『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』の中の「万博を実現した」人物たち
さて、引き続き、『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』を見ていく。

『1851年5月1日ヴィクトリア女王による大博覧会の開会式』(“THE OPENING OF THE GREAT EXHIBITION BY QUEEN VICTORIA ON 1 MAY 1851”
今回はこの絵の左手に描かれている面々である。
こちらには当時の政治家、万博を推進したメンバー等が描かれている。

画面左手の政治家や万博の推進者・関係者
たち
全ての人物をご紹介するわけにもいかないので、ここでは主だったメンバーを5名ほどご紹介することにしよう。
ジョン・ラッセル卿( Lord John Russell 1792 – 1878) 首相兼王立委員
画面一番中央よりの前列に立っているのが、ジョン・ラッセル卿である。

Lord John Russell (1792 -1878)
Prime Minister and Royal Commissioner
彼はロンドン万博が開催された1851年当時、英国の首相であった。
就任は1846年、辞職が1852年。
彼は万博を国際自由貿易の促進手段と捉え、議会での批判にもかかわらず支持していた人物であった。
ウィリアム・グラッドストン (William Ewart Gladstone 1809- 1898) 王室顧問
グラッドストンは自由党政治の「偉大なる老人」として有名になり、1868年から1894年の間に4度首相を務めた人物。

Gladstone
彼は財政委員会と碑文委員会の委員として万博の開会式に出席していた。
しかし、当日の日記には万博のことは記していない。
グラッドストンは、残念ながらヴィクトリア女王にはあまり好かれなかった人物らしい。
ジョセフ・パクストン (Joseph Paxton 1801 – 1865) 水晶宮の設計者
パクストンは1851年ロンドン万博の会場であった「クリスタル・パレス」(水晶宮)の設計者である。

Joseph Paxton
パクストンについてはこれまでもいろいろなところで紹介している。
今回の視察のパクストン関連については、すでに
<130>パクストンによる「クリスタル・パレス」のスケッチ
<132>今もシデナムに佇むパクストンの像
でご紹介した。
こうやったこの絵で見ると、彼は前列から2番目の列に位置しており、その功績は公式に立派に認められていたことがわかる。
彼はこの後、政治家としても活躍した。
「クリスタル・パレス」がシデナムに移築・完成した1854年から1865年に亡くなるまで、コベントリー選挙区の自由党議員でもあったのである。
オーウェン・ジョーンズ (Owen Jones 1809 – 1874) 装飾監督
オーウェン・ジョーンズは建築家であり、デザイナーであった。

Owen Jones
彼は「クリスタル・パレス」の装飾計画を考案し、赤、黄、青の原色に白を加えることで、建築的な効果を高め、活気に満ちた雰囲気を醸し出すことに成功した。
万博後、彼は政府に代わって5,000ポンド相当の展示品を購入する小委員会のメンバーを務めるなどした。
これらの展示品は、優れた現代デザインの例として選ばれ、ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム(V&A)のコレクションの一部となったのである。
ヘンリー・コール (Henry Cole 1808 – 1882) 実行委員会委員
ヘンリー・コールは万博の主たる推進者の1人であった。
このプロジェクトに初めて関わった当時、彼は公文書局の公務員だったが、
その後、万博実行委員会委員として、出展者へのスペース割り当てを全面的に管理する権限を得た。
彼は広報の才能に恵まれており、万博は彼の芸術・教育行政官としてのキャリアの出発点となった。
彼は万博後、コミッショナーの1人として、剰余金を科学芸術分野の教育向上に充てるという決定に尽力し、サウス・ケンジントン一帯の開発に寄与した。
そして当時サウス・ケンジントン・ミュージアムと呼ばれた、現ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムの初代館長も務めたのである。(1857年から1873年まで)
彼はまた、世界初の商業用クリスマスカードの考案者としても知られている。
2025年大阪・関西万博の開会式
この記事を書いている最中、4月13日に開幕する大阪・関西万博の開会式が、本日(2025年4月12日)、大阪市の夢洲EXPOホールで開催された。
筆者は今回の開会式には全く関与していないが、テレビで拝見し、なかなかいい開会式だと感じた。
日本らしさ、それも歌舞伎から最近のバーチャル・アイドル、日本のダンスグループといった最新のジャポニスムまでうまくプレゼンテーションできていたのではないか。
この開会式を見ると、2005年「愛・地球博」の開会式を思い出す。
ちょうど20年前の開会式では現場立ち合いしてドキドキしながら見守ったものだ。
当時、開会式で開会のスイッチを起動なさった皇太子殿下が、今回は天皇陛下としてお言葉を述べられていた。
なかなか感慨深い。
そして、たまたまこのところ、170年以上前の世界初の万博の開会式を描いた作品をテーマに、この文章を書いている。
1851年、2005年に思いを馳せながらみた2025年大阪・関西万博の開会式であった。