再び東京都庭園美術館へ
東京都庭園美術館で開催されている「装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術」展を訪れたのは10月末のことであった。
この展覧会は今年2023年9月23日から12月10日まで開催されている。
展覧会図録の「ごあいさつ」によると、「東京都庭園美術館がその名に『庭園』を冠した美術館として開館してから今年で40周年」ということで、それを記念して上記のようなタイトルの展覧会を企画したということである。
「庭園」をテーマにして、アール・デコ全盛期の20世紀前半に生きた、さまざまな造園家、建築家、芸術家にスポットをあてる展覧会となっており、当然、「庭園芸術」というジャンルがパリで開催された博覧会の展示分野において初めて設定された1925年アール・デコ博関連の貴重な展示も豊富であった。
1925年アール・デコ博については、<28>東京都庭園美術館と1925年アール・デコ博でもご紹介した。
1925年4月30日から10月15日まで、パリ市内の28.8haの会場で開催され、参加国数は22。1599万人(別資料では1400万人)の入場者数を集めた万博である。
この万博の詳細については、<28>をご覧いただきたいが、そこでも触れたアンリ・ラパン(1873-1939)や、ルネ・ラリック(1860-1945)など彼の協力者たちの作品も展示されている。
今回は、1925年アール・デコ博関連の資料も多く展示されているが、それだけではなく、後半には、1931年にパリで開催された「植民地博」、そして1937年パリ万博と、3つの万博に関する資料もあった。
万博にご関心がある方にとっては、外せない展覧会といえよう。
1925年アール・デコ博「フランス大使館」
<28>でもご紹介した1925年アール・デコ博に出展された「フランス大使館」というパビリオンについてもいくつか資料が展示されている。
今回の図録によると下記のようにある。
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1925年にパリで開催されたアール・デコ博覧会において、多数設けられたパヴィリオンのうちの一つに、「フランス大使館」があります。実際に大使館としての機能を有していたわけではなく、架空のフランス大使の館をコンセプトにした一時的なパヴィリオンでした。全部で24個設けられた展示室では、絵画や彲刻、家具や工芸品などを一緒に組み合わせて展示する「アンサンブル」という展示手法が取られ、公募によって選ばれた建築家・装飾美術家によって、あたかも本物であるかのような居住空間が作り込まれました。
「大使館」というコンセプトの発案者でもあったラパンは、グラン・サロンおよび食堂の2室の装飾を手がけましたが、自身はあくまでも全体を統括する監修者、責任者としての役割に徹しました。
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<19>「マリー・ローランサンとモード」展でもこの「フランス大使館」についてはご紹介した。
この展覧会では、『1925年アール・デコ博、フランス大使夫人の部屋の装飾 「ヴォーグ誌」(フランス版)1925年9月号掲載』という雑誌が展示されていた。その時の図録には次のようにある。
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…絵画や彫刻などの純粋芸術に比べ、工芸や染色、そしてファッションなどの装飾美術は、一段低い扱いを受けていた。その状況を打破すべく1925年にパリで開催されたのが、現代産業装飾芸術国際博覧会、いわゆる「アール・デコ博」である。初芸術の平等という理念のもと、芸術と生活を結びつけるために「アンサンブル」という展示方法を用いたこの博覧会で、ローランサンは美しくデザインされた室内空間に調和する絵画作品を提供し、大きな話題を呼んでいる。
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マリー・ローランサンも参加し、この「フランス大使館」は大評判になったパビリオンだったのだろう。
アンリ・ラパン、ルネ・ラリック等の作品
また、アンリ・ラパンの作品、並びに、その協力者であったルネ・ラリック等の作品も豊富に展示されている。
アンリ・ラパンは旧朝香宮邸の内装を手がけるなど、この庭園美術館にはゆかりも深い。
今回は花瓶などの作品が展示されている。
実は、庭園美術館の大食堂の壁面装飾パネルもアンリ・ラパンの作品である。
また、ルネ・ラリックの作品も展示されている。
ルネ・ラリックといえば、庭園美術館に入るとすぐに眼をひく『正面玄関ガラスレリーフ扉』で有名だが、今回はその作品も個別に展示されている。
そのほか、『カーマスコット《勝利の女神》』などの小さな作品や、『花瓶《オラン》』、『ドアパネル《ガラス職人》』などの作品も展示されている。
さらに、レイモン・シュブ(1891-1970)の作品もある。
レイモン・シュプはパリ生まれの鉄工芸家で、1925年のアール・デコ博ではラパンの「フランス大使館」、リュールマンの「コレクショヌール館」に参加した。また、1937年パリ万博(「現代生活における芸術と技術の国際博覧会」)では、「金属のパビリオン」に巨大なファサードを制作している。朝香宮邸では、大客室ガラス扉上のタンパン(半円形の飾り部分)を担当した。
1925年アール・デコ博の関連資料
そして、今回の展覧会では、1925年アール・デコ博の会場図面やポスター、並びに会場で撮られた写真が多数展示されている。
これらの写真をみると、この万博の当時の会場の様子がよくわかる。
その中には、モダニズム建築の「ソ連館」もある。このパビリオンはモスクワ郊外出身の建築家、コンスタンティン・メルニコフ(1890 – 1974)にまかされた。このパビリオンもまた、直線を多用しており、ル・コルビュジエの「エスプリ・ヌーヴォー館」とともに世界の注目を浴びたという記録が残っている。
その他、「日本館」の写真もある。一眼で日本風の建物とわかるものだ。
さらには、「オルセー門」の写真、「セーブル製陶所パビリオン」の写真もある。これもアンリ・ラパンも一部手がけたものだ。
加えて、今回はアール・デコ博のメダルも展示されており大変興味深い。
「朝香宮家滞欧アルバム」とトロカデロ宮
また、「朝香宮家滞欧アルバム」というタイトルで何枚かの写真が展示されている。
これは、允子妃(1891-1933)を写したものであるが、その背後には1878年パリ万博のために建てられた「トロカデロ宮」が写っている。
一枚はエッフェル塔の下からセーヌ川の向こうに「トロカデロ宮」が見えるものもある。
この「トロカデロ宮」は、建築家ジュール・ブールデと、ガブリエル・ダヴィウーによって設計され、1937年パリ万博で取り壊され、シャイヨー宮ができるまで、コンサートホールや会議場、美術展会場として使われた。
1823年にフランス軍がスペインから奪ったカディス湾の要塞を模したこの建物には、4,000とも4,500ともいわれる数のガス灯が備えつけられ、4,500人収容の巨大なコンサートホールが設置されていた。ここには、カヴァイエ・コル製作の大オルガンが設置されていた。
また、左右の塔には、1867年第2回パリ万博で名を挙げたレオン・エドゥーの水圧式エレベーターが設置され、一度に60人の乗客を運んでいた。
この「朝香宮家滞欧アルバム」は1922年〜25年に撮られた写真、ということなので、まだトロカデロ宮は健在で、それなりに、写真スポットとなるほど「名所」になっていたことがうかがえる。
そして、次のコーナーでは、1931年パリで開催された「植民地博」、1937年パリ万博関連の展示もある。これについては、次回ご紹介することにしよう。