<88>つくばエクスポセンターとつくば科学博

1985 Tsukuba
つくばエキスポセンター外観

猛暑の夏休み

すでに今年の夏休みもあと少しになってきた。
今年は猛暑ということもあり、熱中症のリスクもありあまり外出は勧められていない。
とはいうものの、ずっとうちの中というのもどうか、ということで、東京から比較的気軽に行ける場所をご紹介したい。

まずは、つくばエクスポセンター

つくばエキスポセンター外観

「つくばエクスポセンター」パンフレット表紙

「つくばエクスポセンター」パンフレット-サイトマップ

もう約40年も前のことになってしまったが、1985年、茨城県つくば市で万博が開催された。

つくば科学万博

正式名称は「筑波国際科学技術博覧会」(”International Exposition, Tsukuba, Japan, 1985”)。通称や略称としては、「科学万博」、「つくば万博」、「つくば科学万博」、「つくば ’85」、「Tsukuba Expo ’85 」などが使われた。

つくば科学博ロゴ

日本では、1970年大阪万博1975年沖縄海洋博に続いて、3回目となる万博である。
科学をテーマとした特別博として開催された。

テーマは「人間・居住・環境と科学技術(Dwellings and Surroundings – Science and Technology for Man at Home)」
日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加した。総入場者数は、2033万4727人であった。
会期は1985年3月17日から9月16日。

筆者が初めて仕事として万博に関与した思い出深い万博でもある。

101.6ヘクタールの会場には、多くのパビリオンが設置されていたが、この万博で存在感を示したのは日本企業のパビリオンであり、その多くが新しい映像システムを使って展示をおこなっており、多くの観客を集めていた。

多数の日本企業が出展

当時、日本企業はバブル景気に向かって成長を続けており、その勢いが感じられた時代であった。
日立、東芝、、NTT(ちょうど日本電信電話公社からNTTに社名変更を行った)、富士通、TDK、松下グループ(パナソニックグループ)、NEC、ダイエー、京セラ、三和グループ、サントリー、集英社、国際電信電話(KDD)など、当時の錚々たる日本企業がパビリオンを出展した。

ソニージャンボトロンという巨大なテレビを設置した。これは『世界一大きなテレビ』として出展されたもので、当時のギネス世界記録に認知された。画面の大きさは縦25m、横40mであった。
ここで坂本龍一氏が、1985年9月15日(閉幕の9月16日の1日前)に、RADICAL TV(庄野晴彦氏と原田大三郎氏によるビデオ・パフォーマンス・ユニット)とともに、伝説的なパフォーマンス『TV WAR』を披露した。コンセプトは浅田彰氏。この話は<15>話に書いた。

その他にも、三井グループ、住友グループ、日本ガス協会、講談社、三菱グループ、日本IBM、日本鉄鋼連盟、日本自動車工業会、芙蓉グループ、電気事業連合会、第一勧銀グループといった、現在は存在しないグループも含めて、ほとんど日本を代表する企業(群)はみな出展していたのである。

最近はこういった勢いを感じることはない。
高度成長を続けていた時代と、停滞状態にある時代の差は万博への企業の取り組み方でもわかってくる。

この万博開催中の8月12日に、日本航空123便が御巣鷹山で墜落するという悲しい事故もあったが、つくば科学博は無事9月16日に閉幕した。

「つくばエクスポセンター」

それから39年経った。来年は40周年である。

このつくば科学博を記念する施設として建てられたのが「つくばエクスポセンター」である。

「つくばエクスポセンター」は、科学館としての機能がメインのようだが、「科学万博ーつくば’85メモリアル」というコーナーもあ。

つくば’85メモリアル入り口

そこでは、当時の科学万博の概要説明、スナップ写真、についての雑誌記事や、スタッフのユニフォーム、記念品などの展示があり、当時の雰囲気を味わうことができる。

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

つくばエクスポセンター内展示風景

都心から電車等公共交通機関を利用して片道1時間半程度で行けるので、ご興味のある方は日帰りでサクッと万博旅行に行ってみるのもいいのではないだろうか。

タイトルとURLをコピーしました