、と思わせる。
現在は、当然クローズしており、フェンスで囲まれている。
このパビリオンはモダニズム建築の巨人、フィリップ・ジョンソン(1906-2005)が設計したものである。フィリップ・ジョンソンはバウハウス(1919-1933)の初代校長をつとめたグロピウス(1883-1969)に建築学を学び、また、1946年〜1954年にはニューヨーク近代美術館(MOMA)のキューレーターを務めた多彩な人物である。磯崎新(1931-2022)とともにAnyプロジェクトを始めた人でもある。
16個の98フィート(約30m)高のコンクリート製の柱が、当時最大だった吊り屋根「明日のテント(the Tent of Tomorrow)」を支えていた。ここでは、360度映像「シアタラマ(Theaterama)」が展開され、ナイアガラの滝にバーチャルに観客を連れていくなど、この万博のホストであるニューヨーク州の紹介がなされたのである。
さらに、「未来のカウンティ・フェア(the County Fair of the Future)」として、伝統的な地方のお祭りなどが展開された。
また、ここでは無数の高校のバンドの演奏プログラム、数多くの才能あふれるニューヨーカーたちのプログラムが披露された。
さらに、このパビリオンの床は石油会社テキサコ(Texaco)によるニューヨーク州の巨大なロードマップのモザイクでおおわれていた。
珠玉のモダンアート作品の数々
そして、このパビリオンの壁には、モダンアート作品が散りばめられていた。
アンディ・ウォーホールは『13人のお尋ね者(Thirteen Most Wanted Men)』という作品をこの壁に展示したが、この13人は実在するイタリア系の犯罪者であったために物議をかもしだし、万博開幕前に黒い幕で覆われ、最後は塗りつぶされてしまった。
その他、ジェームズ・ローゼンクイスト、ロバート・ラウシェンバーグ、ロイ・リキテンシュタイン、エルズワース・ケリーなど錚々たるアーティストたちの作品が展示された。
ラウシェンバーグの『スカイウェイ(Skyway)』には万博開幕5ヶ月前に暗殺されたJ・F・ケネディ大統領の写真が使われているなど、話題を集めた。
それにひきかえリキテンシュタインは『窓辺の少女(Girl in Window)』という彼らしい作品を展示した。これはテーマ的にも無難な作品だったといえよう。
今も残る3つの展望タワー
そして、この建物の隣には、3つの展望タワーがたっている。
高さは212フィート(約65m)であり、この万博会場内でもっとも高い建物だった。
この上に「スカイ・ストリーク(Sky-Streak)エレベーター」によってのぼると、万博会場全体のみならず、ロングアイランド、そしてマンハッタンのスカイライン、ラガーディア空港までが見通せたという。
3つのうち、一番低い展望スペースは万博に来場したVIPのためのラウンジになっていた。
まだまだ残る予定のニューヨーク州パビリオン
このニューヨーク州パビリオンは『メン・イン・ブラック3(Men in Black 3)』や、『ウィズ(The Wiz)』などの映画にも登場し、未来に向けてその姿を映像でも残している。
先に書いたように、このパビリオンはところどころ錆びていたりして相当老朽化が進んでいる。
このまま廃墟になるのだろうか、と思いながら視察していたところ、工事のパネルが目についた。
どうもリノベーションするらしい。
ただ、このパネルには、今後どのような使われ方をするのかまでは書かれていない。
しかし、万博の名残のモニュメントとして、まだ当分はニューヨーク万博ファンを楽しませることになるようだ。