サンフランシスコで自動シャトルバスサービス開始のニュース
ネットを見ていたら、たまたまCBS Newsの次のようなニュースを見かけた。
“Driverless bus service launches on SF Treasure Island following robotaxi expansion”
(『ロボタクシーの拡大に伴い、運転手のいないバス・サービスがサンフランシスコの「トレジャー・アイランド(宝島)」で始まる』)
この記事は2023年8月18日のニュースである。
自動シャトルバスといえば、2005年「愛・地球博」でもIMTS無人隊列バスが会場内を走るなど、万博にも関係しているものである。
しかし、それ以上に筆者の目を引いたのはサンフランシスコの「トレジャー・アイランド」(宝島)というところでこれが始まった、というところである。
なぜなら、この「トレジャー・アイランド」というのは1939/40年にサンフランシスコ万博(ゴールデン・ゲート万博、The Golden Gate International Exposition)という万博が開催されたところだからである。
そこで、もう少しこのニュースの内容を読み進めてみることにする。
内容をかいつまんで説明すると次の通りである。
サンフランシスコでは、すでにrobotaxi(ロボタクシー)が認可され、CruiseとWaymoという2つの会社がサービスを開始した。
しかし、Cruise(ゼネラルモーターズの子会社)のロボタクシーは消防自動車と衝突するなどの事故を起こしたこともあるらしい。
そんな中、この約2000人が住むトレジャー・アイランドで、Beep社(フロリダ州オーランド)の提供する無料自動シャトルバスのサービスが開始された。「the Loop」と呼ばれるルートには7つのバス停があり、毎日午前9時から午後6時まで20分おきに10人乗りの電気バスが走るということである。
ただし、上記の事故を意識してか、完全に無人というわけではなく、アテンダントが一人乗っており、必要な場合は、「コントローラー」でバスを動かす仕組みになっているという。
ルートを見てみると、1939/40年サンフランシスコ万博の会場だった「トレジャー・アイランド」の真ん中のあたりから西北にかけての、島の約半分のエリアを、巡回しているようである。
1939/40年サンフランシスコ万博(ゴールデン・ゲート万博)
さて、この1939/40年サンフランシスコ万博というのはどんな万博だったのだろうか。
「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」と「ベイ・ブリッジ」
この万博は、今もサンフランシスコの観光名所となっている「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」(1937年5月27日開通)と「ベイ・ブリッジ」(サンフランシスコ=オークランド・ベイ・ブリッジ、1936年11月12日開通)の完成を記念して開催された。
「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」と「ベイ・ブリッジ」もまた、万博に関連するものだったのである。
この万博は第2次世界大戦の足音が間近まで迫っていた2月18日から翌年9月29日まで2期に分けて開催された。
会場は、「トレジャー・アイランド」。
この万博のために1936年から1937年にかけて造成された人工島である。
「太陽の塔」(Tower of the Sun)
この万博のシンボルとなったのが「太陽の塔」(Tower of the Sun)。
「太陽の塔」といえば、日本人にとっては当然1970年大阪万博の岡本太郎(1911-1996)のものが思い浮かぶが、30年以上も前にこの「トレジャー・アイランド」にたっていたのである。
こちらの塔は、Arthur Brown Jr. (この万博の建築委員会の会長、the Chairman of the fair’s Architectural Commission)という人物によって設計されたアール・デコ様式のものだった。
高さ400フィート(約122メートル)を誇り、会場内で一番目立つ建造物であった。(ちなみに、岡本太郎の「太陽の塔」は高さ70メートルである。)
この「太陽の塔」は夜になると照明でさらに目立っていた。塔の下部からビームを発射する仕組みもあり、前にある噴水ともあいまって、夜のスペクタクルとなっていた。
また、この「太陽の塔」は44のカリヨン(組鐘)が設置されていた。
ウォルト・ディズニーの参画
さらに、ウォルト・ディズニー(1901-1966)がナビスコの展示のために初めてアニメーション・フィルムを制作したのもこの万博だった。
ウォルト・ディズニーが、ナビスコの重役とともに、写っている写真が残っている。二人が両開きのドアから出てきているところだが、その上には
「Mickey’s Surprise Party featuring Walt Disney’s Mickey & Minnie Mouse」
というサインが見える。
1939年にはニューヨークでも万博が開催されているが、同じフィルムが両方の万博で使用されたらしい。
ウォルト・ディズニーは、また、「Mickey and Donald’s Race to Treasure Island」、「Mickey and Donald and the Nephews at the Fair」というカリフォルニアのスタンダード・オイル社のプロモーションにも関与している。
ウェスティングハウスのロボット
また、その他、<36>話でご紹介したウェスティングハウスが、Willie Vocaliteという名のロボットを紹介した、という記録もある。
同じ1939年に、ニューヨーク万博では同じく「エレクトロ」を出展していたウェスティングハウスであるが、このWillie Vocaliteは実は以前(1931年)からできていたものらしく、1933年シカゴ万博でも登場していたものだった。
今見ると、なかなかレトロな味を感じさせる、昔のブリキのおもちゃを大きくしたような感じだ。
日本の出展
さて、日本館はどんな感じだったのだろうか。
1939年、40年といえば、戦争が日米両国に忍び寄っていた頃である。
それにもかかわらず、日本は大きさでもコストでも、米国の連邦ビルディングに次ぐ2番目の規模で出展した。
資料を見ても日本の城と日本家屋を合わせたような感じである。また、回遊スタイルの日本庭園も設置されている。
万博終了後、日本はこの建物を無料で誰かに譲るというオファーをしたが、この建物を関税なしで持ち込んでいたので、その関税を払える引き取り手がなく、結局、1941年5月に焼却処分されてしまったという。
筆者も訪れた「トレジャー・アイランド」
さて、「トレジャー・アイランド」に戻ろう。
実は、筆者は一度「トレジャー・アイランド」を訪れたことがある。その時は助手1号、2号と一緒だった。
行った当時は2011年で、ウーバーもリフトも普及していなかったのでレンタカーを運転して行ってみた。
アメリカは車は右側通行なので当然「トレジャー・アイランド」に降りる分岐道も右レーンだろうと思って右側レーンを走っていると、突然、センターに近い左側に降りるレーンのサインが見えたので、ちょっとあせりつつ左に寄って無事出口レーンへ向かう。
その後いくつかのカーブを通過して「トレジャー・アイランド」に到着した。
この島は、その後、海軍の施設になっていたらしい。だがそれも1997年に閉鎖された模様だ。
しかし訪問時には、まだ「U. S. NAVAL STATION」というサインが確認できた。
そして「WELCOME TO TREASURE ISLAND」というサインもある。
ここからみるとサンフランシスコの街並みが一望できて大変きれいだ。
このビューのために来ている人たちもいるのかもしれない。
ちなみにこの島には「トレジャー・アイランド・ミュージアム」があり、1939/40年万博の貴重な資料を収蔵している
万博当時、この会場内には“Elephant Train”(「象の列車」)という、先頭が象の形になった連結バスのような乗り物があった。フォードのV-8エンジンを動力源として、観客を運んでいた。
この“Elephant Trains”は駐車場から会場の中心まで10セント、そして会場全ての観光ツアーは追加で35セントという料金で入場者を楽しませた。
そして、それから80年以上経った今年、同じ会場で、先端テクノロジーによる自動運転シャトルバスがサービスを開始した。
あとまた80年経ったら、このトレジャー・アイランドはどんなふうになっているのだろう、このニュースをみてそんなことに思いを巡らせた一日だった。