<102>世界最小のルービックキューブ発売のニュース

1982 Knoxville
ルービックキューブ

「世界最小のルービックキューブ」のニュース

先週2024年10月3日、「世界最小のルービックキューブ」のニュースが各紙に掲載された。

日経電子版には次のように報道されていた。

世界最小のルービックキューブ メガハウス、1辺4.9ミリ

バンダイナムコグループのメガハウス(東京・台東)は3日、ルービックキューブ50周年を記念して開発した商品が「最小のパズルキューブ」としてギネス世界記録の認定を受けたと発表した。1辺は4.9ミリメートル。同モデルの商品を3日から11月18日までの期間限定で受注販売する。価格は77万7777円。
受注販売する「究極最小ルービックキューブ -0.50cm 超精密金属製-」は、1辺が約5ミリメートル、各マスは1.6ミリと世界最小の公式ルービックキューブだ。通常の約1000分の1の大きさだという。微細加工技術を持つ入曽精密(埼玉県入間市)の技術協力を得て作成した。
メガハウスの佐藤明宏社長は「4年の間、製作に携わったスタッフと入曽精密とのコラボレーション、情熱が生んだものだ」とコメントした。これまでの世界最小のパズルキューブは1辺が5.6ミリだった。

これは1辺4.9mm、各マスは1.6ミリと世界最小の公式ルービックキューブということだが、写真でみると実際のところ相当小さいのがわかる。

「最小のパズルキューブ」としてギネス世界記録の認定を受けた、ということで、こんな小さいルービックキューブで遊ぶ人がいるのだろうかと思うが、マニアはいるのだろう。

販売価格は77万7777円ということでちょっとした小型車なら買えそうな値段だ。
日本の技術のプライドを感じさせる商品だ。

ルービックキューブの始まりとブーム

ルービックキューブ(Rubik’s Cube)は、1974年ハンガリーの建築家エルノー・ルービック(ルビク・エルネー, 1944〜)によって考案された。

ルービックキューブ

その後ルービックキューブは1977年にハンガリーで「マジックキューブ」という名称で販売されたが、特に売れるような事は無かった。

しかし、1980年にアメリカの玩具会社「アイデアル・トイ社(Ideal Toy Corporation)」が販売許諾を受けて「ルービックキューブ」として売り出したところ、瞬く間に人気となり、世界的にも流行することになった。

日本でも同年にツクダオリジナル(現メガハウス)により販売が開始された。その後80年代に広く流行することになった。
当時は誰しも一度は手に取ったことがあったのではないだろうか。

そして世界中で流行することになった。以降は流行りすたりもありながら世界中で4億5千万個以上売れ続けている。

その流行から約40年、また「世界最小」ということで話題を提供している、というわけである。

ルービックキューブと万博

このルービックキューブも万博に出展されていた。
アメリカでは、ルービックキューブが発売され、人気となったばかりの1982年に万博が開催されている。

1982年ノックスヴィル万博

その名は1982年ノックスヴィル万博
正式名称は「The Knoxville International Energy Exposition」
通称は「Energy Expo 82」
というものだった。

日本語では「ノックスヴィル国際エネルギー博覧会」と呼ばれている。
このノックスヴィルという都市はアメリカ・テネシー州東部にある工業都市である。人口は18万人程度で日本でも地方都市の規模だ。

1982年ノックスヴィル万博会場写真

このノックスヴィル万博は1982年5月1日から10月31日までの半年間開催された。

テーマは「エネルギーが世界を動かす」

動員数は1113万人であり、目標の1100万人をクリアしている。

この規模の都市で入場者数1000万人以上というのは相当健闘している部類に入るだろう。

博覧会のシンボルとして高さ266フィート(約81メートル)の「サンスフィア」が建設され、これは現在でも街に残っている。

1982年ノックスヴィル万博 「サンスフィア」

日本も参加し、「トキコ(TOKIKO)」という会社がAIを使った「Painting Robot」(絵を描くロボット)などを実演展示した。

この「トキコ(TOKIKO)」という会社だが、かつて日本に存在した自動車部品メーカーであり、日立製作所による買収と会社合併、再編分離を経て、日立Astemoの源流の一つとなっている会社、ということらしい。

また、イベントとして歌舞伎などの特別ショーをおこなったという記録がある。

ルービックキューブとノックスヴィル万博

さて、この万博ではハンガリーも出展していた。
ルービックキューブの発明者、エルノー・ルービックの出身国である。

この万博はルービックキューブが流行していたということもあり、ハンガリー館ではルービックキューブに焦点をあてて展示を構成していた。

エネルギーという万博のテーマとの関連がよくわからないが、何かしら結びつけたのだろう。

そしてエルノ・ルービック本人も万博会場を訪れている。
発明者のエルノー・ルービックが展示を監督していたのである。
ルービックキューブコンテスト優勝者のジェイ・ブランドンとともに、ルービックキューブを手にしたエルノ・ルービックが、ハンガリー館の外で座っている写真が残っている。

1980年代にルービックキューブが大流行したのは筆者の世代では懐かしい話題だが、1982年にアメリカで開催された万博では、早速その流行が取りいえれられていたのであった。

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