アルバート公記念碑
<127>でご紹介した「EXHIBITION ROAD」。
そのハイドパークへ突き当たった左手、ロイヤル・アルバート・ホールの前の大通りをはさんだ対面のハイドパークの中には、巨大なアルバート公記念碑(The Albert Memorial)がたっている。

ハイドパークにたつアルバート公記念碑
Prince Albert Memorial in Hyde Park
photo©️Kyushima Nobuaki
アルバート公(Prince Albert 1819-1861)
このアルバート公(Prince Albert 1819-1861)とはどんな人物だったか。
アルバート公はヴィクトリア女王(Queen Victoria 1819-1901)の夫であり、世界初の万博である1851年ロンドン万博を推進した中心人物であった。
1840年、ヴィクトリア女王21歳のときに、ドイツのザクセン・コーブルク家から婿としてやってきたのが、アルバート公であった。
アルバート公はヴィクトリア女王の母方のいとこであったが、イギリス国民から見ればあくまでも「外国人」であり、大歓迎されてイギリス入りしたわけではなかった。
その役割も女王の婿というだけで、明確な仕事があるわけでもなかった。アルバート公が自由に使える給料も、議会で値切られてしまうような状況だったのである。
しかし、アルバート公はさまざまな活動を通じて、自らの文化的領域への関心を深めていく。
そういった中で国際的な博覧会の開催実現を目指すようになる。
ヴィクトリア女王もそれを後押しした。
そしてヘンリー・コールなどの協力を得て、世界初の万博開催を実現したのである。
ちなみに、ヘンリー・コールは世界で初めてクリスマス・カードを発案したことで知られている。
結果的にこの万博は大成功をおさめた。600万人以上の人々が訪れ、52万2179ポンドの収入があり、利益は18万6437ポンドにものぼった。
そして、その利益をもとにしてできたのが、<127>でご紹介した、今もなおサウス・ケンジントン一帯に残る、その名もヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムやロイヤル・アルバート・ホール、そしてサイエンス・ミュージアムなどの文化施設である。
ジョージ・ギルバート・スコットによる設計
このアルバート公を追悼するために建てられたゴシック・リバイバル様式の、高さ55mの記念碑を設計したのは、ジョージ・ギルバート・スコット(George Gilbert Scott 1811-1878)。
記念碑の建設は、アルバート公が1861年に42歳の若さで亡くなった後、1862年に計画が始まった。
正式に完成し、ヴィクトリア女王によって開幕されたのは1872年7月だったが、アルバート公の像が設置されたのは1876年のことであった。
ちなみに、ヴィクトリア女王の要請によって、設計者ジョージ・ギルバート・スコットの横顔の像がフリーズ部分に刻まれている。

近くに設置されたアルバート公記念碑の解説パネル
An explanatory panel for the nearby Prince Albert Memorial
photo©️Kyushima Nobuaki

近くに設置されたアルバート公記念碑の解説パネル
An explanatory panel for the nearby Prince Albert Memorial
photo©️Kyushima Nobuaki
1851年ロンドン万博の成功に貢献したアルバート公。
そのアルバート公の記念碑の設置場所として、彼が尽力したロンドン万博が開催されたハイドパークはこれ以上ない得がたい場所であったといえよう。