フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク
今回も引き続きニューヨーク視察の模様をご紹介する。
筆者がこの度訪れたフラッシング・メドウズ・コロナ・パークは、1939/1940年、そして、1964/1965年に開催されたニューヨーク万博の跡地であり、万博後に公園として整備された。
ロバート・モーゼスの偉業
そして、万博ならびにこの公園整備プロジェクトを主導したのがロバート・モーゼス(Robert Moses, 1888-1981)である。
モーゼスはニューヨークの公園、高速道路網、橋、トンネル、ダムなど数多くの公共事業に長く携わり、「マスター・ビルダー」と呼ばれるほどであった。
彼は1939/40年ニューヨーク万博、そして、1964/65年ニューヨーク万博の双方に関与した人物であった。特に1964/65年の万博では万博会長を務め、何とか当初の計画通り、この万博会場跡地を公園として整備することに成功したのである。
そのロバート・モーゼスが整備したこのフラッシング・メドウズ・コロナ・パークは、今も大変見事に整備・メンテナンスされている。
筆者が訪れたのは早朝で、ランニングしている人をたまに見かけるくらいで人はほとんどいなかったが、そんな中、清掃スタッフが黙々と枯葉などを集めていた。
ニューヨークの公園と治安
実は、マンハッタンから地下鉄で向かうにあたって、早朝(といっても朝8時くらい)に行くのは危険かもしれないと危惧していた。
筆者がニューヨークに住んでいた1980年代後半は、ニューヨークの治安が非常に悪かった大変危険な時代で、マンハッタンの真ん中でも一つ曲がり角を間違えると、ホールドアップにあう、と言われていた。道を歩くと5メートルおきくらいに「チェンジ・プリーズ」(小銭をください)という人たちに出くわす。地下鉄でも乗るとかならず「チェンジ・プリーズ」の人が回ってくる。そんな時代だった。
地下鉄もマンハッタンを南北に突っ切る新車両の1号線は何とか利用していたが、その他のラインは非常に危険であり、全車両の真ん中あたりの車掌が乗っている車両を選んで乗っていた記憶がある。しかも今と違って、ほとんど全ての地下鉄の車両には独特の落書きが盛大にほどこされていたのである。
最近のニューヨークはその頃に比べると見違えるように安全になった。
とはいえ、公園となるとちょっと緊張する。しかも早朝に一人である。
まあ、出たとこ勝負、ということでとりあえず向かうことにした。
公園は予想と違って大変治安は良さそうである。
清掃スタッフもちゃんと組織だって仕事をしているようにみえる。
清掃員から挨拶もされた。
走っている人や散歩している人たちもちゃんとした人たちのようである。
一安心である。
今も残る万博のパブリック・アートを尋ねて
さて、ユニスフィアを確認し、ウェスティングハウスのタイムカプセルの記念碑を見たあと、バチカン・パビリオン跡地に立つ記念碑をチェックした。
それから、高速道路をまたぐ橋を渡って、公園の南地区へ行き、メドー湖を見ながら歩き、フロリダ州パビリオンがあった場所に立っているTASCAのボートハウスのところまで行った。
その間すれ違った人は5人くらいであった。
その後また、橋を渡って公園北区に戻った。
その頃には、すでに午前10 時頃になり、少しずつ来園者の数も増えてきた。
そして、1964/65年ニューヨーク万博のときに作られ、今も残るいくつかのパブリック・アートを確認することにした。
『ロケット・スローワー』(Rocket Thrower)
最初に見たのが、『ロケット・スローワー』(Rocket Thrower)である。
やはりこの万博の頃は、未来、宇宙、といった夢が大変盛んな時期であり、宇宙に関する展示が多かった。この作品も人がロケットを宇宙に投げるといったモチーフであり、ニューヨーク万博を代表するアート作品でもあった。
「プール・オブ・インダストリー」(Pool of Industry)と「ファウンテン・オブ・ザ・プラネッツ」(Fountain of the Planets)
『ロケット・スローワー』はユニスフィアの東北東のあたりに位置し、ユニスフィアと「プール・オブ・インダストリー」(Pool of Industry)という池との間にある。
この池の真ん中には「ファウンテン・オブ・ザ・プラネッツ」(Fountain of the Planets)という噴水の装置が今でも確認できる。
「プール・オブ・インダストリー」は6.5エーカー(2.6ha)の大きさであり、1500万ガロン(5,678リットル)の水を擁していた。
この巨大な噴水「ファウンテン・オブ・ザ・プラネッツ」には直径0.5インチ(1.27cm)から2インチ(5.08cm)以上のさまざまな約2,000のノズルがあり、噴水パフォーマンスの時には、一度に100トン近くの水を空中に吹き上げることができた。その水の高さは150フィート(45.72メートル)に達したという。
「プール・オブ・インダストリー」の周囲は、その名のごとく「インダストリー(産業)」のエリアとなっており、IBM、ベル電話会社、ゼネラル・エレクトリックといったそうそうたる企業のパビリオン群が配置されていた。
またその近くには、万博時に各国の国旗を掲揚した「ワールズ・フェア・フラッグスタッフ(旗ざお)」(World’s Fair Flagstaff)が今も確認できる。
距離にするとちょうどユニスフィアと「プール・オブ・インダストリー」の真ん中あたりに、この『ロケット・スローワー』が今もたっている。
『ロケット・スローワー』はドナルド・デ・ルー(Donald De Lue, 1897-1988)の作品である。デ・ルーはマサチューセッツ生まれのアメリカ人彫刻家であり、彼の作品はアメリカ中の多くの美術館でみることができる。
この作品は、1964/65年ニューヨーク万博のために、デ・ルーにより1963年に制作されたブロンズ像である。高さは約13メートル。
デ・ルーは1962年に10万5,000ドルでこの作品の契約を結び、6ヶ月で完成させた。
1963年にはこの作品の石膏模型が完成され、鋳造のためにイタリアに送られたのであった。
それから時間が経つにつれ、彫像はダメージを逃れられなかった。
1989年には片方の腕が修復された。そして2013年には大幅な修復が行われ、現在の姿を保っているのである。
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