ティファニーの万博出展
さて、このメトロポリタン美術館のアメリカン・ウィングにはティファニーが万博に出展した作品も展示されている。
ティファニーと万博の関連については、
<62>「ニューヨーク市パビリオン」だった「クイーンズ美術館」
においてもご紹介した。
そこで述べたように、クイーンズ美術館においても、創業者チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902)の長男、ルイス・カムフォート・ティファニー(1848-1933)関連の展示が充実しているが、ここメトロポリタン美術館でもティファニーの展示が充実している。
しかも、万博に出展されたもの、ということでは、メトロポリタン美術館の方がはるかに上といっていいだろう。
<69>ニューヨーク・メトロポリタン美術館と万博③『ブライアント・ベース』
でご紹介した『ブライアント・ベース』もそのティファニーの作品であった。
しかし、ここメトロポリタン美術館のアメリカン・ウィングには、そのほか、
ティファニーが1878年パリ万博、1893年シカゴ万博に出展した有名な作品がいくつか展示されている。
1878年パリ万博出展作品
まずは、1878年に開催されたパリ万博にティファニーが出展した作品を2つ見てみることにしよう。
1878年パリ万博出展作品『カップとソーサー』(”Cups and Saucers”)
まず1点目が『カップとソーサー』(”Cups and Saucers”)である。
解説によると、これらのカップとソーサーは「銀の王」ジョン・W・マッケイ(John W. Mackay 1831-1902)と彼の妻マリー・ルイーズ・ハンガーフォード・マッケイ(Marie Louise Hungerford Mackay)が依頼した 、1,250 個を超える豪華な『ディナー・サービス』に属するもの、である。
ジョン・W・マッケイはアイルランド・ダブリンの極貧の家庭に生まれ、ニューヨークに移住したのち、銀鉱山の事業により全米で最も裕福なアメリカ人の一人となった人物である。
この作品はそのマッケイとその妻からの発注で制作されたものである。
ティファニー社の記録にはこの作品は「インディアン」スタイルと記載され、1878年パリ万博に展示されることになった。
エドワード・C・ムーア(1827-1891)の指揮のもとで制作されたこの作品を含むその1,250個を超える『ディナー・サービス』は、豪華でエキゾチックな作品をもとめた当時の「金ピカ時代」(Gilded Age)の趣向と、ティファニーのシルバー部門にる「非西洋デザイン」(non-Western design)を創造的に融合させているもの、ということである。
このエドワード・C・ムーアという人物は、アメリカ・ニューヨーク生まれの著名な銀細工師であり、ティファニー社と独占契約を結んだ後、同社に入社し、1891年に亡くなるまで、同社のチーフ・シルバー・デザイナーとして働いた人物である。
彼は同時に、日本、イスラム、古代ギリシャ、ローマ等の美術コレクターであり、彼の1,600〜1,700点のコレクションの多くはここメトロポリタン美術館に遺贈されたのであった。
1878年パリ万博出展作品『燭台』(”Candlesticks”)
1878年パリ万博のティファニーの展示の一部であった『燭台』(”Candlesticks”)もエドワード・C・ムーアの指揮のもとで制作された作品である。
この作品にはイスラム世界の装飾の要素と、ティファニーの洗練された金属加工技術の両方を認めることができる。
19世紀は、有名なところでは、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)が北アフリカへ旅行し、イスラム世界のエキゾチックな作品を残したり、ドミニク・アングル(1780-1867)が『トルコ風呂』を描くなど、西洋世界がイスラム世界に関心を寄せた時代でもあった。
そしてここアメリカでもその影響がこのティファニーの作品でも伺うことができるのである。
次に、ティファニーの1893年シカゴ万博への出展作品を見てみよう。
1893年シカゴ万博出展作品
1893年シカゴ万博出展作品『マグノリア・ベース』(”The Magnolia Vase”)
この『マグノリア・ベース』(”The Magnolia Vase”)は1893年シカゴ万博におけるティファニーの展示の目玉だった。
「ゴディーズ・レディーズ・ブック」(Godey’s Lady’s Book)はこの展示を「芸術的美しさと本質的価値という点で、これまで個々の企業が示した中で最大の展示」と評した。
ちなみに、この「ゴディーズ・レディーズ・ブック」(Godey’s Lady’s Book)は「ゴディーズ・マガジン」(Godey’s Magazine)とも呼ばれ、たとえば、白いウェディング・ドレスやクリスマス・ツリーをアメリカに普及させるきっかけとなるなど、19世紀に大きな影響力を持っていた女性向けの雑誌であった。1830年から1878年までフィラデルフィアで発行され(その後オーナーが代わり1896年まで発行された)、1860年には15万部の発行部数を誇ったという。
さらに、この作品は「ニューヨーク・サン」紙(”The Sun”)の編集者によって「これまでに制作されたあらゆる銀細工師のなかで、最も注目に値する芸術標本の一つ」と称賛されたという。
ちなみにこの新聞はニューヨークで1833年から1950年にかけて発行されていた新聞で、当時ニューヨーク・タイムズやニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙と肩を並べた新聞であった。
この巨大な花瓶は一度見たら忘れられないほどのインパクトがある。
ティファニーの万博展示の「目玉」と評される価値は十分にあるだろう。
花瓶に表れた卓越した職人技と革新的な技術、特にエナメルを施したマグノリアの自然さは、上記2メディアを含め、当時の報道で多くの話題になったという。
1893年シカゴ万博出展作品『バイキング・パンチ・ボウル』(”The Viking Punch Bowl”)
『バイキング・パンチ・ボウル』は、1893年シカゴ万博においてティファニーによって展示された最も有名で宣伝された作品の 1 つであったとされている。
この万博はコロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)400周年として企画され、実際は1年遅れの1893年に開催されたものであるが、コロンブスの航海に先立つヨーロッパ人の北米探検を記念して考案されたこのボウルのデザインと装飾は、北欧の人々とその文化を表しているものである。
同社の展示会カタログによると、ボウルの縁から突き出たハンドル端子は「北欧人の船の船首から連想された」という。
今回はメトロポリタン美術館アメリカン・ウィングの展示の中で1878年パリ万博、1893年シカゴ万博にティファニーが出展した作品の中から主だったものをご紹介した。
さすがにメトロポリタン美術館ともなると、万博史的には有名な作品を多数所蔵し、それを現代の我々に所狭しと見せてくれているのである。