<50>に引き続き、「装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術」展を見ていこう。
今回は、この展覧会の後半で紹介されている、1931年パリで開催された「植民地博」、1937年パリ万博関連について見ていくことにしよう。
「1931年国際植民地博覧会」(パリ)
下記にご紹介するのは、ヴィクトル・デムールによるポスター「1931年国際植民地博覧会」である。
図録の解説には次のようにある。
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1931年、ヴァンセンヌの森を会場としてパリ国際植民地博覧会が開催されました。”1日で世界一周”という宣伝文句のもと開催された同博覧会は、フランスの植民地政策のプロパガンダ的性格を持つものでした。近代工法を駆使した実物大の精巧なアンコールワットの復や光と噴水を用いた壮麗な演出は、人々を驚嘆させ、植民地政策の成功という虚構に酔わせたのでした。
博覧会では、植民地からフランスへの経済的な貢献という側面がクローズアップされ、各国の特産品が多数披露されました。黒檀や椰子の木、皮革類、鮫皮、象牙などの貴重な資源が植民地からもたらされ、これらはアール・デコの中における「エキゾティシズム」を特徴付ける要素となりました。
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このデムールのポスターには、いろいろな植民地の人々の姿が描かれている。
当時はまさに欧米列強がアフリカやアジアに植民地を拡大し、植民地経営によって、自国では取れない特産品、芸術品、そして人にいたるまでを「輸入」し、それによって自国民の生活の向上を目指していた。そして、この万博は欧米列強自らの植民地政策、帝国主義を正当化するためのものでもあったのである。
この万博はパリ東部に広がるヴァンセンヌの森を会場に1931年5月6日から11月16日まで半年間開催された。
このヴァンセンヌの森は1900年パリ万博でも付属会場として使われたが、今回はここがメイン会場として使用された。
この万博のスローガンは「1日で世界を見よ」(See the World in a Day)というものであった。
デンマーク、ベルギー、イタリア、オランダ、ポルトガル、そしてアメリカはそれぞれ政府館を展開した。イギリスとドイツは財政難を理由に控え目な展示であった。
そして主催国フランスは、200haとも60haともいわれた(資料によって数字が異なる)ヴァンセンヌ会場の大半を占めていたのである。
入場者数は3350万人という莫大なものであった。(これも資料によっては「少なくとも800万人」というものもある)
今回、写真はNGで撮れなかったが、明治学院大学図書館蔵の『1931年国際植民地博覧会:デラックス版公式ガイド』等も展示されていて興味深い。
また、これも同じく明治学院大学図書館蔵の写真も展示されていた。
その中には、この万博で展示されたアンコールワット寺院の再現版、仏領西アフリカ、チュニジア、モロッコ、ベルギー領コンゴなどの展示風景の写真が含まれている。
この万博の名残としては、ヴァンセンヌの森の一角に、「国立アフリカオセアニア美術館」(The National Museum of African and Oceanic Arts)が残されていた。
筆者も以前、訪れたことがある。
筆者が訪れたのは2001年6月だった。
今回あらためて調べてみると、残念ながらこの美術館はその後、2003年にクローズしたことがわかった。
そしてそのコレクションは、2006年6月23日に開館した「ケ・ブランリ美術館」(Musée du quai Branly)に移管されたということである。
1937年パリ万博
そして次に1937年パリ万博である。
今回の展覧会では、ポスター2種、イリュストラシオンの1937年パリ万博特集号、会場地図などが展示されていた。
また、このセクションに展示してあるということは1937年パリ万博に出展されたものと思われるが、ドーム兄弟とルイ・カトナによる『テーブル・ランプ』、クリストフル社、リュック・ラネルによる『幾何学文花瓶』も展示されていた。
また、今回の展覧会のテーマが「庭」ということで、1937年国際博覧会『ジャンヌ・モデルヌ(現代庭園)』(東京藝術大学附属図書館)という資料も展示されていた。(写真不可)
この1937年パリ万博はこれまでもいろいろな章で紹介してきた。
例えば、<45>では次のように概要を紹介した。
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1937年パリ万博(「現代生活における芸術と技術の国際博覧会」)は1937年5月25日〜11月25日まで開催された。
英語名称はInternational Exposition of Arts and Technology in modern lifeというものであり、
テーマは「現代生活の中の美術と技術」。
参加国数は45。
3104万人という莫大な入場者を集めた。
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そのほかにも、この万博はいろいろなトピックスを残している。
例えば、ピカソが『ゲルニカ』『アヴィニョンの娘たち』などを出展したり、マティスが『夢』、『赤いキュロットのオダリスク』などを出展したりしている。
プティ・パレでは万博の一環として「L’Art Indepéndant(筆者注:「独立美術の巨匠たち1895-1937展」)」が開催された。上記の『アヴィニョンの娘たち』『夢』『赤いキュロットのオダリスク』などはこの「巨匠展」に出展されたものである。
また、この万博の日本館は、坂倉準三(1901 – 1969)によって設計されたモダンなものであった。
ちなみに、この1937年以来、パリでは万博が開催されていない。
じつは2004年にパリ郊外のセーヌ=サン=ドニで万博開催がいったんBIEで決定していた。
しかし、財政的な問題や、万博に対する国際的な関心の低さ(開催まで2年を切った時点で参加表明が10カ国未満)等が理由で開催不能となって取り下げられてしまった。
筆者もパリ郊外のサン=ドニまで行って事務局長と面談した思い出もあり、実現せず残念な思いだったが、インターネット普及によって当時世界を席巻していた万博不要論、直前の2000年ハノーバー万博の惨状を見れば開催に世論が反対したのも仕方のないことだったのかもしれない。
さて、来年2024年にはパリでオリンピックが開催される。
19世紀後半から20世紀前半まで万博のメッカであり、BIEも存在するパリでまた次に万博が開催されるのはいつのことになるのだろうか。