アメリカのシンボル『自由の女神』
さて、前回までいろいろとニューヨークと万博の関連についてご紹介してきたが、ニューヨークを代表するものとしては、なんといっても『自由の女神』は欠かせないだろう。
『自由の女神』のあるリバティ・アイランドにはニューヨークマンハッタンの最南端、バッテリー・パークから「スタチュー・シティ・クルーズ」という専用クルーズに乗って約20分で行くことができる。
しかし、リバティ・アイランドに上陸せずに『自由の女神』を間近から見たいという人は、スタテン・アイランドとマンハッタンを往復しているスタテン・アイランド・フェリーに乗れば地下鉄の料金で楽しむことができる。
この『自由の女神』は、<62>でご紹介した、クイーンズ美術館の「ニューヨーク市のパノラマ」にもちゃんとリバティ・アイランドの上に作り込まれていた。
2つの万博に出展された『自由の女神』
じつはこの『自由の女神』は、万博に出展されていたものだ。
しかも2回も、そして制作費を稼ぐための資金集めとして。
高さ46・05メートル(台座を含めると92・99メートル)で当時「世界最大の彫刻」といわれたこの像は、アメリカ独立100周年のお祝いに、フランスからアメリカに贈られたものだ。
『自由の女神』の制作者バルトルディ
『自由の女神』の制作者は、フランスの彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834~1904)だが、彼が初めて『自由の女神』の構想を得たのは1865年のことだったといわれている。
バルトルディは、フランスの法律学者でのちに政治家にもなるエドゥアール・ド・ラブレとの会食中に、両国の友好のため、フランスからアメリカに独立100周年記念の寄贈をするという話を聞いたという。
じつはバルトルディは、スエズ運河の入り口にモニュメントとして建てる灯台設置のプロジェクトに加わっていた。スエズ運河は地中海からエジプトを経て紅海にいたる、160キロ以上もの長さの大運河で、ヨーロッパからアジアにいたるルートとして、フランスが強力に工事を推進していた。フランスのアジア進出を遂行する上で、重要なルートだったのだ。
この灯台プロジェクトは結局実現しなかったが、そのときに芸術家バルトルディに芽生えた古代のイメージが、『自由の女神』に結実したといわれている。
フィラデルフィア万博、パリ万博での巨大展示物
そんな『自由の女神』だが、完成はアメリカ独立100周年の1876年には間に合わなかった。資金不足の問題が大きかったのである。フランス側が彫像を、アメリカ側が台座を造るという分担だったが、その双方で資金不足が問題になった。
アメリカでは、ピューリッツァー賞で有名なジョセフ・ピューリッツァーが、自分の新聞「ザ・ワールド」に資金調達のための募金を呼びかけるページをもうけた。フランスサイドでも民衆の募金活動が盛んにおこなわれていた。
そして、万博でも資金調達がおこなわれたのである。
アメリカ独立100周年を記念して開催された1876年フィラデルフィア万博、そして1878年第3回パリ万博。
この両方の万博に、資金調達の目的もあって、『自由の女神』は展示されたのである。とはいっても、もちろん像はまだ完成していたわけではない。フィラデルフィア万博ではその腕と手と松明部分が、パリ万博では頭の部分が、と分けて展示された。どちらも「展示物」としては巨大だ。
フィラデルフィア万博では、料金を払えば、松明の下にもうけられた展望台に上ることができるようになっていた。
またパリ万博では、現在エッフェル塔が建っている場所の目の前の広大な敷地、シャン・ド・マルスの庭園に、『自由の女神』の頭部が展示され、この像に上ろうと毎日多くの人々が列をなしたという。
エッフェル塔はその10年あまり後、1889年の第4回パリ万博のときに造られたものであるが、この『自由の女神』の内部構造を製作したのが、そのエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルその人であった。
向かい合う2つの『自由の女神』
『自由の女神』像は1884年にやっとフランスで完成した。運搬にあたっては、350ものパーツに分けられ、214箱の木枠につめられて、1885年に船でニューヨークに届いた。それから4カ月かけて、アメリカ側で用意した台座の上に再度組み立てられ、当初の計画から10年遅れの1886年10月28日、ついにニューヨーク港リバティ・アイランドに完成したのである。
像は、右手に自由の松明を掲げ、左手には「1776年7月4日」と記した独立宣言書を抱えてアメリカの民主主義の象徴となり、ニューヨークを訪れるすべての人々を迎えるモニュメントとなった。そして、それから約100年後の1984年には、ユネスコの「世界遺産」に登録された。
フランスからのこの壮大な贈り物のお返しとして、パリ在住のアメリカ人コミュニティからパリ市に贈られたのが、ニューヨークの『自由の女神』の約4分の1の大きさのパリ版『自由の女神』である。この像は、高さ11・4メートル(台座を含めると20.5メートル)、重さ14トンのブロンズ製で、1885年には完成していたものの、公式には1889年のフランス革命100周年を待ってフランス側に贈られた。
ちなみに、「日本におけるフランス年」を記念して、1998年に「来日」したこの『自由の女神』は、東京・お台場に一時的に移設されたが、その後フランスに返却され、現在お台場に建っているのはそのレプリカである。
パリのセーヌ川グルネル橋のたもとに建つ『自由の女神』は、初めエッフェル塔側を向いていた。しかし、1967年のグルネル橋改修の際、作者バルトルディが生前願っていたように、大西洋をはさんでニューヨークの『自由の女神』と向かい合うように設置し直され、現在にいたっている。