『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』の王族たち
<138>に引き続き、『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』のセンターに描かれている人物たちをご紹介しよう。

『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』(“THE OPENING OF THE GREAT EXHIBITION BY QUEEN VICTORIA ON 1 MAY 1851”

『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』における王族たち
ヴィクトリア・マリー・ルイーズ(ケント侯爵夫人)
この絵のほぼ中心、ヴィクトリア女王の子供たち2人の後ろに立つ存在感のある女性は、ヴィクトリア・マリー・ルイーズ(Victoria Marie Louise, 1786 -1861)である。

ヴィクトリア・マリー・ルイーズ(ケント侯爵夫人)

Victoria Marie Louise, Duchess of Kent
ケント公爵夫人はヴィクトリア女王の母。
女王になったとき、ヴィクトリアは自分の権威を確立するために母と距離を置いていたといわれている。
二人は最終的に和解し、公爵夫人は万博のオープニングに出席した。
女王は日記に、母とクリスタル・パレスの控え室で会ったと記している。
ヴィクトリア・マリー・ルイーズ・オブ・ザクセン=コーブルク=ザールフェルトはアルバート公の叔母でもあった(ヴィクトリア女王とアルバート公はいとこだった)。
彼女は1803年にライニンゲン侯爵エミヒ・カールと結婚、2人の子供をもうけたが、1814年配偶者と死別。
その後、1818年にジョージ3世の4番目の息子であるケント公爵エドワードと結婚し、ケント公爵夫人になった。
彼女は1820年に未亡人となり、ヴィクトリアはエドワードとの結婚で生まれた唯一の子供だった。
その他の人物
○一番左の女性 プロイセンのウィリアム王女(1811 – 1890)
本名はオーガスタ・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ。

Princess William of Prussia
オーガスタはプロイセンのウィリアム王子の妻であり、この絵に描かれているフレデリック・ウィリアムの母。
彼女の息子はヴィクトリア女王の長女のプリンセス・ロイヤルと結婚し、この結婚の結果、ヴィクトリア女王とウィリアム王女は親しい友人となり、頻繁に手紙をやり取りした。
女王は日記の中で彼女を「私の親愛なる親切な友人」と呼んでいる。
オーガスタの夫が 1861 年にプロイセン国王となり、1871 年にドイツ皇帝になると、オーガスタもそれに応じて女王と皇后になった。
○左から2番目の女性 メアリー・フレデリカ・シーモア(1824 – 1902)侍女(Maid of Honour)
侍女(Maid of Honour)は女王の私的および公的な行事に同行した。
侍女といってもいわゆる召使ではなく、侍女は「高貴な生まれ」であることが求められ、それは多くの場合、すでに王室の役職に就いている人々の若い親戚であることを意味した。
そういうこともあり、この絵にも描かれているのであろう。
メアリー・シーモアは、万博の開会式に女王に同行した侍女のうちの1人。

The Honourable Mary Frederica Seymour, Maid of Honour
彼女の兄弟コンウェイや従兄弟のハートフォード侯爵など、彼女の家族の何人かは女王の家庭で役職に任命された。
○左から3番目の黒い服の女性 メアリー・アデレード・オブ・ケンブリッジ王女(1833 – 1897)
ふっくらとして外向的な性格のメアリー・オブ・ケンブリッジ王女は、ヴィクトリア女王の従妹。
王室の人気者で、1866年にテック公爵フランシスと結婚した。

Princess Mary Adelaide of Cambridge
彼らの娘もメアリーと呼ばれ、後にジョージ5世の妻となり、現チャールズ国王の母エリザベス女王の祖母となった。
開会式についてメアリー王女は友人に次のような手紙を書いている。
彼女は、1850年7月に亡くなったヴィクトリア女王の叔父である父を悼んでいたため、黒の服を着ていた。
○ヴィクトリア女王とその母ケント侯爵夫人の間にいる女性 ドウロ侯爵夫人 (1820 – 1904) 侍女
ドウロ侯爵夫人は侍女としてヴィクトリア女王に同行し、万博に参加した。

The Marchioness of Douro, Lady in Waiting
エリザベス・ヘイ夫人だったこの女性はウェリントン公爵の長男と結婚し、ドウロ侯爵夫人となった。
○ヴィクトリア女王の向かって右手の女性 フローラ・イザベラ・クレメンティーナ・マクドナルド(1822年生まれ) 侍女
フローラ・マクドナルドは1847年から1874年まで侍女を務め、1897年まで女王に仕えた。

The Honourable Flora Isabella Clementina Macdonald, Maid of Honour to Queen Victoria
○アルバート公の向かって左手の女性 ハリエット・エリザベス (1806 – 1868) サザーランド公爵夫人
1837 年にヴィクトリア女王が即位すると、サザーランド公爵夫人は「衣装係」に任命された。
この役職により、彼女は女王の侍女たちを管理することになった。
彼女は女王の側近であり、顧問として活動していた。

Harriet Elizabeth, Duchess of Sutherland
サザーランド家はロンドンで最も豪華な邸宅の 1 つ、スタッフォード (現在のランカスター) ハウスを所有していた。
公爵夫人を訪ねたヴィクトリア女王は、「私は自分の家からあなたの宮殿に来ました」と冗談を言ったといわれている。
さて、次回はいよいよ、絵の左側に描かれている、万博を推進した人々のご紹介をしていこう。
この絵のどこかには、あの「クリスタル・パレス」の設計者ジョセフ・パクストンも、ヘンリー・コールもオーウェン・ジョーンズも描かれているのである。