斬新だった2024年パリ・オリンピック開会式
2024年パリ・オリンピックが現地7月26日(日本時間27日)始まった。
セーヌ川とその周辺を使って斬新な開会式が開催された。
残念なことに雨模様でなかなか爽快な開会式とはならなかったものの、天候のリスクを冒してもこのような新しい企画を決行するという決意には敬意を表したい。
競技場の外で開会式が実施されるのは、夏季五輪としては初めてのことらしい。なかなか画期的な試みである。
25日夜から26日未明にかけて、フランスの高速鉄道TGVが攻撃を受け、ますますこのような広い範囲を活用した開会式のリスクは高まったと思うが、そんな中で決行し、無事終了できたのは本当によかった。
「万博都市」パリ
さて、開会式を見てみると、改めてパリが万博都市であることを認識させられる。
パリで開催された主だった万博
パリでは19世紀後半、5回の万博が開催された。
ちょっと年代を押さえておくと下記の5回である。
第1回 1855年
第2回 1867年
第3回 1878年
第4回 1889年
第5回 1900年
そして、20世紀に入ってからは、1925年(アール・デコ博)、1931年(植民地博)、1937年と大規模な万博が開催されている。
近代オリンピックの始まりと万博
そもそも近代オリンピックの第1回は1896年にアテネで開催されたが、その第2回目はパリで1900年万博の付属イベントとして開催されたものである。
綱引きなどの競技の様子は写真で今も残っている。
近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタン(1863~1937)はもともと万博に関心を持っていた人物であり、15歳のときに1878年パリ万博を体験した。
そしてその11年後、1889年パリ万博で、クーベルタンは「運動競技に関する会議」という国際会議を開催する。
また、のちに1900年パリ万博でオルレアン新駅(のちのオルセー駅)を設計することになるヴィクトール・ラルー(1850-1937)は、この1889年パリ万博で「芸術宮」内に古代オリンピアの建物や記念碑のレプリカを展示していた。それらが、クーベルタンに古代オリンピックへの思いを強くさせたのではないかといわれている。
翌1890年、クーベルタンは「ルヴュー・アトゥレティーク」誌に、その名も「運動博覧会」という文章を書いている。このことは、クーベルタンが近代オリンピックを創設するにあたり、万博をモデルとしていたことを如実に物語っている。
そして彼は海を渡り、アメリカで開催されていた1893年シカゴ万博も訪れる。その際、万博行事の一環として開催されていた「教育会議」と「世界宗教会議」に出席し、「インターナショナリズム」の重要性を認識したことから、その精神が近代オリンピックに取り入れられることになるのである。
さらに、万博が「事物の自由貿易」を促進したものだとするなら、「肉体の自由貿易」もあるべきだという考え方にいたることになるのである。
クーベルタンはシカゴ万博の翌年、1894年6月にパリで開かれた「国際スポーツ会議」で、オリンピック復興を満場一致で可決させ、13カ国から選ばれた15人をメンバーとして、「国際オリンピック委員会」を創立した。
そのとき、もともとは「第1回近代オリンピックを1900年のパリ万博で開催する」という話だったが、6年も待つのは長すぎるという議論が起こり、最終的には、「1896年ギリシャのアテネで第1回近代オリンピックを開催する」ということが決まったのである。
さて、そもそもオリンピックの代名詞となっている「金メダル」「銀メダル」「銅メダル」というメダルシステムも、もともとは万博(正確には1801年第2回フランス内国博覧会)で制度化されていたものであり、それをオリンピックにも持ち込んだ、というものである。
開会式に登場したパリ万博の残したもの
さて、そんな万博とゆかりの深いパリ。
今回のオリンピックでも、万博とゆかりの深い建物が多く開会式の映像に登場した。
たとえば、、
エッフェル塔(1889年パリ万博)
アレクサンドル3世橋(1900年パリ万博)
パリ地下鉄(1号線、1900年パリ万博)
オルセー美術館(オルレアン新駅、オルセー駅、1900年パリ万博)
グラン・パレ、プティ・パレ(1900年パリ万博)
シャイヨー宮(1937年パリ万博)
などがある。
また、選手団はセーヌ川を大小様々な船に乗って入場してきたが、そもそも、1867年パリ万博の時も船を使って会場までの交通を確保していた。それが今もセーヌ川を走る「バトー・ムーシュ」である。
また、聖火台があり、式典が行われたトロカデロ広場には、今は1937年パリ万博時にできたシャイヨー宮がたっているが、その前は1878年パリ万博の時にたてられた「トロカデロ宮」がたっていたのである。(1937年に取り壊された)
1900年パリ万博時には、そのトロカデロ宮前の広場の一角に日本館がたてられた。
さらに、1889年パリ万博時にはそのトロカデロ宮前の「水の庭」に展示されたラトゥール=マルリアックの色とりどりの睡蓮を見て、モネが『睡蓮』の連作を手がけるきっかけとなった。
また、1900年パリ万博時に美術展会場として建てられた「グラン・パレ」も今回の開会式映像に映っていた。
この「グラン・パレ」、1900年パリ万博時には、アンリ・マティスがその巨大装飾に参画したり、この会場で開催された美術展「10年展」(”Exposition Décennale des Beaux-Arts De1889 à 1900”)には、オーギュスト・ロダン、シダネル、マルタン、ルオー、ホイッスラー、アレクサンダー・スターリング・カルダー、ミュシャ、パブロ・ピカソ、ヘンリー・ムーアらの作品が展示されていたのである。
今回、この「グラン・パレ」は改修され、テコンドーとフェンシングの会場になるという。
万博とオリンピックの融合するパリ。
この貴重な機会にパリ・オリンピックを、映像を通してではあるが、十分に楽しみたいところである。